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1.求婚と提案

「アイリス・ルヴィン嬢?なんて美しい瞳だ…」


 うっとりとした声色。

 藍色の瞳は、確実にアイリスの顔を捉えている。


(嘘…。私に話しかけてらっしゃる?)


 アイリスの目の前にいるのは間違いなくこの国の王太子殿下、フリック王子である。少し茶色っぽい金髪に、下がり気味の目尻をより強調する表情。

 年に一度の夜会の主催者である王太子は今、間違いなく彼女へ語りかけている。


 突然のことに固まっているアイリスの手を、フリック王子はさっと取り、キラキラと目を輝かせてこう告げた。


「一目惚れをしてしまった…!どうか私との未来を考えてくれないか?」




(ええええええ⁉)




 そんな。まさか。

 アイリスは男爵家の娘で立場的にどう考えても釣り合わない。しかも今回が夜会デビューである。

 そんな話があるのだろうか。いやないだろう。


 あまりのことに更に身体をカチコチにしていると、何か誤解をしたのかフリック王子は眉毛を下げて首を傾げた。


「私では不満かな?」

「いえいえいえ!まさかっ…!」


 王太子からアプローチされているのに、不満だと言える貴族の娘がいるだろうか。いや、いないだろう。


 内心そうだとしても、肯定できるわけがない。


(こんな小娘のどこが良くて…⁉これは本気なの⁉)


 ここで「はい!」と答えるのも違う気がして、アイリスはそれ以上何も言えなくなってしまった。

 とにかく急転直下の展開に、眩暈がしてくる。


 アイリスの挙動が不審なことなど傍から見てもわかりそうなものなのに、王子は照れたように口を開く。


「勿論、将来の正妃にと考えているよ。君のような美しい人は初めてだ…」


 ザワ…っと私の周りの空気が動いたのがわかった。


(正妃⁉)


 この国は側室を迎え入れない王族の方が珍しい。

 たとえ本気だとしても、側室候補としての声掛けだと思ったアイリスは目を瞠った。


 眩暈がひどくなり、景色がぐるぐるしてくる。このまま倒れてしまった方が良いのでは…。


 本当に血の気が引く感覚が襲ってきた頃、王子はいっそう輝く笑顔で最後に追い打ちをかけた。


「後ほどルヴィン家へ打診する。ぜひ前向きに考えて欲しい」


(えええええ~!!!!!!ちょっと待って。私の手に負える話じゃないわ!)






 今夜は年に一度、フリック王太子が開催する夜会。

 王城のある敷地内で、国内の貴族の娘たちが招待される大規模なものだ。

 この夜会は2年前から始まったもので、今回が3回目。まだ歴史はとても浅い。


 アイリス・ルヴィンは男爵家の長女で、先日17歳になったばかりだった。

 ルヴィン家はそれほど由緒ある家系でもなく、のんびり地味に領地で過ごしていた彼女は、今回が夜会デビューだった。貴族の令嬢は大体16歳で社交界デビューをする。アイリスはあまりそういった場に興味がなく、少し遅めの初参加となった。

 初めての社交の場が王家主催だなんて、と思われるかもしれないが、この会は子爵・男爵家などの令嬢まで幅広く呼ばれる。

 規模が大きいため、アイリスなど王太子の目に入るわけがないと思っていたのだ。


(そもそも王太子の招待状は無視できないんだけどね…)


 沢山の令嬢たちに紛れて、地味な自分は美味しい食べ物や飲み物を楽しんで帰れればいいと思っていた。

 それがまさかまさかの展開である。



 はあー…と、アイリスは小さく長い溜息を吐いた。

 フリック王子から求婚のような言葉をかけられてから、周りの女性陣に囲まれる前になんとか会場の外へ出ることができた彼女は、薄暗い中庭に面した回廊を歩いている。


 頭が真っ白で無計画に歩き続けてたので、今どこにいるか正直わからないけれどなんとかなるだろう。

 周りには人影がない。


「…う…。どうしよう…」


 恐らくどうもこうもない。

 この後本当にルヴィン家へフリック王子から書状でも来たら、名誉なこととしてお受けする以外に道はないはず。多分。


 フリック王太子のことは正直あまり詳しくなかった。

 絵姿は少し見たことがあったが、どちらかというと王子の異母姉であるエナエイン王女の方がまだ知っている。


(いつかは誰かの元へ嫁ぐとわかっていたけど…私って本当に恋愛とかって興味ないのかも)


 歩調は自然とゆっくり。とぼとぼと進む形になる。

 他人が聞いたら喜ぶべき大事件なのだろうが、アイリスの気持ちは落ち込んでいた。

 降って沸いた「誰かの伴侶になる可能性」によって、自分がいかに恋愛へのモチベーションが低いかを認識させられてしまったのだ。


(ああ…。そろそろ戻らなきゃ。これじゃ完全に迷子に─…)


 来た道を戻ろうと踵を返そうとした時だった。


「なんて美しい瞳だ…」



 つい数刻前に聞いた記憶のある言葉が、中庭の向こうから聞こえてきた。

 いや待って。この声もさっき聞いたわね?


 思わず足を止め、なんとなく息を潜めつつ植え込みの向こうを見ようとアイリスは背伸びをする。やはり目に入ったのは予想通りフリック王子の姿だった。


「あなたの稀有なアメジスト色…。素晴らしい。ソフィア夫人」

「『夫人』は今はお止めになって」


 くすくすと艶のある女性の声が答える。

 よく見ると、フリック王子の隣に煌びやかなドレスに身を包んだご婦人が寄り添っていた。


 二人の様子はあきらかに「知り合い」や「友人」が仲良くお喋りしているという気配ではない。不意にアイリスの心臓がバクっと鳴った。

 ここにいてはいけない、そんな信号が脳内で響き始める。


「若いご令嬢へ求婚されたんでしょう?」


 ソフィア夫人と呼ばれたご婦人は、まるで面白おかしいといった具合にフリック王子へ笑いかけている。


「ええ。あなたと同じ、滅多に出会えない瞳の色をしていまして─…」

「ふふっ…酷いわね」

「彼女にだって地位が与えられるんですから、悪い話ではないでしょう?これであなたとの子供が出来ても問題ありません」


 心臓はもはや早鐘のように動いている。だけど今ここを立ち去ることはできなかった。足が動かない。

 それに、この先を聞かねば─…。



「あなたとの子供は、私が王に即位したあかつきには王太子としてお披露目します。娘だとしても第一王女だ。男爵家の娘など、形だけでも王妃にしてやれば黙りますよ。過ぎた身分です」

「確かに私と同じ紫の瞳の子供が産まれれば…この国でかなり希少だもの、私の不義が疑われる可能性はあるわね。もしこの先殿下とのお子がそのようなことになるとして、私の立場はどうなるのかしら?」


 会話の内容は漏れたらまずいものだろうに、悪戯を計画しているように楽しそうに話す声である。寒気がしてくる。


「あなたの『今の』夫は、かなり歳が離れてらっしゃる…。そうでなくとも、あなたが未亡人になられる可能性は高いでしょうね。悲しいことですが」

「まあ」

「我が王室は、寡婦を迎え入れた前例もあります。あなたも当然、より素晴らしい地位を手に入れるのです。私が愛しているのはソフィアだけですよ」

「…悪い方」


 ケタケタと夫人の声が高く聞こえた。

 そして、アイリスは知ってしまった。自分が望んでもいない地位のために、恐ろしいことに巻き込まれつつあることを。


(つまり…すでに不倫しているソフィア夫人とのカモフラージュをしたいから、私に求婚したということね?万が一子供が出来ても、それを私の子として偽って王族に入れたいと…)


 急におかしいとは思ったけど、こんなのってあんまりじゃない⁉震え始めた指先が、冷たくなっているのを感じる。


(このまま利用されたら、この先どうなってしまうかわからないわ…!)








「…と、いうわけなんです。お兄様」


 昨夜の出来事を包み隠さず話し終わると、目の前のお兄様…ノクト・ブレイジオは頭を抱えて黙ってしまった。

 ちなみに「お兄様」はアイリスの実兄というわけではなく、幼少期から兄のように慕っているため、そう呼ばせて貰っているだけである。


 ここはブレイジオ公爵家応接間の一室。

 招き入れて貰ったアイリスは、ノクトとテーブルを挟んでそれぞれソファに座り向かい合っていた。


 ノクトはブレイジオ公爵家の嫡男。

 由緒ある家柄の出で、14歳という若さで王国騎士団へ学生の内から入隊。王立学院を卒業後はエナエイン第一王女の近衛兵として王城に勤めている。


 身分的にアイリスと関わりがあるような人物ではないのだが、ルヴィン男爵家がブレイジオ公爵家と遠縁にあたるらしく、子供の頃に出会って以来二人の交流は続いていた。


 優秀で優しいノクトは、何かとアイリスの良き相談相手となってくれている。

 一人っ子のアイリスは、5つ上のノクトについ甘えてしまうのだ。ノクトも兄妹がいないため、同じくアイリスを可愛がっているわけだが。


「アイリス…」


 俯いて黒髪に隠れたノクトの顔から、低いうめき声が聞こえてきた。


「はい?」

「今の話は…」

「ああ。勿論誰にも言ってませんわ。王太子殿下のスキャンダルなんて…」

「良い判断だ」


 本当はノクトを巻き込むのも悩んだのだが、自分一人、もしくはルヴィン家で対処できることではないと打ち明けに来てしまった。



「…にしてもあのバカ王子…」

「バカ?」


 ノクトが苦虫を嚙み潰したような顔でつぶやく。

 少し長めの前髪から、琥珀色の瞳がのぞく。凛々しく端正な顔。

 本当は朗らかに笑う一面もあるが、一見寡黙そうな見た目の彼。今はその眉間にしわが寄っていた。


(エナエイン王女付きで王城で任務を果たすお兄様だもの、当然フリック王子のことも色々と存じ上げているわよね…)


 それにしても直球な悪口である。ちょっと気持ちはわかってしまうけれど。


「俺に話してくれてよかった。ルヴィン家が、その証拠で王子を跳ねのけるのは難しいだろう」

「はい…。このままだと話をお受けするしか…」


 そう。ノクトの知恵を借りたくて訪れてしまったが、アイリスは無力だ。それが悔しい。

 どうしたらいいのだろう。


「何か…策はないでしょうか」


 ソファに座り、握りしめていた手に自然と力が入る。

 何か。何か断る口実…方法はないだろうか。助言を貰えたら嬉しいのだが…。


「そうだな」


 ノクトは口元に手をやり、少しだけ考える仕草を見せた。



「………一つ、案がある」


「え…っ!」


 思わぬ言葉に声が上がった。策がある?一体何が。



「君と俺は…」


 ノクトは大きな手をアイリスに向かって差し伸べながら、真っすぐに見つめ言葉を続けた。



「俺たちは恋仲ですでに将来を誓い合っていた─…。ということにするのはどうだろう」


「へ…」


「王子には君を諦めて貰おう」



「へえええええ⁉」




 昨夜に続き思いもよらぬ言葉に、アイリスはまた目を回しそうになった。


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