第7話 灰律の異端者
階段を上がるたび、空気が変わっていった。
灰ではなく、光が漂っている。
しかしその光は温かくも優しくもない。
世界の”理”そのものが、彼らを見下ろしてい
るようだった。
「……ここが、第二層か」
はるひがつぶやく。
壁には無数の紋様が走り、中心に円環の祭壇
があった。
その中央に、ひとりの男が立っていた。
黒衣のコートに、灰を散らすような長髪。
顔の半分を覆う仮面には、崩れた灰文字が刻
まれている。
ーー≪灰律の異端者(アッシュ・ヘリオ
ス) ≫
セレスが息をのむ。
「まさか……あなた、まだ生きていたなん
て……!」
男がゆっくりと振り返った。
その声は静かで、それでいて世界を貫くよう
な響きを持っていた。
「生きている、か。
灰律に囚われながら、それを拒んだ者の末路
だ。
……観測者よ。お前が”灰律”を修復していると
聞いた。違うか?」
はるひは一歩前へでた。
「修復っていうより……観測し直してるだけ
だ。
壊れた世界を、もう一度”見直してる”。それ
だけだ」
「”見直す”か……面白い」
男はかすかに笑う。
「だが、それは愚行だ。この世界は”正しく壊れ
た”のだ。
灰律は、滅びを定めた神の法。
それを修復することは、抗うことに他ならな
い」
「だからお前は、灰律を”疑った”のか」
セレスの声は、怒りと悲しみが混じってい
た。
異端者ーーグラトス。かつてセレスと共に、
灰律を守ろうとした”第一の巫女”。
しかし彼はその真実を知り、灰律に背いた。
「そうだ、セレス。お前も気づいているだろ
う?
灰律は”救い”ではなく、”再利用”だ。
人の魂を灰へと還し、それを糧に世界を再構
築する。
……人を”部品”として扱う神の法。それを、正
しいと呼べるのか?」
沈黙。
セレスの手が震える。
「……それでも、私たちは信じた。
灰律を通じて、世界をもう一度見られるなら
ーーそう思った」
「信仰は盲目だ、セレス。
だから俺は灰律を”拒んだ”。
そしてここに、囚われた。
おれの存在そのものが、この塔の”異端”として
記録されている」
はるひは静かに灰剣を抜いた。
「……だったら、俺が証明するよ。
灰律が間違ってても、”人は灰を超えられる”
ってことを」
グラトスの瞳が細められる。
「言葉だけなら誰でも言える。
だが、お前の《観測》が、どこまで世界に届
くかーー試してみよう」
灰が震えた。
塔全体が唸り、無数の灰文字が宙を舞う。
それらが渦を巻き、グラトスの背後に翼のよ
うな形を取った。
「《灰律召喚・堕天式(アーク・デシェ
ル)》」
灰光が爆ぜ、塔の空が裂ける。
白灰の炎が雨のように降り注ぎ、床が焦げ
る。
はるひは即座に反応した。
「《観測干渉・位相遮断(フェイズロッ
ク)》!」
灰剣が青白く輝き、空間が波打つ。
だが、圧倒的な力がそれを貫いた。
「くっ……防ぎきれない……!」
ジルが叫ぶ。
「後退だ!セレス、結界を!」
「《灰唱・遮灰律(シェルド-ム)》!」
祈りの声が響き、灰光の障壁が展開される。
だがグラトスの攻撃は止まらない。
その目には怒りも憎しみもない。ただ”確信”
だけが宿っていた。
「観測者よ。お前はまだ”理解していない”。
観測とは、真実を見ることだ。
だが真実を見ればーー必ず、絶望する」
「そんなこと……わかってるよ!」
はるひが叫び、灰剣を突き出す。
《観測解放・第二位階(フェイズブレイ
ク) 》
視界が広がる。
世界の構造、灰律の流れ、グラトスの魔力循
環ーーすべてが”見えた”。
はるひは一気に踏み込み、灰剣を振り抜く。
金属の衝突音。
グラトスの防御が砕け、灰の血が散った。
男は一瞬、目を見開いた。
「……この観測、まさか……!」
「俺は”努力でここまで来た”。
チ-トでも、神の力でもない。
俺の《観測》は、俺自身の眼だ!」
灰剣が閃き、塔を裂く。
光が爆ぜ、空気が震える。
やがて、静寂。
灰光の中で、グラトスはゆっくりと膝をつい
た。
「……いい眼だ。
だがその眼は、いずれ”神”に見つかる」
「神?」
男は薄く笑った。
「この塔の頂にいる。”灰律”そのものーー≪灰神
(アッシュ・デウス)≫だ。
お前がその名を観測した時、お前の存在
は……灰へと還る」
そう言って、グラトスの体は灰に崩れ、風へ
と溶けていった。
残ったのは、ひとつの光の欠片。
ーー≪灰律断片:異端者の記録≫。
はるひはそれを拾い、静かに呟いた。
「……灰律を疑った者の、覚悟の記録か」
セレスがそっと目を伏せた。
「彼は、間違っていたのかもしれない。
けれど、彼がいなければ私たちは”灰律の本
質”に辿り着けなかった」
ジルが肩を叩く。
「難しい話は後だ。次は塔の第三層だな」
はるひは小さく笑った。
「そうだな。次は、”神”に話を聞きに行こう
か」
塔の上層で、灰の風が鳴った。
それはまるで、誰かの笑い声のようにも聞こ
えたーー。




