第16話 時の門(クロノ・ゲート)
——灰の空が裂けた。
北の地平を貫く、光の柱。
それは雲を穿ち、天と地を繋ぐ“門”のように立っていた。
そこに、灰堂はるひたちはいた。
長い旅の果て、辿り着いた最北端——《原初観測域》。
風は凍てつき、灰が雪のように降り積もっている。
だがその灰は、今までとは違った。
わずかに、光を含んでいた。
セレスが静かに息を吐いた。
「……ここが、“始まりの地”。灰神が最初に観測を行った場所です」
「神が、世界を最初に見た場所……か」
はるひは呟き、灰風の向こうを見つめた。
そこには巨大な構造物が聳えていた。
塔でも都市でもない。
“時間”そのものが結晶化したような、透明な柱の群れ。
ジルが思わず口を開く。
「なんだよ、これ……建物じゃねぇ、まるで——」
「記録そのものです」
セレスが答える。
「ここは“時間の記録域”。
灰神はこの場所で、世界の誕生と終焉を同時に記録した」
はるひの心臓が、かすかに鳴る。
《観測》の感覚が、自然と起動していた。
見える。
この地に刻まれた無数の時間線。
過去と未来が重なり、現在を貫いている。
「……“ここ”が、世界の根幹か」
「そう。そして、この中心にあるのが——《時の門》」
セレスの指先が、遠くに光る巨大な輪を示した。
それは、空中に浮かぶ金環。
中心には何もない。
ただ、そこに“全ての時間”が集まり、消えていく。
---
道は一本しかなかった。
灰光の道を、四人はゆっくりと進む。
沈黙が長く続いた。
やがて、シオンがそっと口を開く。
「……もし、この門をくぐれば、どうなるのですか?」
セレスはわずかに間を置いて答えた。
「観測者は、“世界の外”に出ることになります。
記録の側ではなく、記録を“創る側”へ。
神と同じ場所へ至るということです」
「つまり……人間じゃなくなるってことか?」
ジルの声には苦さが滲む。
セレスは静かに頷いた。
「ええ。観測者が門を越えることは、存在の変換。
“灰堂はるひ”という個は、確実に消えます」
その言葉に、誰も返せなかった。
風が吹き抜け、灰が舞う。
はるひはしばらく黙って歩き、やがて口を開いた。
「……セレス。お前はどうして俺をここまで導いた?」
「それは——」
セレスの瞳が、揺れる。
彼女の頬を、灰が一粒、流れ落ちた。
「私は“灰神の断片”。記録装置として造られた存在です。
本来は、観測者を導き、門まで送るのが役目でした。
でも——」
そこで言葉を詰まらせ、微笑んだ。
「でも今は、ただ“あなたに生きてほしい”と思っている」
はるひはゆっくりとその手を取った。
「ありがとう。
けど、俺はもう止まらない。
この世界を見届けるって、決めたから」
---
やがて、彼らは《クロノ・ゲート》の目前に立った。
光が渦巻き、空気が軋む。
中心に、巨大な瞳が浮かび上がる。
——《灰神の眼》。
セレスが息を呑む。
「まさか……灰神の記録が、まだ生きている……!」
“眼”が瞬いた。
次の瞬間、四人の意識が灰光に包まれた。
---
——そこは、時の外側だった。
無限の空間。
漂う無数の記録断片。
人の歴史、文明、崩壊、再生。
すべてが灰の粒として流れ続けている。
灰神の声が、響いた。
『観測者よ。汝、なぜここに至った?』
はるひは答える。
「知りたかった。
この世界がなぜ灰に覆われたのか。
なぜ“神”が沈黙したのか。
そして——どうすれば“生きられる”のか」
『……人は、観測によって世界を定義する。
しかし、観測が過剰になれば、定義は崩壊し、灰となる。
それがこの世界の理。
ゆえに我は、観測を封じ、灰律として世界を固定した』
「それが、滅びの原因だ」
はるひは拳を握る。
「観測を封じれば、世界は“変わらない”。
生きることも、進化することもできない。
だから——灰神、お前が止めたこの世界を、俺はもう一度動かす!」
『……人が、神を超えるというのか?』
「違う。
“人が、人として生き直す”んだ」
その瞬間、はるひの身体が光に包まれた。
《灰識再構築》が自動的に起動する。
観測情報が奔流し、灰神の瞳と繋がる。
ジル、シオン、セレスが叫ぶ。
「はるひ!!」
彼は振り返らず、微笑んだ。
「俺の“観測”は、ここで終わらせない。
……次の世界で、また会おう」
《観測終端——灰界書換》
白光が世界を包み込んだ。
時間が、音もなく停止する。
---
——静寂。
灰が風に舞う。
セレスは目を開けた。
そこは、青い空の下だった。
灰は、もうどこにもなかった。
大地には草が芽吹き、遠くで鳥の声が響く。
ジルが呆然と立ち尽くす。
「……ここは……生きてる?」
シオンが涙を拭いながら微笑んだ。
「ええ。……彼が、世界を再び観測したのです」
セレスは空を見上げる。
そこには、淡く光る灰色の星があった。
「……はるひ」
彼女はそっと呟く。
「あなたの記録は、この空に残っている。
この世界が息をしている限り——あなたは、ここにいる」
---
その夜。
風が穏やかに吹く丘の上で、セレスはひとり、光る欠片を取り出した。
それは、灰剣の破片。
淡く脈動している。
「……“観測”は終わらない」
彼女の声が風に溶ける。
遠く、星が瞬き、世界が静かに呼吸を続けていた。




