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Chapter 7:時間上書(Superimpositio Temporis)

 ——「過去を変えるな。未来を書き換えろ。」——

 ——“Don't rewrite the past. Rewrite the future.”——




 俺は奥歯を噛みしめた。

   胸の灼熱と左腕の疼きが同時に暴れ出す。

   それを無理やり押し殺し、指先に力を込める。

   ——歯が軋む音が、静かな廃墟の中で嫌に響いた。


 頭の奥に、Nucleus(ヌークレウス) Terminus・テルミヌス(終焉コア)の影が焼きついている。

   消えない記憶。

   それは烙印のように、俺という存在を内側から侵していた。


「……紅蓮は?」

   掠れた声が喉から漏れる。

   わずかに震えていたのは、痛みのせいか、それとも……別の理由か。

   自分でも判別できなかった。


 白霧の瞳が、一瞬だけ揺れる。

   冷えた光の奥で、何かが揺れていた。


「……奴も研究員だった。お前と共に“コア”を創ったパートナーだ。」


 その言葉が、深く沈んだ水面のように、俺の内側へ染み込んでいく。


 ——白い実験室。

   無機質な照明。無数のコードが走るホログラム。

   床に倒れた血濡れの影。


 記憶の断片が浮かぶ。

   ……だが、それ以上は焼けるような痛みでかき消された。

   左腕のData(データ) Torrent・トレント(データの奔流)が唸りを上げ、視界が揺れる。


 落ちるわけにはいかない。


「……続けろ」


 俺の言葉に、白霧は一度目を伏せ、わずかな間を置いてから口を開いた。


「お前たちは、Codex(コーデクス) Terminus・テルミヌス(終焉コード)のフレームを設計した」

  「その中核に据えたのが—— Superimpositioスペリンポジティオ Temporis・テンポリス(時間上書)」


 その名が、胸の奥に引っかかる。

   記憶の端にあるが、像を結ばない。


「……あの日。奴は“コアの暴走”を目の当たりにした」

  「そして、全記録は……炎に焼かれた」


 ——記憶が裂ける。

   ——記憶が燃える。

   ——記憶が喰らう。


 あの灼熱が戻ってくる。

   視界に、崩れゆく都市の残像が重なる。

   高層ビルが倒れ、空は赤黒く焼かれていた。


 熱波が現実を歪め、鉄骨が音を立てて裂ける。

   焼け焦げた鎖が四肢を縛り、俺は高架の上で膝をついていた。


「これが……お前の望んだ未来なのか」


 ——誰かの声。

   怒りと、痛みと、絶望が混ざっていた。


 顔を上げると、炎の中に立つ一人の影。

   血に濡れた紅蓮。


「お前が言った。これは、俺たちの理想だと」


 焦げた左腕。

   右手には燃え盛るEnsis(エンシス) Inferni・インフェルニ(獄焰刀)。

   そして背後には、Nucleus(ヌークレウス) Ignis・イグニス(獄焰核)の脈動。


 呪いのように、彼の存在を形作っていた。


「なぜ……お前はこれを壊した」

  「コアを暴走させたのは、お前なのか」


 その問いに、俺は言葉を失った。

   記憶は——ない。

   俺には何も思い出せなかった。


「……お前なら、わかるはずだろ。

   俺たちの“理想”だったんだ……」


 紅蓮の声は、信じていた者への絶望に満ちていた。

   俺が裏切るはずがないと、信じていた者の声だった。


 ……だが、俺は何も持っていなかった。

   何一つ、覚えていなかった。


 ——記憶が崩れる。

   Data(データ) Torrent・トレント(データの奔流)が、すべてを飲み込む。

   紅蓮の声だけが、Abyssus(アビュッスス)(深淵)に残響する。


 ……はっ。


 意識が戻る。


 焼けつくような胸の痛み。

   暴れるように蠢く、左腕のデータ奔流。


 白霧が、すぐ傍に立っていた。

   その瞳が、まっすぐ俺を射抜いている。


「……奴はお前を“元凶”と断じた」


Mythos(ミュトス) Tenebris・テネブリス(闇神話)に忠誠を誓い、

   Nucleus(ヌークレウス) Ignis・イグニス(獄焰核)を宿し、執行者となった」


「お前という“誤り”を、完全に——抹消するために」


 その言葉が、現実として突きつけられる。


「……パートナー、ね」


 乾いた笑いが喉の奥でこぼれる。

   片手をポケットに入れ、指先で布地を弄ぶ。


「だから……あんなに燃えていたのか」

  「俺を焼き尽くす“憎しみ”で」


 遠く、廃墟の向こう。

   裂け目が赤く脈動し、Lumen(ルーメン・) Rubrumルブルム (猩紅之光)が空間を歪ませている。


 空気が震え、世界が変質し始めていた。

   何かが、そこに姿を現そうとしている。


 俺はその方向を睨みながら、問う。


「……Rex(レクス) Terminus・テルミヌス(終焉王)とは、何だ」


 その瞬間、白霧の指先がわずかに揺れた。

   Alba(アルバ) Noctis・ノクテス(白夜剣)を握る手が、ほんのわずか強張る。


 彼女は刃を納め、静かに答えた。


「——『Codex(コーデクス) Terminus・テルミヌス(終焉コード)』が目指す“究極”」

  「Futurum(フトゥルム) Ipsius・イプシウス(未来自身)の具現」


 ……未来自身?


Mythos(ミュトス・) Tenebrisテネブリス(闇神話) は信じている」

  「異質な個体を削除し、Extinctio(エクスティンクティオ) Corpus・コルプス(滅魂体)を確立すれば——

   その果てから終焉王が降臨し、全ての時間軸を統べる存在になると」


 その言葉を、俺は静かに飲み込んだ。


 ——俺は、その「異質」。

   この世界が拒絶した、唯一の“未完成”。


 瞬間、空気が震える。

   裂け目から囁きが漏れ始める。


「……インゾンシャ……カエレ……」

  「……Reliquiae(レリクィエ)……還る……」


 血のように重い痛みが胸を打つ。

   視線を落とすと、Signum(シグヌム) Terminus・テルミヌス(終焉刻印)が紅黒に脈動していた。


 ——崩壊が始まっている。


 Data(データ) Torrent・トレント(データの奔流) が暴走し、Fissura(フィッスーラ) Translucida・トランスルシダ(透明な亀裂)が肩口まで広がる。


 耳鳴り。視界の歪み。


「……この声は」


 掠れた問いに、白霧の声が返る。


「終焉王の力が、お前を侵食し始めた」


 彼女は身を翻し、言い放つ。


「——今すぐ、離脱する」


 俺は深く息を吸い、脈打つ紋章の痛みに顔をしかめる。


「……行くぞ」


 余計な言葉はいらない。

   俺たちは、影の中へと消えた。


 背後。

   裂け目から溢れ出したLumen(ルーメン) Rubrum・ルブルム(猩紅の光)が、廃墟を丸ごと呑み込んでいく。


 世界が、染まる。


 ……生き残りがいるか?

   そんなことは、どうでもいい。


 ただ一つ、確かなことがある。


 ——この都市の名は、Nova(ノヴァ) Tokyo・トーキョー

   俺が五年前、全てを失った場所だ。

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