Chapter 1:殞存者覚醒(The Awakening)
——「世界はすでに崩壊を始めているのか。」——
——“Has the world already begun to collapse?”——
——天が裂けた瞬間、俺は目を覚ました。
……あるいは、ただ意識が浮上しただけかもしれない。
頭の中はノイズに満ちていた。
思考は鈍く、現実の輪郭が曖昧に揺れている。
視界の中で、深紅と漆黒の光が交差していた。
それが空を裂いていた。現実か幻かは、分からない。
けれど、ねじれた光跡が何かを引き裂いた痕に見えた。
……既視感。
俺は、これをどこかで知っている気がした。
低い唸りが空間を震わせる。
胸の奥で、鈍い痛みが走った。
何かが、俺に干渉している。
それは宇宙規模の力か、もっと身近な“何か”か。
禁忌。秘密。残響。
頭に浮かぶ言葉だけが、意味を持たずに流れていく。
呼吸が浅い。重力が、微妙に重く感じる。
足元には砕けたコンクリートと歪んだ鉄骨。
焼け焦げた鋼材が転がり、どこにも「生」の気配はない。
あるのは、かつての「死」の痕跡だけだった。
誰のものか?
俺か、それとも別の誰かか。
いずれにせよ、記録する価値はない。
ノイズが頭を満たす。
Rubrum Rune(紅符)。
その断片が風に舞っていく。血のように赤い。
俺の血と、同じ色。
……いつ、流した?
記憶が抜け落ちている。
胸が締めつけられるように痛む。喉も渇く。
次の瞬間、声が届いた。
「……Reliquiae(殞存者)……還る……」
冷たい。遠い。
裂け目の向こうから響くその声は、呪いのように俺の中を刺した。
殞存者。俺のことか?
意味は分からない。けれど、完全な無関係とも思えなかった。
焼けるような痛み。
炎の残像。
記憶の隙間に、欠片が浮かんでくる。
忘却。欠損。
俺は今、“失った”状態にある。
心臓が一度だけ大きく跳ねた。
冷たい電流が全身を駆け抜け、神経が研ぎ澄まされていく。
痛覚が戻った。鋭く、焼けるような感覚。
胸が疼く。そこに確かに傷があった。
いつ負ったかは分からない。けれど、それはある。
破れたコート。滲む紅。
体を支えようと左腕を動かす——異変に気づいた。
皮膚の下で、情報のようなものが蠢いている。
視覚的に捉えられるデータの歪み。
記号のような符号が、皮膚の表面を這っていた。
現実との境界が揺らぎ始める。
輪郭が滲み、エラーコードのような光が点滅する。
時折、視界ごとノイズに飲み込まれそうになる。
……世界が、俺を拒んでいる。
それが真実か、主観かは関係ない。
重要なのは、そういう現象が起きているということだ。
心拍が乱れ、視界が歪んだ。
けれど——
俺の内側で、何かが目覚めつつあった。
それは力か、記憶か。
それとも、もっと別の“存在”か。
判断はできない。
「……俺は……まだ生きているのか?」
掠れた声が漏れる。感情は伴っていない。
ただ、事実を確認しただけだ。
裂け目の奥から、また声が届いた。
「——Reliquiae(殞存者)……還る……」
Rubrum Runeが明滅し、裂隙が広がっていく。
俺は拳を握った。
この痛み。この干渉。この呪い——
どれも、終わらせなければならない。
終わらせられるか?
分からない。だが、試す価値はある。
「……これは、何だ?」
再び呟く。
乾いていた。感情はない。
自己確認、状況把握——それだけに意味があった。
過去の断片が脳裏をよぎる。
燃え盛る高層ビル。崩れ落ちる都市。
紅い炎に焼かれる影。
五年前——
記憶が再生されかけるが、直後に歪んだ。
左目から視界が欠け、
冷たい虚無が広がっている感覚が残る。
俺の半分が、欠けている。
それは確定的な感覚だった。
「……世界は、すでに崩壊を始めているのか。」
声は淡々としていた。
胸の奥に何かがざわつく。
誰か、あるいは“何か”が、俺を呼んでいる。
けれど、その正体は分からない。
五年前、炎の中でそれを見た。
全てを失い、何かから逃げた。
あるいは、見捨てられた。
記憶は燃え尽き、灰しか残っていない。
右手のSignum Terminus(終焉刻印)が脈動する。
その鼓動が、裂け目と共鳴していた。
呼ばれているのか。導かれているのか。
それとも、破滅へと誘われているのか。
指先が震えた。
「……何かが、こちらに侵食している。」
現実の枠組みが歪んでいく。
その力の正体は、まだ分からない。
だが、確実に俺の存在を変えていく。
「この身体……あと、どれだけ持つ?」
あるいは、この力で俺が世界を壊すのかもしれない。
答えはない。
だが、それでも構わない。
記憶は焼け、内側は空洞。
それでも、俺は立っている。