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終焉コード:闇神話  作者: 雪沢 凛


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Chapter 9:記録なき名(Nomen Absens)

 —— 「忘れられても、存在している。」——

 ——“Even forgotten, I still exist.”——




 身体が、微かに震えていた。

   それは冷気のせいでも、疲労のせいでもない。

   もっと根源的な何か——

   忘却と、存在の否定から這い上がろうとする“自我”の疼きだった。


 喉が渇き、息が詰まる。

   声帯が軋むように震え、ようやく言葉が形になる。


「……俺は、鏡夜きょうやだ」


 音にするまでに、どれほどの時間がかかったのか。

   この名は、誰の記憶からも消えた。

   世界からも、データベースからも、そして——俺自身からも。


 だが今、その封印が解ける。

   この名を呼ぶのは、他でもない、俺だ。

   誰に許されなくとも、自分で認める。


 ——忘却の鎖は、今ここで断ち切る。


「俺は……Reliquiae(レリクィエ)殞存者いんぞんしゃ)じゃない」

  「実験体でも、“誤り”でもない」

  「俺は——九重ここのえ鏡夜きょうやだ」


 その瞬間——

   内側で、確かに“何か”が反応した。


 Data(データ) Torrent・トレント(データの奔流)が逆流し、

   左腕に広がっていたFissura(フィッスーラ) Translucida・トランスルシダ(透明な亀裂)の侵蝕が静止する。


 右手の甲のSignum(シグヌム) Terminus・テルミヌス(終焉刻印)が淡く光り、温もりにも似た脈動を返してきた。

   まるで、

  「ようやく戻ってきたな」

   とでも言うように——。


 俺は、ゆっくりと顔を上げた。

   空はなお荒れ狂い、世界の終わりはすぐそこにある。

   だが、口元が微かに歪む。


 疲労の底に、確かな意志が灯っていた。

   俺は、ここに立っている。


 そして——


 肩に、温かな感触が伝わった。


 振り返るまでもなく、分かる。

   白霧。


 氷の瞳に揺らぎがあった。

   いつも凍ったようなその光の奥に、言葉では言い表せない情緒が走る。

   それは——この世界に、まだ“温度”が残っている証だった。


「……この世界がすべてお前を忘れても——私は、お前を覚えている」


 震える声だった。

   だが、その震えには強さがあった。

   心の奥から、絞り出されたような確かさ。


 沈黙が、一瞬、空気を止める。


 そして、彼女の口元がわずかに緩んだ。

   それは、誰にも気づかれないほど儚い、けれど間違いなく「ぬくもり」だった。


「……おかえりなさい、鏡夜」


 ——その言葉が、魂の深層を震わせた。


 それは、確かに俺に向けられた呼びかけ。

   世界のどこにも残っていないはずの名前を、彼女は覚えていた。


「……どうして、お前だけが、俺の名を呼べる?」


 問いは冷静を装ったが、

   喉の奥に張り詰めた感情は隠せなかった。


 白霧の肩がわずかに動く。

   視線は外さないまま、彼女は静かに語り始めた。


「……私は|Conciliatorコンキリアトール(調律者)」


 その言葉には説明ではなく、

   ——“立場の宣言”があった。


「五年前、Mythos(ミュトス) Tenebris・テネブリス(闇神話)に選ばれ、

   Nucleus(ヌークレウス) Temporis・テンポリス(時間調律核)を埋め込まれた」


「私の任務は、Codex(コーデクス) Terminus・テルミヌスの安定を監視し続けること」

  「そして——事故の日。暴走したコアを止めようとした」


 声は淡々としている。だが、静かに揺れていた。


「その代償として、お前の存在は記録から抹消された」

  「——だが、私はReformatio(リフォルマティオ)の副作用により、記憶ロックから外れた」

  「だから、忘れなかった」


 その言葉の最後、白霧の指先がAlba(アルバ) Noctis・ノクテス(白夜劍)を強く握りしめる。

   その力の入り方は、ただの“剣士”ではない。

   記憶と責任、全てを背負った“観測者”のものだった。


「私は……ずっと、お前を待っていた」

  「何度、お前が消えても」


 ——何度も?


 俺は……この場所に、何度も立っていたのか?


「……どういう意味だ」


 問いかけても、白霧はもう答えなかった。

   ただ背を向け、低く、確かな声で呟いた。


「……行くぞ。時間がない」


 一つ、息を吐く。

   それだけで、すべてを切り替えることができた。


 視線を上げる。

   瓦礫の先、都市の中心。


 黒き裂け目が、鼓動している。


 ——全ての元凶。


 Rex(レクス) Terminus・テルミヌス(終焉王)


 今もなお、あの深淵の奥で息を潜めている。


「……次は、貴様の番だ」


 Signum(シグヌム) Terminus・テルミヌス(終焉刻印)が光を帯びる。


 その瞬間、意識の奥で音が響いた。


 Scriptura(スクリプトゥーラ) Nova・ノヴァ(新たなる書)

   ——“Reformatio(リフォルマティオ)”が、再び動き出す。


 書き換えは、始まった。

   これは、世界の救済ではない。

   ——誤った未来への、復讐だ。

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