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3/20

 翌朝――。

 私は侍女のマリーと連れ立って、パルミエーレ公爵家を元気よく出発した。父や母からはまだ渋い顔をされていたけれど、過度な干渉はされずに済んだのは幸いだ。

 兄がちらりと「本当に大丈夫なのか?」と気遣ってきたけれど、「ええ、大丈夫。私、意外と丈夫なんだから」と笑って返した。もちろん、それが完全な本心ではない。余命半年という事実は変わらない。だが、だからこそ今は楽しみたいと思う。


 「さあ、まずは仕立て屋さんに行って、あの“派手なドレス”の追加注文を考えましょう。昨日は時間が足りなくて全部のサンプルを見られなかったし」

 馬車の中で私がそう言うと、マリーは元気にうなずく。

 「はいっ。アメリア様は今、すごくお顔の色がいいですし、きっと店員さんも安心してご案内してくれるでしょうね」

 「そうだといいわ。前までは“あまり長く立っていられないんです”なんて言い訳をしていたから、お店側も気を遣っていたものね……。うふふ、なんだか本当に生き返った気分だわ」


 もちろん、実際は体の奥底に不安が眠っている。でも、それを思い出すたびに胸が重くなるのも嫌なので、今は考えないようにしている。殿下の束縛から解放された気持ちのほうがはるかに大きいのだから。


 王都の中心部。

 石畳の道は活気に満ち、通りには行商人や人力車が行き交っている。

 私とマリーは馬車を降り、さっそく先日訪れた仕立て屋に向かうが、途中で甘い香りの漂うパン屋を見つけて思わず足を止めた。


 「……わあ、朝焼きたてのパンの匂いって最高ね。ちょっと寄り道してもいい?」

 「もちろんです。アメリア様、最近食欲も戻ってきたみたいで嬉しいです」


 実際、ここ数日は以前より食欲旺盛だ。殿下に「太るぞ」などと止められていた反動かもしれないが、美味しいものを味わうたびに幸せを感じるのだから仕方がない。

 私が薄いショールを握りしめながらパン屋へ入ると、ほんのり温かい空気とバターの香りが鼻をくすぐった。


 「いらっしゃいませ! あ、お客様は……」

 店員が驚きの表情を浮かべて声を弾ませる。何しろ、公爵家の令嬢がこんな庶民的なパン屋にふらりと入ることなど、あまりないだろう。

 私は気さくに笑って「おすすめを全部2つずつちょうだい」と言うと、店員はわたわたしながら袋詰めを始めた。


 「アメリア様、その量……全部召し上がります?」

 小声でマリーが心配するが、私は「全部じゃないけど、持ち帰って皆にも振る舞おうかと思って。美味しいならたくさんの人に味わってほしいわ」と返す。

 ――なんてことない会話だが、以前の私なら「こういう行動は王太子妃にふさわしいかしら」といちいち考えていた。それをしなくていいのが今はとにかく気楽なのだ。


 買い込んだパンを抱え、仕立て屋さんへ向かおうと再び歩き出す。そのとき、視界の端で見覚えのある令嬢たちが雑貨店の前で集っているのに気づいた。

 「あれ……あの人たち、前に社交界でちらっと会ったわね。確か、男爵家のローラさんたちかしら?」


 人当たりのいいグループだったはずだが、なんだか揉めている風に見える。私はマリーと目配せをして、そっと近づいてみた。

 どうやらローラたち数名と、別の令嬢――見たことのない小柄な娘が、何やら言い争っているようだ。


 「あの……だから、返してくださいな。その本は私が先に手にとって……」

 「はあ? 先に手に取ったって、私たちが買うと言っているなら譲るのが礼儀でしょう?」

 高圧的な調子で言い放つのは、男爵令嬢のローラ。その取り巻きも「そうよ、私たちはまとめ買いするんだし、あなただけの都合を言われても困るわ」と詰め寄っている。


 どうやら雑貨店に置かれている輸入本が品薄らしく、ローラたちは力ずくで手に入れようとしている様子。

 (……単に先に買われたのが気に入らないだけじゃない?)

 私は苦笑する。さすがにこれは見過ごせない。庶民ならともかく、同じ貴族同士ならもう少し言い方もあるだろうに。


 「ローラさん、随分強引ね」と声をかけると、ローラは振り向いて目を剥く。

 「え、ア、アメリア……パルミエーレ様?」

 その名を聞いた取り巻きが一斉に姿勢を正す。“婚約破棄”の噂は既に知っているだろうが、それでも私の家は公爵家だ。さすがに無下には扱えない。


 「一体どうしたの? そんな大声で……」

 私が微笑んで問うと、ローラたちは一瞬言いづらそうに顔を見合わせ、やがて開き直ったように言う。

 「この子が、私たちがほしい本を先に抱え込んで譲らないんです。どのみちここにある数が足りないのなら、一人が全部買うより、私たちみんなが読んだほうがいいと思わなくて?」


 取り巻きたちも頷き、「そうよ、こんな子一人が読むより私たち数人が回し読みしたほうが有効活用できるわ」と言い募る。

 それを言われていた小柄な令嬢――どうやら地方の子爵家の娘らしい――は目を潤ませ、困り果てている。

 「わ、私が先に見つけたからこそ、一冊だけ買いたいと言ったのに……全部手放せってあんまりです……」


 (なるほど。要するに、ローラたちが横取りしようとしているだけじゃないの)

 「ねえ、ローラさん。あなたは“効率のいい使い方”を言ってるみたいだけど……本当にそれが目的かしら?」

 私が涼やかに問いかけると、ローラは少し言葉を詰まらせる。


 「ど、どういう意味よ?」

 「単に“先に買われて悔しい”“自分たちがまとめ買いしたい”だけでしょ? 効率だの何だのは言い訳にしか聞こえないわね」


 取り巻きの一人が「そ、そんな言い方……」と口を開きかけるが、私は笑みを浮かべて更に続ける。

 「それに、その子が先に見つけて手に取っていたのなら、あなたたちこそ譲るべきじゃない? さっき聞こえたわ、“こっちには貴族仲間が多いから譲らないといけない”みたいに言ってたけど、そんなの筋違いよね。順位で言えば、先に手に取った人が買う権利があるわ」


 ローラたちは周囲の目に気づき始め、居心地悪そうに視線を泳がせる。ちらほら通行人が足を止めて何事かと見つめているのだ。

 私の知る限り、ローラたちは自分たちを“上位の貴族”と誇示することはなかったが、弱い立場の人を前にすると威圧的になりがち。以前から噂で耳にしてはいたけれど、いざ直面すると不快なものだ。


 「ち、違うわよ。私たちは別に横取りなんて……ただ、こっちのほうが人が多いんだから融通を利かせてほしかっただけで……」

 苦しい言い訳をするローラ。だが、周りで見ている人々はもう彼女たちに呆れ顔だ。


 小柄な令嬢が、意を決したようにぺこりと頭を下げる。

 「ごめんなさい。私、どうしてもこの本を手に入れて遠くの病気の親戚に届けたくて……読み聞かせてあげたいというか……。だからどうしても譲れないんです!」


 その言葉を聞いて私の胸が少し熱くなった。私も病を抱えているからこそ、身近な人の苦しみに対して何かしてあげたいという気持ちが痛いほど分かる。

 「ね、ローラさん。あなたの立場なら別の店やルートで取り寄せることもできるでしょう? これ以上、弱い立場の子に絡むのは恥ずかしいだけよ。――それとも私たち公爵家に騒ぎが広がってもいいのかしら?」


 そこまで言うと、ローラは目を伏せて「……わかったわよ」と投げやりに呟く。

 「悪かったわね。とにかく、あんたの好きにしなさいよ」と小柄な令嬢に向かって雑に言い捨て、取り巻きを引き連れ足早に立ち去る。

 完全に負けを認めたくはないのだろうが、ここでこれ以上粘れば、私を敵に回す形になるし、世間体だって悪くなる。それを計算したのだ。


 残された小柄な令嬢は、ほっと息をついて私に頭を下げる。

 「あ、ありがとうございます。助かりました……私、あの人たち相手だとどうしても言い返せなくて……」

 「いいのよ。大したことしてないわ。あなたが堂々としていれば何も問題ないけど、相手に圧で来られると怖いわよね」


 「それでも、すごく心強かったです。パルミエーレ公爵家の令嬢って伺ってたけど……噂以上に優しくて、かっこいい方ですね」

 彼女はそう言ってにっこり微笑んだ。私は少し照れるが、嬉しい。先日の婚約破棄騒動以降、周囲からは「アメリア様が変わった」「なんだか強気になった」といろいろ言われるけど、それで誰かの役に立てるのなら悪くないと思う。


 「ありがとう。あなたも、遠慮しすぎないでね。買い物って、先に手に取った人が優先なんだから」

 私がやんわり励ますと、彼女は「はい……がんばります!」と小さく拳を握って答えた。


 ――そんなやり取りを横で見ていたマリーが、店先から離れたタイミングでこっそり囁く。

 「やりましたね、アメリア様。さすがです。ちょうどいい“断罪”って感じで!」

 「断罪というほど大げさじゃないけどね……まあ、少しくらい“わからせ”たかったのは本音かも。なんだか、こういうことを黙って見過ごしたくなくなったの」


 前は、私自身が“理想の后”という拘束の中で余裕がなかったから、他人の揉め事に口を出そうなど思いもしなかった。でも今は、体の不安を抱えつつも心は元気。視野が広がった分だけ、“あれ?”と思う出来事にも自然に介入できるようになっているのかもしれない。


 「アメリア様、本当に強くなられましたね。お姿がまぶしいです」

 マリーの言葉に、私は少し照れながら頷く。確かに、殿下に遠慮してた頃の私では想像できない行動だ。何せ、余命半年を知って吹っ切れてしまったわけだから。

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