16
村を後にして数時間。目的地の湖がある町は、山のふもとに広がっていた。青く澄んだ水面が遠目にもわかり、見晴らしのいい峠を越えた瞬間、アメリアは息を呑む。
「わあ……なんて綺麗な景色」
旅籠の看板が建ち並ぶあたりから小さな港が見え、船で湖を遊覧できるらしい。マリーが「これは楽しみですね」と、はしゃぎ気味だ。
早速、町の宿で荷物を降ろし、地元民が運営する遊覧船へ。乗客はほかにも数人いて、中には観光客らしい若い娘たちが笑い合っている。
船が湖へ漕ぎ出すと、透き通った水面と緑の山々がパノラマのように広がる。アメリアは船の先端に立ち、そっと腕を広げる。
(今まで屋敷と都に閉じこもっていた頃には想像もしなかった風景。服が少し濡れてもいいから、この風を感じたい)
湖風に髪をなびかせながら、アメリアは満ち足りた表情で空を見上げる。周りの客からは「あの方、優雅で素敵だわ」と囁かれているらしいが、本人は意に留めない。ただ自然を満喫しているだけ。
マリーが「まるで夢みたいな眺めですね」と隣で呟くと、アメリアは静かに同意。
「こんな一面があったなんて。都会の喧騒から離れるのも悪くないわ。ここには派手なパーティもない代わりに、心を癒やすものがいっぱいある気がする」
湖畔にある茶屋にも寄り道し、名物と言われる焼き菓子と冷えた果汁飲み物を楽しむ。店の人と談笑していると、「最近、都のお嬢様がよく来るようになって活気が出たんですよ」と嬉しそうに語られる。
前のアメリアなら、何かにつけ“都の格式”を気にして十分に楽しめなかっただろう。でもいまは、素朴な味や人のやさしさに心がほっとする。
ちょうど滞在日の夜、湖上で花火を打ち上げる催しがあると聞き、アメリアはマリーと連れ立って行ってみることに。
地元の人たちが手作りで準備したそうで、規模は大きくないが、夜空を彩る火の光が湖面に映る様子が幻想的らしい。宿の主人が「ぜひ湖畔へどうぞ」と誘ってくれた。
夜になり、湖畔に点々と明かりがともる中、ドーンという音とともに花火が打ち上がる。黒い空に鮮やかな火の花が咲き、湖にぼんやりと反射して二重の彩りを生む。人々が一斉に歓声を上げる。
アメリアも息を呑む。「きれい……」
屋敷の奥深くで過ごしていた頃とはまるで違う世界がそこにあった。前までなら、あの“都”でやたら厳粛な儀式に参加させられていたかもしれないが、今はこうして木のベンチに腰を下ろして、静かに夜空を見上げられるのだ。
ふっと視線を下ろすと、村人や観光客がみんな笑顔で盛り上がっている。この地は平和で、美しいものを共有する喜びに満ちている。
マリーがそっと隣に座り、「ねえ、アメリア様。こんな風に遠くの場所に来て、予定も組まずに楽しむのって素敵ですね」と声をかける。アメリアは「うん」と頷くが、もう言葉はほとんど要らない気がする。十分に心が満たされているから。
花火の光が湖面に落ちるたびに、アメリアの目がかがやく。頭に浮かぶのは、いまの自分がいる世界の広さと、まだ見ぬ場所が無限にあるという期待感だ。
きっとあの頃の暮らしだったら、こういう景色は一生知らなかっただろう。人形のようにイベントに参加して、華やかなふりをするだけで精一杯だったかもしれない。
いま、アメリアは自分の意志で行動し、自分の好きなものを見つけられる。それがたまらなく心を弾ませる。
花火の余韻が消えていき、人々が三々五々帰り始めたころ、アメリアとマリーはその場にしばらく留まる。暗闇の湖は神秘的な鏡のようで、近くの藪からは虫の声が鳴き響いている。
「明日はこの辺りをもう少し散策して、気が向いたら別の町へ移ろうかな……。道に迷ったらそれはそれで面白い」
「はい、どこでどんな人と出会うかわからないのが醍醐味ですよね」
そうして二人は夜道を戻って宿に入り、布団へ身を横たえる。疲れはあるが嫌なものではない。明日もまた、新鮮な出来事が待っているかもしれない。
(ほんの些細なことがこんなに楽しい。旅はまだ続くし、いろんな場所や人に触れていきたいな。何か問題があれば、力になれる範囲で力になろう。そうやって私は大きくなっていくんだと思う)
この地を出たあと、どこへ向かうかもまだ決めていない。そんな自由さが、アメリアにとっては何よりの宝物だ。
静かに目を閉じると、頭の中に花火の残像と湖面のきらめきが蘇る。まるで次の冒険を予感させるように、彼女の心をやわらかく包み込んでいた。
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