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私の名前は、アメリア・パルミエーレ。

 王国屈指の名門、パルミエーレ公爵家の一人娘として生まれ、幼い頃から“王太子妃”になるための教育を受けてきた。

 ――もっとも、その教育の大半は私自身の意志とは無関係のものばかり。両親や周囲、そして肝心の王太子殿下から押し付けられた“理想の后”を演じるための訓練とでも言うべきものだ。


 まず私は、セオドア・ヴェルディクト王太子の「好みに合わせる」ことを要求された。髪型は清楚にまとめること、ドレスは淡い色を基調にし、華美になりすぎないように。

 笑い方や話し方まで、「こうすれば気品がある」「口角はもう少し上げろ」など、事細かい指導が舞い込む日々。

 私がたまに派手な色を選ぼうものなら、「そんなけばけばしい服は王太子妃にふさわしくない」と強めに咎められた。最初は、その程度のことなら頑張れると思っていたのだ。


 だが、それだけでは終わらない。

 立ち居振る舞いから食事のマナー、趣味までも殿下に合わせて“上品で温厚な令嬢”を徹底的に演じなければならない。しかも、もともと活発な性格をしていた私にとって、それは苦痛以外の何物でもなかった。

 人前では柔らかく微笑む。彼の前では「はい、わかりました」と一切反論せずに従う。“いい子”を続けるたび、私の内側から何かが削れていくような気がしていた。


 それでも「これが王太子妃になるためなら仕方ない」と、ずっと自分を納得させてきたのだ。公爵家の娘として生まれた以上、家の期待もある。前世で失敗した私にとっては、“今度こそ周りに合わせてうまくやらなきゃ”という思いが強かったのかもしれない。


 ――しかし。

 ほんの数日前、私は王宮付きの侍医から恐ろしい事実を知らされることになった。


 「アメリア様、慎重にお伝えしますが……あなたの症状は思ったより深刻です。余命は、半年ほどでしょう」

 「……半年、ですか? 本当に……?」

 冗談のようだと思った。だって特別な大病の自覚はなく、少し体調を崩しやすい程度で、それがいきなり命に関わるなんて。


 けれど侍医は低い声で続ける。

 「申し訳ありません。あらゆる手を試してみましたが、劇的な回復は見込めず……日々、少しずつ容体が悪化していると判断せざるを得ません。絶対ではありませんが、長くとも半年というところです」


 絶望感と混乱に襲われながら、私は部屋に戻って膝を抱えた。

 半年……そんな短い時間で、この人生に幕が下りるかもしれない。


 最初は涙が止まらなかった。でも、しばらくして急に笑いたくなる衝動に駆られたのだ。

 「……何のために私、理想の后を演じてきたんだろう。あと半年しか生きられないかもしれないのに」


 周囲に合わせて、息苦しいだけの日々。その先にある未来が、まさか半年で終わるなんて。だったら、もう私の人生は私の好きにさせてもらいたい――そう思った瞬間、胸が不思議なほど軽くなった。

 殿下のためにドレスを選ぶのも、彼の“上品”基準で笑うのも、まったく馬鹿馬鹿しい。限られた時間なら、なおさら自分のやりたいことを優先すべきじゃないか。


 そして私は、ちょうどその翌日、王太子殿下から呼び出しを受けることになる。

 「アメリア様、殿下がお呼びです。『至急』とのことで……」

 侍女のマリーが申し訳なさそうに告げるが、私は鏡に映る髪をあえて少し崩してみた。以前なら“きっちり一房も乱さず”が必須だったのに、今はそんなの知るもんか。


 「わかったわ。行きましょう、マリー」

 私の妙な落ち着きに、マリーは少し心配そう。しかし、私は決めている。殿下に何を言われても、もう遠慮はしない。


 王宮の大広間。

 そこに待っていたのは、銀髪をなびかせ、いつも傲慢な物言いをしていた王太子セオドア殿下。そして、彼を取り巻く数名の貴族令嬢。

 殿下はいつになく居心地悪そうな顔をして私を見ていた。


 「……急に呼び出して悪いが、お前に話がある」

 言葉少なに切り出す殿下。その傍らで取り巻きの令嬢がにやりと不敵な笑みを浮かべているのが見えた。

 私は胸騒ぎを覚えながら、敢えてゆっくり微笑んだ。

 「はい、どんなご用件でしょう? またドレスの色が地味すぎるとか、笑顔が足りないとか、そういうお話?」

 私の返答に、殿下が「……は?」と目を見張る。今までなら私がそんな軽口を叩くはずがなかったからだろう。


 「いや、その……アメリア。お前、最近どうしたんだ? なんだか態度が変わったように見える……」

 うろたえる殿下。それも仕方ない。私自身が“いい子”をやめると決めてから、口調さえ遠慮なくなってしまった。


 「ご心配なさらず。私は変わっただけですよ。――それで、肝心のお話というのは何ですか?」

 すると、取り巻きのなかの伯爵令嬢がわざとらしく咳払いし、「殿下、はっきりおっしゃって」と煽る。


 殿下は一瞬うつむき、決意したように顔を上げた。

 「……婚約を、解消させてほしい。お前には悪いが……やはり合わないと思うんだ」


 ああ、やっぱりそう来るのか。私は内心でため息をつきながらも、すんなり受け止める。

 「ふふ……わかりました。承諾しますね」

 即答に、殿下だけでなく取り巻きたちも呆気に取られる。伯爵令嬢は「えっ、そんなにあっさり?」と唇を震わせた。


 殿下は動揺を隠せず、「お、お前……抵抗しないのか?」と聞いてくる。

 私は軽く肩をすくめた。

 「抵抗? いいえ、殿下が望むなら破棄しましょう。もともと“理想の后”だなんて、私には重荷だったんです。――むしろこれで自由になれますわ」


 「じ、自由……?」

 驚いた様子の殿下。取り巻き令嬢たちも「なんて生意気!」と目を剥いているが、私は彼らの視線など歯牙にもかけない。だって、もう半年しか時間がないなら、気にするだけ損だから。


 「殿下は今まで私を“こうあるべき”と縛ってきましたよね。でも最近、私は自分が本当にどうしたいかに気づいたんです。あなたに完璧に合わせることだけが、私の人生じゃない」

 「な、何を勝手なことを……!」

 殿下は苛立ちを露わにするが、隣の伯爵令嬢が「殿下、お気を確かに」と控えめに腕を引いている。どうやら彼女こそ、私に代わって殿下の傍に立ちたいのだろう。


 私は冷静に言葉を続ける。

 「殿下、これでお望みどおりですね。もう私が“あなたの好みで飾られた人形”を演じる必要はなくなる。――ああ、ついでに言うなら、体調が悪い私と結婚しても、将来的に困ることが多いでしょうし」

 体調という単語を出した途端、殿下が一瞬うつむいた。どうせ私の弱さを疎ましく思っていたのだ。表面上は「労わる」と言いつつ、本心は自分の理想から外れる存在を拒否していただけ。


 「じゃ、じゃあ本当に……お前はそれでいいんだな?」

 殿下が最後の確認をするように問う。私は笑みを浮かべ、「ええ」と頷く。

 「殿下のほうこそ、もっと素直に従ってくれる令嬢を見つけられるでしょう? 私も残りの時間を好きに生きたいので、ちょうどいいじゃありませんか」


 殿下は「あ、ああ……」と戸惑うばかり。取り巻きたちは伯爵令嬢を中心に「殿下、よかったですね」と媚びた声を上げているが、私はもう興味がない。

 「それでは、この場で失礼します。後日、公爵家のほうから婚約破棄の正式な手続きを進めさせますわ」

 最後に軽く会釈して、踵を返す。こんなに胸がすっきりするなんて思いもしなかった。


 広い廊下を出ると、待っていた侍女のマリーが駆け寄ってきた。

 「アメリア様……本当に受け入れちゃったんですか? 婚約破棄なんて……周りに何を言われるか」

 私はマリーの心配を笑みで受け止め、そっと返す。

 「大丈夫よ。どうせ私には時間がないし、王太子妃になる意味が見いだせないもの。――それより今は、晴れやかな気分すら感じるわ」


 するとマリーも少し安堵したようで、けれど落ち着かない様子で付いてくる。

 「この先、殿下や公爵家の皆様がどう反応するかわかりませんけど……それでもアメリア様が笑っていられるなら、私はそれでいいと思います」

 「ありがとう、マリー。私もあなたがいてくれるから頑張れる。……いえ、もう頑張らなくてもいいのかな。あと半年しかないなら、頑張るより楽しんじゃおうかしら」


 「半年」という言葉を口にするたび、胸に鈍い痛みが走る。だけど、それ以上に“理想の后”をやめて解放された快感が大きい。


 ――こうして私の婚約は、あっけなく破棄されることになった。

 だが、むしろ「やっと自由になれた」と思うばかり。


 長くても半年。

 ならば、誰に何を言われようと、自分を偽る必要はない。好きな服を着て、好きなものを食べて、思い切り遊んでやる。

 もし周囲が笑いたければ笑えばいい。それこそ“理想の后”からは程遠い姿だと指摘されても、こちらには何の痛痒もないのだ。


 マリーの手を引きながら王宮を出ると、空は雲ひとつない快晴。まるで私の新しい人生を祝福してくれているようだった。

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