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セッション9.ハマダさんの決意

 マコトに促され、剛志はハマダさんに電話をかけた。再会談は2日後、ハマダさんは店の名前と住所、地図をメールで送ってきた。店名から察するに小料理屋のようだった。前に会った小さなレストランとは別の地下鉄路線の駅が最寄りで、剛志が行ったことのない駅名が記されていた。マイナーな駅だ。地図を検索してみると、店は路地裏にあるらしい。きっと隠れ家のようなこじんまりとした店なのだろうと剛志は想像した。場所の選択にも、ハマダさんが相当に気を遣っていることが伺える。

 マコトにはあのように助言されたが、剛志はまだ決心がつかないでいた。

<香凜と永遠に会えなくなることに耐えられるのだろうか>

 普通なら香凜の生命が途絶えた時点で、この別れを受け入れなければならなかった。しかし、剛志は別の道を選択した。この5年間、剛志はメモリーバンクを介した新しい香凜との生活にどっぷりと浸かっていた。それは人生の一部として、剛志から欠かせない時間になっていた。

 香凜のいない毎日。それは剛志にとって、一度覗いたことのある深く暗い淵だ。再びその深みに身を置くことなど想像をするだけでも恐ろしい。

<香凜を諦めることなどできない>

 メモリーバンクで体験してきた香凜との逢瀬は、剛志にとっては現実そのものだ。今さらそれをなかったことになどできる訳がない。

 マコトには否定されたが、剛志はハマダさんを説得するつもりで、指定された店に向かった。


 ハマダさんが予約した店は、剛志が想像した通りの佇まいだった。コンビニやファストフードのチェーン店が立ち並ぶ通りからは、一本奥まった路地にひっそりとのれんを掲げていた。常連でなければ見つけることも難しそうな、まさに隠れ家といえるような小料理屋だった。

 剛志はのれんをくぐり店内に入った。L字型のカウンターと4人掛けのボックス席がいくつかあるだけの狭い造りで、ハマダさんはカウンターの奥から2人目の席に就いていた。他に客はいなかった。

「高木様、ご足労いただき恐縮です」

 立ち上がったハマダさんは、カウンターの一番奥の席を手で指し示した。剛志は勧められるまま席に就いた。

「飲み物は何になさいますか」

 カウンターの中の店主が訊いた。静かで落ち着いた口調だった。

「ビールをお願いします」

 店主は冷蔵庫から瓶ビールを取り出し、手際よく栓を抜いてグラスに注いだ。

 剛志とハマダさんは無言でグラスを合わせた。剛志は一気にグラスのビールを飲み干した。ハマダさんはグラスに口をつけただけだった。

「まずは私どもが今後取るべき行動について説明致します」

 前置きなくハマダさんは切り出した。いかにもハマダさんらしい振る舞いだ。

「当社がお預かりしている記憶データは万が一に備えて3カ所に分散して保存しております。本社のメインサーバーに加えて、北海道とアメリカ本土のデータセンターです。高木様のように記憶内容に改変を加える場合も、データをセグメント化し3カ所で相互補完的にバックアップしている仕組みでございます。我々の調べでは、どうやら奴らはアメリカのセンターを狙ったようです。この前は、基幹システムの一部を改変することまでしてセキュリティホールに穴を開けたとお伝えしましたが、本社のサーバーのシステムを改変するのは、たとえ一部であってもリスクが余りにも大きい。そこで奴らはバックアップのサーバーを狙ったのではないかと…」

 剛志は言葉を差し挟むことなくハマダさんの説明をじっと聞いた。

「最も重要なことは、高木様が当社との契約を解除された瞬間に、この3カ所のサーバーで同時に消去の作業をしなければならないということです。これは自慢でもなんでもないのですが、当社のバックアップシステムは完璧を期しております。全てをワンパッケージでバックアップしているのではなく、データを複雑にセグメント化して3つのサーバーで相互補完できるようにしてあるのです。3カ所同時に消去の作業を実行しなければ、データの復元が可能になってしまうのです」

 剛志は黙って話を聞きながら、ある種の恐怖を抑えられずにいた。

<ハマダさんの決意は固い>

 剛志はハマダさんを説得するつもりで再会談に臨んだが、ハマダさんも相当な決意をもってこの場所に来ていることが、ひしひしと伝わって来た。

「もうひとつ忘れてはならないのは、奴ら、高木様ご夫妻の記憶データを盗み取って研究を続けているチームのサーバーと端末にも対処しなければなりません。会社の経営層の許可を得た上で極秘に進めているプロジェクトです。その存在を知るものは社内にほとんどおりません。所在を突き止めるのは困難でしたが、やっと奴らの尻尾をつかまえることができました。私どもは通常のサーバー3カ所と奴らの研究拠点、この4カ所すべてで消去作業を同時に行えるよう、すでに準備を整えております。あとは…」

 剛志はごくりと唾を飲み込んだ。

「高木様に契約解除通知書への署名、捺印をいただくだけです」

 そう言ってハマダさんは俯いた。二人の間に長い沈黙が訪れた。

「もう香凜には会えなくなるってことですよね」

<何か言わなければならない>そう思って剛志は言葉を絞り出した。しかし、言葉は当たり前すぎて、自分自身で言葉の空虚さにうろたえた。ハマダさんは黙って剛志の瞳を見つめていた。

「香凜の記憶と直に触れ合うようになって、自分がいかに香凜を愛していたのか、香凜が僕を愛してくれていたのかが分かるようになりました。それは会話を通じて理解するのではなく、直接脳で感じることができました。機械を介してそのような行為をすることを最初は後ろめたく感じたこともありましたが、この5年の歳月を経て、それは僕にとって自然なことであり、このような夫婦の形があっても良いのではないかと思えるようになりました。こうした考えを持てたのも、ハマダさんのチームのみなさんのお陰なのです。今さらそれを全て捨て去ることなど、僕には考えられない」

 ハマダさんは目を逸らすことなく、じっと剛志の訴えに耳を傾けた。

「しかし…」

 ハマダさんは苦し気な表情で反論した。

「今それをやらねば…高木様ご夫妻の尊厳を守ることができなくなってしまいます。恐らく製品のパイロット版が完成するまでに残された時間は1カ月ほどしかないでしょう。パイロット版が公開されてしまったら、大量に複製されて関係各所に配布されます。そうなってしまうと完全に消し去ることは不可能となってしまうのです。今が最後の機会なのです」

「しかし…」

 剛志は言葉を詰まらせた。だが、思いをハマダさんに伝えなければならない。

「香凜の記憶データが全て消去されてしまうんですよね…僕には耐えられない。香凜の死に二度立ち会うようなものです」

 ハマダさんは奥歯をぎゅっと噛みしめた。

「お気持ちは痛いほど分かります。高木様の苦悩に比べるべくもありませんが、我々のチームも皆、忸怩たる思いでおります」

「何とかならないのですか。契約を破棄しないで済む方法はないのですか」

 しかし、剛志の懇願にもハマダさんは動じなかった。

「このようなことをお伝えするのは誠に心苦しいのですが、当社のサーバーに奥様と高木様のデータが残ってしまったら、再び同じ企みが行われない保障はございません。これ以外に高木様ご夫妻をお救いする術はないと私どもは考えております」

「救う…僕たちを」

「その通りでございます。高木様ご夫妻の尊い思い出を商業的な金儲けに利用するような輩から、お二人がともに生きていた証を守り救うには、これしか道はないと存じます」

「ともに生きていた証…ですか」

「はい。当たり前のことですが、お二人がご一緒に築かれた思い出は誰にも犯すことはできません。記憶屋としては矛盾した言い分になってしまいますが、このような事態になってしまった以上、かけがえのないお二人の記憶は当社のサーバーではなく、高木様の中に置いておかれるのが適切ではないかと…私は思います」

「ハマダさんを責める訳ではありませんけど、それは余りの言いようではありませんか。メモリーバンクの仕事そのものを否定することになる」

「おっしゃることはごもっともです。ですから、先日、当社にはもはやお客様の記憶を預かる資格はなくなったと申し上げました。これは偽らざる本音でございます。当社はお客様のみならず社会に対しても責任を取らなければなりません」

 ハマダさんの強いまなざしを受け、剛志は思わず怯んだ。

「社会に対する責任とは…まさか」

「お考えの通りかと存じます。高木様に関わるデータを全て消去した後、今回、当社が引き起こした事態を洗いざらい告発するつもりです」

 ハマダさんはそう言って唇を真一文字に結んだ。

「そんなことをしたらハマダさんは…」

「告発をしてもしなくても、もちろん会社にはいられなくなるでしょう。データの消去は会社にとっては一種の破壊行為となりますので、作業に協力した私のチームのメンバーにも厳しい処分が下ると思います。ですが、それでことを終わらせてしまっては、これまで私どもが取り組んできた仕事への責任を果たすことにはなりません」

「そこまでして…僕のために…ですよね」

「高木様への責任を果たすというのが、もちろん第一にして最大の動機ですが、それだけではございません。私どもはお客様が大切にされている記憶を預からせていただき、それを守ることを生業としてきました。多少言い訳めいてしまいますが、我々のチームは、高木様に満足のいくセッションをしていただくために、寝食を忘れるくらい作業に没頭してきました。それは職業という枠を超えた充実した日々でございました。その過程でたくさんの成果も上げることができたと、ささやかに自負もしております。しかし、それが仇となってしまい、会社の不正を促してしまいました。こうなってしまった以上、私どもにできることは、奴らのたくらみを阻止し、会社の暴走を止めることだけなのです。そのために、この事態を告発し社会的な責任を果たさねばなりません」

「ハマダさん…」

「当社がやってしまったことは、そのくらい重大な違反だと痛感しております。高木様のお辛さに比べたら、我々が職を失うことなど些細なことに過ぎません。そもそもお客様の記憶を正しくお預かりできなければ、私どもの存在価値はないのですから」


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