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セッション7.記憶の使い途

 ハマダさんの話は続いた。メモリーバンクという巨大な会社の一員であるハマダさんが、顧客である剛志にこのようなことを告げること自体、会社という組織にとっては裏切り行為だ。自分たちの記憶データを勝手に研究に使っていたことに対する憤懣はもちろん剛志の胸の内にあったが、それと同時にハマダさんの立場はどうなるのか、漠然とだが剛志は心配になった。しかし、ハマダさんの意志は揺るぎないものに見えた。最初は恐縮した口ぶりだったが、会社の失態を暴露してから、ハマダさんの話しぶりは鋭さを増した。

「社内でそのような動きがあることは薄々察しておりました。私どものチームは注意深くそれを監視し、データを奴らに見られないよう注意していたのですが、あるとき、ひとりの研究員が気付いたのです。おふたりの記憶データを密かにコピーしていた痕跡に」

「コピーですか…」

「デジタルのデータですので、在処さえ分かればコピーは容易にできます。我々は端末や世界各地に点在させているミラーサバ―を監視して、そのようなコピーが行われないように注意していました。もちろん社内規定で、そのようなコピー行為は禁じられています。ですが、私は奴らが規定を無視してもそれを狙うだろうと予想し、高木様と奥様のデータに独自のガードを設けていたのです」

「でも、それを破った人がいた、ということですね」

 ハマダさんは無念の表情を見せた。剛志はこれまで、自分のセッションのことを深く考えたことはなかった。メモリーバンクという会社のサービスだと単純に考えていたのだ。だが、その陰でハマダさんのチームがこれほど深い気配りをしていたことを初めて理解した。

「奴らはサーバーの基幹システムを一部こっそり更新することまでして、私どものつくったセキュリティに穴を開けました。アクセスログもすっかり書き換えられていました。それに気付いたのは、前回のアクセスの前日でした」

「だから、あの日、ハマダさんはあんなに狼狽したのですか」

「はい、あのセッションで、奥様はそれまでになかった積極性を見せたと、高木様は仰いました。それこそが奴らの欲していた機能だと考えたからです。まだ時間がかかると思っておりましたが、甘かったと反省しています。あの日のセッションはすべきではなかった」

「奴らが欲していた機能と言いましたね」

 ハマダさんは深い苦悩の表情を見せた。

「私が思うに、奥様は性に関して控えめで保守的な考えをお持ちでありました。ですが、私どもは本来奥様がお持ちでなかった性格を意図せず付け加えてしまいました。性に対する積極性です。奴らが奥様と高木様の記憶を利用していたのは、AIを用いたある製品をつくるためなのです。その切り札となる機能が、あのセッションで実現してしまった。奴らは喝采したはずです。私どもはスペードのエース、切り札を渡してしまったのです」


「でも…」

 剛志は声を絞り出した。

「香凜の記憶は僕の脳内でしか再現できないんじゃなかったですか」

「私どもはそのように調整しておりますが、奴らはそれをAIにもできるようにプログラミングすることを目指しています。記憶のデータに汎用性を持たせ、特定の目的をもった商品化する企みなのです」

「つまり、香凜や僕の記憶データを、得体のしれないAIが処理するということですか。しかも、商品化ということは、それを全くの赤の他人が利用できるようにすることですよね。究極のセキュリティはどうなってしまうのですか」

 剛志は想像するだけで怒りと恐れが身体に充満していった。

「同じ会社におりながら、そのようなことを考える連中がいるということは恥ずかしい限りです。AI開発チームのリーダーは私と同期入社です。機械工学のエリートで、社内でも出世頭と言われています。これは私の想像ですが、記憶データのコピーはかなりの上席の許可をもらっているはずです」

「会社ぐるみということですね」

「高木様から見るとそのようになってしまいます。申し開きの言葉もございません」

 ハマダさんはそうした会社の不正行為を剛志に対して正直に打ち明けている。いわばハマダさんは剛志の側に立って戦ってくれている。そのことを頭の中では理解しても、剛志の怒りが湧き上がってくるのを抑えられなかった。

「そうまでして開発している製品というのは、何なんですか」

 ハマダさんは下を向いた。はっきりと告げづらいものなのだろう。

「僕には知る権利があると思います。ここまで説明したら、もう隠す必要はないんじゃないと思いますが」

 ハマダさんは顔を上げた。そして静かに言って唇を噛んだ。

「奴らが開発している製品は、AIが介在した性風俗向けのMCIシステムです」

 剛志は頭をこん棒で殴られたような気がした。香凜の病を医師に告げられた時と同じくらいの衝撃と怒りで目の前がクラクラした。

「性行為の記憶をAIで処理し、利用者の脳に直接働きかけることで、商業的用途に使える商品をつくろうとしています。先ほど、特定の目的をもった商品化と申しましたが、奴らの狙いはそれです。その商品に奥様と高木様のデータを利用しようとしているのです」

「…」

 剛志は何をどう具体的に反論してよいのか分からなかった。ただ真っ黒な怒りが腹の底に充満しているのを感じていた。

「もちろんパーソナリティは消去し、映像や音声はAIを介して商業的な素材から得ることになりますが、体験の記憶そのものは奥様と高木様の記憶データを根幹にしていると思われます」

 姿かたちや声が他のものに変わったとしても、2人の間に起こった体験の記憶が赤の他人の欲望を満たすことに使われる、想像しただけで剛志は吐き気がした。

「香凜が凌辱されたような気分です」

 やっとの思いで剛志は口を開いた。

「お気持ちは充分理解致します。私どものチームも憤慨致しました。もちろん上席や経営陣に不正を訴え、それを止めるよう進言しました。ですが…」

「僕らの記憶を使う謂れはないでしょう。そのAI開発に携わった人たちに罪悪感はなかったのですか」

「仰る通りです。私どもも怒りに震えておりますが、我々のチームが高木様との関わりの中で蓄積した知見は、世界中のどの研究よりも高度で先進的でした。奴らの研究にとって、その成果は喉から手がでるほど欲しいものだったのです。私の同期のリーダーは悪びれることなく言いました。『鍵穴を人間からAIに変えるだけのことだ。オリジナルの人格は消去されているのだし、気にすることはない』と」

「ひどい言い草だ」

「人の気持ちが分からない奴らには、人の記憶を扱う資格はありません。同時に、そのような人間が好き勝手できるようになってしまった当社も、記憶屋の仕事を続けていくことはできなくなってしまったのです」

 ハマダさんはそう言って、剛志がかつて見たことのない哀しい表情で唇を嚙みしめた。


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