0-7
キャンプ『ヤマネコ』の尋問室は食糧庫の近くに位置している。見張りはここを『屠畜部屋』と呼ぶが、理由についてはキャンプの誰もが触れたがらない。
密閉された建屋の中は血臭が蒸しており、そこでクロノは枝肉のように吊るされている。明滅する裸電球が照らす彼の顔は容赦ない殴打により、裂傷と内出血に腫れて腐敗した果実を思わせた。その前で錆びたナックルダスターを握るのは、色落ちしたレインコートを纏う痩せた長身。ヤマネコを仕切るキャンプ長のアキだった。
入ってきた人影を認めると、彼は血濡れた道具を手術台に載せ、手の汚れを拭って向き直った。
「ハヤミ、ヨシノ。ご苦労だった。しかしチグサを生け捕りに出来なかったのには失望した。賞金稼ぎの仕事ぶりとは言えん」
ハヤミは無言で『アンチ・レイン』の箱をミニリュックから取り出し、アキの足元へ投げて寄越した。彼は拾い上げて中身を確かめると、近くの見張りに渡す。
「『アンチ・レイン』が手元にあればハツネが助かったとは言わん。『カイセイ』は並外れた医療機関だが、死者の蘇生にはまだ成功していない。マツキの哀れな悲願は叶うべくもなかった。だが問題はそこにはない。あれは規律正しいキャンプ民が命を懸けて依頼を受け、達成し、そこに全財産を積んで求めた報酬だ。如何に無意味であれ手にする正当な資格があった。チグサが汚したのはただの薬ではない。『ヤマネコの秩序』そのものだ。分かるな?」
ハヤミに詰め寄るアキの前へ、ヨシノは割り込むように歩み出た。
「アキ先生の道徳授業に私は夢中だよ。アクビを我慢してこれ以上聞けってなら、ナカノに依頼を出してくれないか? 報酬はキューバ産のシガレットで。散々迷って欠席してやるから」
クロノの呻き声に気付き、ヨシノは彼を横目に見た。何をさせても不器用な青年だった。調達で仲間を庇ったときに足を負傷し、チグサに傷の手当てを受けて以降、優柔不断な彼はずっと彼女を目で追うばかりだった。あまりに歯がゆく尻を蹴ったこともある。この様子、ヘタレのくせに最後まで口を割らなかったのだろう。
アキが薄気味悪く笑った。
「そうだな。ヤマネコの初歩など、いまさら賞金稼ぎに説く筋ではなかった。……それで、持ってきたんだろうな?」
フードから覗く顔相は髑髏のように引き攣れている。死人みたいなツラのくせに目だけがギラついていた。ヨシノはチグサが愛用していたネックレスを取り出すと、それをアキに投げてよこした。
「報酬はすぐに用意できるんだよね?」
「ナカノに言ってある。好きなときに取りに行け。『チグサの件だ』と言えばそれで分かる。……おい。処刑場の準備をしておけ。2時間後に吊るし上げる。キャンプ民にも声をかけろ。『引き締め』だ」
見張りに言い捨ててアキは扉へと向かった。その背中を「おいアキ!」とハヤミが呼び止める。
「換金所でケチな金額交渉が始まったらお前の身体も処刑台で靡くからな? クロノの隣は今日一杯空けておきなよ。たまには自分で雨乞いするのも悪くないだろ」
「約束には応える。知っているだろうハヤミ? 無駄口には付き合わん」
アキは出て行った。確かにあの男は非情だが非道ではない。揚げ足も取らないし、約束を違えたこともない。金庫番たるナカノの対応も自販機のように正確だった。
言い足りない様子のハヤミを宥めるように、ヨシノは彼女の背を叩く。
「カエデの様子を見に行こう。ハヤミさんの眼鏡にかなった優秀な人材なんだろ?」
「ああ、首の『キスマーク』見たらヨシノも納得するよ。四本入ってる」
数秒後、意味を理解したヨシノはそれとなく見張りの不在を確認し、それから軽い眩暈を覚えた。