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 小女――焼却隊のサイジョウは空いたフッ化水素のポリエチレン容器を転がし、バネ仕掛けで飛び出した銀色の小型拳銃(ピコ)を袖の隠しホルスターへ仕込み直した。

 薬物の副作用で溢れて来た右目の涙、それをめそめそと拭ってからゆっくり起き上がり、看護師白衣(ナースウェア)を模した軍服の埃を払う。気怠そうに白髪をかきあげたとき、首に『M∞』と読めるミミズ腫れが一瞬ちらついた。

 床で悶えるヨリキに、一歩、二歩と、彼女は鼻歌交じりに近づく。


「 ……ユーゴ」


 呼ばれた怪物は、マスクが軋ませながらサイジョウを伺った。


「このネズミを消毒なさい。でも、加減してね」


 怪物が屈んでヨリキの顎をオレンジのように掴んだ時、骨の砕ける音が鈍く籠った。男の絶叫はグローブのような掌に封じられ、狂ったようにバタつく足が痛みを代弁する。その身体を小枝のように持ち上げると、主の従僕たる怪物は盾付火炎放射器を廊下に向け、試射として二つの引鉄を撫でる。同時、破裂するような高圧力でゲル化ガソリンが噴射され、そこに着火器具が青くスパークした。

 高密度の炎が奔流となって走り抜ける。

 進路上の障害物を薙ぎ払う様はまるで紅蓮の津波だった。炎の舐めた後には圧を伴う熱波が巻き起こり、煽られた瓦礫は灰をまとって転がっていく。たった一度の試射でフロアは灼熱地獄に変わった。襲撃時に壁を粉砕したのはこの一撃に違いない。

 死に物狂いで藻掻くヨリキの下半身に、燻ぶる噴射口がゆっくりとあてがわれた。サイジョウは彼女なりのデリカシーなのか、恥じらうようにくるりと背を向ける。


「……ユーゴ。今度は『Ⅳ度』までよ?」


 主の言葉に従うように、火炎放射器の気筒(シリンダー)からむせ返るようなガスが噴き出た。怪物なりの加減はそれで済んだらしい。再びその太い指が、徐々に二つの引鉄を握り込んでいく。霧のように噴射されていくガソリンに下半身が濡れ始めると、ヨリキは恐怖を堪えきれず潰れた顎を震わせた。

着火器具が青くスパークした瞬間、フロアは快晴のごとく照る。

 背後で湧いた熱波が少女の髪をふわりと遊んだ。

 籠った悲鳴、脂と火花が爆ぜる音、焼けた皮膚と衣類の焦げ付く臭い、それら死の感覚を背中で味わいながら彼女はめそめそと涙を拭う。床に写る男のシルエットは炎のなかで手足を振り回し、まるで駄々をこねる子供のようだった。


「Ⅲ度熱傷。真皮まで焼けたら痛みが和らぎます。次は、少し楽になるかもね」


 もう一度熱波が巻き起こり、嗤う少女を炎が照らした。悲鳴は咳き込むような呻き声に変わり、絡みつく炎が炭の苦みをまとい始めた。


「Ⅳ度熱傷。組織の炭化。身体は体液の多くを失ってショック状態を引き起こすわ。今なら手術に『アンチ・レイン』を併用すれば命は助かもね。……あ、つかぬことをお聞きしますが、このあたりで年の離れた姉妹を見かけませんでした? 優秀な助手と希少な素材なのですが……そうだ、お写真は」


 サイジョウは一枚の写真を胸のポケットから取り出したが、既にネズミの目は焼いていたことを思い出して振り返る。

 ヨリキは溶けた眼球を迫り出して事切れていた。

 そこから目線を下げると同時、影よりも黒くなった下半身から、水分の飛んだ膝下が崩れ落ちた。


「Ⅴ度熱傷。炭化による両・下腿部の自然脱落を確認。心肺停止状態(シーピーエー)。……ユーゴったら、『Ⅳ度まで』って言ったのに」


 怪物はヨリキを掴み上げたまま沈黙し、主の口惜しそうな表情を伺っている。分厚いマスクの奥には彼女同様、渦巻いた瞳が秘められているが、少女はそれを見透かすように頷き、怪物に遺体を降ろさせた。炭と灰に変質した下半身は床に触れるそばから崩れていき、ヨリキは不出来な胸像のように転がる。


「まぁ、済んだことね。……他にも汚いネズミがいるようだし、駆除しておきましょうか」


 ――ここでまた、『オードブル』の続きがあるかもしれないし。


 人知れぬ願いを秘めたサイジョウは涙を拭って上向き、天井越しに何かを見つめる。


「……だから、皆さん」


 誰とになく声をかけると、いまだ燻ぶる玄関が蹴破られ、ブーツの足音が雨音のように響いてきた。進入してきたのは焼却隊だ。煤けた耐熱軍服とガスマスクは彼らのトレードマークにして敵対者への音無き晩鐘。ユーゴと呼ばれた怪物には及ばないが、彼らも人とは呼び難い異形であり、その両手にはやはり象徴たる盾付火炎放射器が握られている。

 続々と整列展開して指示を待つ部下に向け、彼女は囁くように号令した。


「――定期清掃、お願いします」


 焼却隊は炎の海で散開した。

 そして事実、『ネズミ』がいたのだろう。

 ほどなく、銃声、悲鳴、熱波のウネリが辺りで弾ける。サイジョウは涙を拭いながらその音を堪能する。穢れ切ったこの世界が、また少し清潔になるのだから。


「パセリ、セージ、ローズマリー、アンド・タイム」


 サイジョウはまた、めそめそと歌う。彼女の小さな足が蟻のように踏み潰しているのは、床に焦げ付いたハザキの脳だった。

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