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【同日・午後8時】
ヤマネコに帰還したハヤミは、居住区でヨシノの膝に応急手当をすると、換金所に交渉へ向かう間もなくアキの呼び出しを受けた。
――幸先最高かよ。クソ。
ハヤミは舌打ちし、覚悟を決めて『屠畜部屋』に向かった。
血臭がむせ返る薄暗い建屋の中では、既に死神が眼光鋭く待ち構えていた。これが例の依頼と無関係のはずがない。最悪はカエデのことが割れていた可能性もある。ハヤミが我知らず唇を舐めると、開口一番で言われた皮肉は、しかし彼女にとって想定外のものだった。
「カイタ病院に向かったそうだな。フチュウの悪ふざけが過ぎたとはいえ、正気とは思えん。お前たちを襲った野盗に感謝しろ。辿り着いていたらヨシノは灰に、お前は被検体として無間地獄に落ちていた。実験狂のカイセイにとって、不死にどれほどの価値があるか。考えるんだな」
ハヤミは耳を疑った。あの死神が人の身を案じているのだ。その真意を探ろうと『赤毛に需要があるならカラースプレー取り寄せな』と皮肉でけん制しようとしたき、アキはレインコートのフードを取った。
ハヤミは目を眇めた。
初めて見たアキの頭。そこに毛髪はなく、頭皮は複雑な皺を刻んでいた。火傷の跡だ。それも頭だけではない。顔全体だ。薄暗いフード下では髑髏のような引き攣れに見えたが、それは古いケロイドが造る奇怪な陰影だったのだ。
「教えてやる。俺は過去にヤツを……サイジョウを二度殺している。一度目は肉片しか残らん集中砲火、二度目は肉片も残らん爆弾でな。しかしヤツは死ななかった。殺傷計画では仲間に多くの犠牲を強いたが、他の焼却隊を殲滅こそすれ目的は果たされなかった。……ヤツはお前と同じだ。『成り損ない』ではなく『成り切って』いたからだ。殺害が不可能なのは知っていた。しかしオレ達には抵抗の意志を示す必要があったのだ。……カイセイは、注意区画で地図更新しかできん無抵抗の人間を拉致し、被検体にしていたからな。……二度の殺傷計画の後、オレ達は初めて『ヤマネコ』を名乗り、『カイセイ』と協定を結ぶべく交渉の場を設けた。そこがカイタ病院だ。オレはそこで右耳を削ぎ、サイジョウに差し出した。『二度も焼却隊を失うのは痛手だろう。これを機会に三度目はないと約束する。代わりに、注意区画の者たちに――オレのキャンプ民に手を出すな』と」
アキは自身が切り取った右耳の跡を見せてから、再びフードを被った。
「ヤツはその場で付き添いの仲間二人を撃ち殺し、オレの顔面に劇薬を浴びせた。爛れるオレの顔を見ながらヤツは笑った。これが『オードブル』かどうかはオレ次第だ、とな。そして時間をかけて、俺の耳を食った。……それだけだ。反発するわけでも交渉するわけでもなく、ただそれだけで、ヤツは引き揚げた。しかしそれ以後、注意区画でカイセイに襲われるキャンプ民はいなくなった。……良いか、焼却隊とサイジョウには関わるな。得るものなど何もない。意思持つ災厄だと考えろ。ヨシノの面倒はキャンプが見てやる。だからしばらくは大人しくしていろ。……カエデの方も何とかしてやる。良いな。話は以上だ。下がれ」
ハヤミはアキと睨みあったが、やがて何も言わず出て行った。
十数分後、気配もなく入ってきたのは換金所のナカノだった。包帯に覆われた口元の血糊を拭うと、声音が分からぬほど静かに語り掛ける。
「やはりフチュウは、どうしてもカエデを引き取りたいそうです。元々が小児科志望の医大生だったことも考慮し、私の裁量で許可しました。死別した弟を真似たあの爪齧りが、少しは収まると良いのですが」
「カエデをカイセイに売り飛ばすためハヤミらは治療を依頼してきたと、フチュウはそんな勘違いをしていたらしい。あの娘が脱走者であることを逆手に取り、二人を脅迫して無謀な依頼を受諾させ、失敗を理由にキャンプから追放してカエデを守ろうとした。そんなところか。互いに言葉の足りんバカな連中だ」
「……ところで、少尉。ハヤミとヨシノを足止めするために、『ヤマネコ』の通信をカイタ方面の野盗に盗聴させていたのは少尉だったのですか?」
アキは答えずに、手術台の上に置いた散弾銃を取り上げ、具合を確かめてからナカノに渡した。
「ハヤミがまたバカをやらかす前に、例の『野盗牽制』依頼を貼り出してくれ。報酬は『コイーガの葉巻』にしろ。ヨシノが飛びつき、ハヤミが請け負う。マイタニ周辺での活動はまだホイールマンと折り合いがついてないが、ユズリはあれでいて話が通じる男だ。今回のことと無関係でもないし、多少の無茶も多めに見るだろう」
「その件ですが、既にハヤミはキャンプ管理の手榴弾を申請してマイタニの旧発電所に向かいました。ホイールマンのアジトです。内容は少尉が依頼していた『快楽主義者シギタへの報復』です。少ならかぬ私怨がありそうでしたが、彼女なら今度こそ完遂が見込めるため許可しました。伝言を預かっています。『ヨシノとカエデの医療費を稼いでくる。それがヤマネコの秩序だろ』です」
アキとナカノが尋問室を出ると、空から眠い雨が降ってきた。キャンプ民も賞金稼ぎも、野盗も。雨の日ばかりは全てが屋根を求める、汚れ切ったこの世界で、一台の車が不死を乗せて消えていった。