#1 非常な日常
”私”の異様な日常
常識は碌にない
2023年3月の昼頃、涼しげな風と穏やかな日差しが、都会の森にゆったりとした時間を届けている。
時刻は、13時
都会の喧騒を渡り歩いて行く人々は、光の下にある影の生温かな空気を知ることなく、いつもの日常を過ごしていく。
住宅街のとある路地、そこには”KEEP OUT”と書かれた黄色と黒色のテープが、人々の日常を妨げていた。
「ったく、一体これで何件目だ?」
「今週で3件目です。未だに犯人の足取りも掴めていない状況ですよ。」
後頭部を搔いているスーツを身に纏った50代ぐらいの薄毛の男と、手帳を持った若いスーツ姿の男が、膨らんだビニールシートを見ながら話している。
「俺たちも暇じゃないのによ、こっちの案件かいちいち確認しなきゃいけねぇのが面倒だわ。」
気だるそうにシートを眺め、一つ溜息をつく。
若い男が、困ったよう笑いながら眉を下げ、
「はは、一体犯人は何が目的なんですかね。こんな異様な殺し方するなんて…」
と、脳内に残るシートの中身に疑問を浮かべる。
「知らねぇよ。というか、俺たちが知ることもねぇ。」
彼の言葉に若い男が首を傾げる。
「え…っと、知ることもないとは…?」
彼のその言葉に、男は驚きの色を表しながら、乾いた笑いを零し、
「まさか、お前こういうの見んの初めてか?はっ、なら先に言っとけよ。車ン中で説明してたわ。」
と、若い男を小突いて目を細める。
若い男は、彼に言葉に困惑しながらも、何か不手際をしてしまったのかと思い、慌てた様子を示す。
「す、すみません…!」
「あーいや、まともな案件引け続けてたってことで、お前、運が良いんだな。」
慌てた彼を見ながら、男は愉快そうに笑い続け、そのまま言葉を続ける。
「こーいう“人が”殺ったモンじゃねーのは、俺たち刑事課の担当じゃなくて、別のモンが担当すんだよ。」
「人がやったもんじゃない…?」
「いちいちこっちかあっちの案件か確認しなきゃいけねぇのが面倒だけど、こういうやべーのに手を付けなきゃなるよりかはマシだマシ。」
彼の言葉に対して、分かっていないような表情を見せながらも、その声に耳を貸し続ける。
男は、そんな様子なんぞ気にも留めず話を続ける。
「お前も遺体を見ただろ?上半身と下半身が引きちぎられたように分断してる。2人以上の犯行だとしても、人の力じゃまず出来ない殺し方だ。こーいう死体を、俺たち警察官は、“怪死”と呼んでんだよ。流石に怪死は聞いたことあんだろ?」
彼がシートに意識を向ければ、青空の下には似つかない乾いた鉄のにおいと異臭が鼻を擽る。
「…怪死は聞いたことあります。非人為的な死体ですよね。…これが、そうだったんですね…」
「んで、怪死、明らかに人じゃできねぇ殺しや、人が関わってないと判断された事件は、俺たちじゃなくて」
「すみません!」
男が次の言葉を続けようとすると、それを遮るかのようにかっちりとスーツを着た女性が、頭部の高い位置に一纏めにした髪を乱しながら、黄色と黒色のテープを潜って現場に足を踏み入れる。
透き通った鈴のような声が、荒い呼吸と共に空気を揺らす。
若い男は驚愕した表情に困惑を、男は嘲笑するように鼻を鳴らし、それぞれ2人は異なる瞳で彼女を映す。
「よーやっとおいでなすった。こっちが確認するまで来れないのかぁ?変わりモン集団のヤツはよー。」
ニヤニヤと憎たらしく笑いながら、女性に向かって指をさし、馬鹿にするように言葉を発する。
若い男がおずおずと言った様子で控えめに声を出す。
「え…っと、警部、この人は…?」
「おー、此奴は対応課、こーいう怪死が生まれる事件、“奇怪事件”を受け持たされる変人集団、“奇怪事件対応課”の変わりモンだよ。ま、この刑事ちゃんは変人の中でも、目立った問題行為を起こしていない方だけどなぁ。なぁ、紺衣ちゃん。」
面白いものを見るような目つきを向けられる彼女は、申し訳そうにしながら、乾いた笑いを小さく零し、彼らに向かって頭を下げる。
「遅れてすみません…!奇怪事件対応課、紗嶋 紺衣、現場の引き継ぎに来ました!」
「はいはい、じゃ、さっさと解決してくれよ。こんな事件が続いてりゃ、こっちもやってられん。」
彼女の言葉が終われば、そそくさと撤退するかのように男は、現場と日常の境界線を越えていく。
彼らの様子に終始困惑しながらも、「引き継ぎ…」と小さく声を零しながら、若い男も警部と呼んだ男に付いていき、コンクリートの上を駆けていく。
彼女は、彼らが道路上から見えなくなるまでその背を見つめ、見えなくなれば、張り詰めた糸が切れるように一息つき、振り返る。
光の無い街灯の下、日の光に照らされたシートから臭う鉄と死の香りが鼻を掠めていく。
彼女はその場でしゃがみ、冷や汗を一つ垂らしながらそのシートを捲る。
一切の生の無いそれは、腰部分を境に上半身と下半身が2つに分かれ、食欲のそそられない肉と骨が見える断面からは、乾いた血だまりが繋がっている。
まるで引きちぎられたかのような跡を見るのは3回目だが、どういう形であれ、人の形を外れた死体を見るのには慣れることが無い。
自身の呼吸音を聞きながら、彼女は瞼を閉じ、亡者に向けて手を合わせる。
拍動する音、耳を擽る風の声、心地の悪い空気、全てを照らす日の光の下で、身体の主を送る祈りではなく、この死体に強い未練が残っていないことを願う祈りをする。
数秒経った後、彼女は目を開き立ち上がり、俯瞰するように遺体を一瞥する。
上半身下半身共に損傷部分は、上半身と下半身の分離部分と、前腕に擦り傷があるだけで、他は血色の無い白い姿である。
この死体が、1件目、2件目の事件と同じ傾向であることが一目でわかる。
また、上半身と下半身の腰部分の大きさが一致しないことも、彼女がこの死体に違和感を覚える原因となっている。
鑑識から受け取ったクリップボードの資料によると、上半身と下半身はDNAが異なり、全くの別人のモノだと断定されている。
上半身の方からは血が地面に流れておらず、断面が乾いていることから、上半身と下半身の損傷時刻は異なっている。
明かな怪死体に彼女は顔を顰め、辺りを見渡す。
自分と鑑識、そして死体以外は、ただ人々が平穏に日常を送るための街並みが広がっている様子を見て彼女は、目の前の空間に独り言のように、
「流石に、何もないね。」
と、小さく呟き、目元にかかる前髪を払い退け、異物の気配がないことに胸を撫で下ろす。
1件目、2件目と変わらない、人の仕業ではないと証明する上半身と下半身を引きちぎられたかのような跡、前腕にだけ這いつくばったような擦り傷、上半身と下半身の損傷時刻が異なっていることから、彼女は、この事件を改めて“怪異”の仕業だと決定付けた。
彼女の中で容疑者が決まれば、それが見えない自分に出来ることはない。
彼女はスマートフォンを取り出し、プライドの高い先輩に叱られるのに恐怖しながらも、電話帳にある、“阿崇探偵”という4文字を探すのであった。
時間は遡ること、光が高い12時30分
カーテンで窓の半分を覆い、お昼時の日差しと青空を隠した事務所の中で、私を含めた2つの影が各々机に向かっていた。
私は背凭れに寄りかかり、青白い光を発する四角い画面から顔を離す。
顎まで伸びた前髪を払いヘアクリップで緩く留め、毛先が乱雑に外側に跳ねた髪を指の間に通し、後頭部を掻く。
淡い鼠色のシャツは、自分の性格を表すように細かな皺を作り、大剣より小剣の方が長く結ばれたネクタイは、私のだらしなさを際立たせる。
昼間の暖かな日差しを避けても、誘われる眠気に瞼で視界を塞ぎ大きく口を開く。
眠気と言う海の中で舟を漕ぎながら、波に従おうとしたとき、
「お姉ちゃん!」
メゾソプラノの柔らかな声が、私の眠気を逃がすために空気を漂う。
その声が耳に辿り着けば、自然と眉間に皺を作り、顔を顰めて片目を開き、再び大きく口を開いては、固まった身体を解すように両腕を前に伸ばす。
自分と顔立ちが似た、否、自分より少し顔立ちが幼い、しっかりとスーツを着こなし清潔感を露わにした、緩いボブヘアの可愛らしい見た目をした私の妹を、頬杖をつき半分まで開いた瞳で見上げる。
折角の昼寝日和を邪魔され意識せずとも機嫌が悪くなっていくが、邪魔をした当人が可愛らしい見た目と声の彼女なので、憎むことが出来ず、不機嫌さを表に出さずに、眠気を含んだアルト声で彼女に反応する。
「なに?」
彼女は、こちらに向けるノートパソコンの画面を指差し、「これ見てて、」と視線を下げて私に見ることを促す。
更に眉間に深く皺を作り、またか、と思いながら、主張するように大きな文字で“阿崇探偵事務所”と書かれたホームページを見つめる。
体内時計で10秒の時間が経つと、その画面中央に、文字が描かれた“横長の真っ赤なポップアップ広告”が映り出す。
“あなたは /好きですか?”
文字の間に不自然な切れ目があり、その文字の右上には、広告を削除するための×印がついている。
「お姉ちゃん、そろそろこれ、どうにかしないと問い合わせがこれで埋まっちゃうよ。」
困ったような声色を出しながら、目尻を下げ口角を上げている彼女をチラッと見ては、カーソルを操作し、画面中の×印をクリックする。
押した瞬間だけその広告は消えるも、同じ広告が繰り返し表示され、何度も何度も消していけば、広告内の文字は次第に、
“あなたは /好きですか?”
“あなたは 赤/好きですか?”
と、謎の切れ目から文字が現れてくる。
すると、手動で広告を消さずとも、広告自体が勝手に消えては現れてを繰り返し始める。
“あなたは 赤い/好きですか?”
“あなたは 赤い部/好きですか?”
その変化を、私も彼女も静かに見つめている。
“あなたは 赤い部屋/好きですか?”
“あなたは 赤い部屋が/好きですか?”
その文字が映ると広告はとたんに切り替わり、画面全てを埋めるほどの大量の人名が映り出す。
部屋の中は2つの呼吸音以外の音が無く、冷たい空気が流れたような気がした。
私は変化を見届ければ、流れを変えるように鼻から空気を抜き、再びカーソルで右上の×印をクリックする。
画面は、阿崇探偵事務所というタイトルに、“怪奇現象・奇妙な夢・行方不明事件に遭遇したら、いつでもご相談に乗ります!”、“浮気調査、迷子のペット探しなどは受け付けていません。”と備考が表示されている。
“赤い部屋は好きですか?”
この都市伝説は、フラッシュと呼ばれるジャンルに存在するホラー系フラッシュの一つで、昔はゲームの一つとして楽しまれていた。
消してはいけないポップアップ広告で、“あなたは 赤い部屋が/好きですか?”まで映ると、この広告による犠牲者の名前が列挙された画面に移り変わる。
その瞬間、見た人は、身体が金縛りの如く動かなくなり、背後から迫りくる謎の気配により、部屋を自分の血で真っ赤に染め上げ、死んでしまうというものである。
私は間を置き、顔を上げ、彼女を見ては、
「もう誰かを死に追いやるほどの効力は無いし、死んだ人間も増えてないからいいだろ。」
と、片手間でポーチを探り、ビー玉ぐらいの大きさの“深紅のガラス玉”を指で挟んで取り出す。
ガラス玉を日の光に向け透かすと、中には真っ赤な誰かの部屋と真っ赤なポップアップ広告、そして、真っ黒な人影が写る。
彼女も釣られるようにそのガラス玉を覗き込み、その後、視線を私に向ける。
「それでも、この広告のせいで死ぬかもしれないとか、このホームページやばいって問い合わせが来てるんだよ?そろそろどうにかしないと、悪評広まって依頼が来なくなるかもよ?」
「寧ろそれぐらいがいいって、…これで怯む常人なら、そもそも怪異に遭遇してないし、身内が変な事件に巻き込まれても無いだろうしな。私は、支離滅裂な依頼しか求めてないから。」
「それは、そうだけどね?…でも、まともな困った人の相談にも、私は乗れるなら乗りたいけど…!」
私は、ガラス玉を手の中に閉じ込め、彼女の方に向き直り、空っぽの手で彼女の首元に輝く暗い赤色の玉に触れる。
静かに込み上げる感情を殺しながら、
「あんま、らしいことを言うなよ。」
と、自然と低くなる声で、彼女に圧を掛ける。
しかし、そんな圧なぞ知らず気にせず、
「ごめんって、…お姉ちゃんがいいならいいよ、私はお姉ちゃんのやり方が好きだから。」
と、私の好きな優しい笑みを浮かべ、柔らかな声色で話す。
私は小さく、ちっ、と舌で音を鳴らし手を離して、掌の中にあるガラス玉をポーチに仕舞い込む。
少しの嫌気と心地悪さを腹の内に秘めながら椅子から立ち上がり、切り替えようと頭を左右に揺らすと、昼ご飯を何にするかと脳内に浮かんでくる。
「フォームには何も無いし、昼飯は食いに行くぞー。」
今日は手軽なものでも食べに行こう、と事務所のカーテンを閉め、ポーチを腰に巻いて扉へと向かう。
彼女も、「はーい」と軽い足取りでノートパソコンを自分の机に閉じて置いて、私の後ろに付いてくる。
身だしなみを整えて外へと繰り出す彼女と、室内と変わらずだらしない姿の私では、人間性も性格も異なるのが明確に分かるだろう。
これから君たちは、怪異を見つける手段として探偵をしている私、“阿崇 鳴”と、妹であり助手でもある彼女、“阿崇 恵”の人生の一幕を見ることになる。
異界に住む君たちが、私たちの人生を何処まで見れるかは分からないが、私は、君たちが見ていることを分かっているから、時々気にするようにはする。
さて、今日は近くのコーヒーが美味しいカフェで昼食を済まそう。
風に混ざる嫌な気を肌に感じながら、話しかけてくる彼女の言葉に相槌だけをして、一歩一歩目的地へと歩んでいく。
prrr…
スマートフォンから、良くある着信音が鳴る。
画面を見ると、そこには“紗嶋刑事”と書いてある。
あぁ、今から昼食を取ろうというのに、本当にこの刑事は毎回タイミングが悪い。
しかし、怒ることも断ることもする訳にはいかない。
彼女は、奇怪事件の担当になる度に私を呼んでくれる、分かっている警察官だ。
私は、着信音がワンコール過ぎた辺りで電話に出る。
「もしもし、こちら阿崇探偵事務所、ご用件はなんでしょう。」
分からないがあるから、自己解釈が捗ります。
あなたの好きな都市伝説は何ですか?
by.KAlaN