第3章33「水面に浮かぶは隠者の影12」
至近距離で耳を衝く、全身に悪寒を走らせた老司祭の託宣。心臓を素手で握られた後のような不規則な鼓動音が、死神に至近距離まで接近させてしまったオレの間抜けっぷりを自己非難しているようだ。
オレの鼓膜を激しい心音が揺らす理由は、これだけではない。オレの懺悔を遮った老司祭の挑発は、明らかな敵意を持っていた。
オレたちに対する敵意ならまだ良い、理解できる。だが言葉というものは厄介で、一度発せられたものは敵味方問わず、拡声器の如くばら撒かれていく。
「ファ、ルス…さま?」
視線で説明を訴える少女、「レイラ殿と相討ちにすらならぬとは、使えぬのぅ」とでも言いたげな視線を返す老司祭。少女にも同じく敵意を向けられていた事実は、彼女自身に大きな衝撃を与えていた。
「ぁ、ぁぁ…」と狼狽える様、絶望に満ちた表情を目の当たりにし…つい同情の念を抱いてしまう。二人の築いていたであろう関係は、たった一言で崩れ去った。
(失敗したら死ぬ運命だって、自分で言ってただろう…。今更打ちのめされるんじゃねぇよ…。)
だが、同情以外にも沸々と湧き上がる怒りがあった。ーーオレのこの猛り狂う鼓動は、どうやら薪をくべている音だったのだ。
オレは確かに言った、既定路線から外れた道も悪くはないだろうと。それに無理だと、あの時は返した。
事実、レイラさんもソレイユも、少女が取った行動を赦すつもりはないと断言した。彼女たちに下る懺悔の道は、一見して閉ざされている。
オレは確かに言った、生きる事を諦めるなと。それは無理だと、少女は心から叫んでいる。
瓦礫に埋もれた味方を庇う為に恩恵を使い、しかし最後の命綱と頼った上司?には評価されず捨て駒にされ、気がつけば全員から命を狙われる三面楚歌。
…そう、まだ三面。最後の一面の門戸はまだ開いている。それを指摘しようと顔を上げたがーー。
「戦場で迷子とは、救いがありませんなぁ?」
まるでオレの心を読んでいたかのように、老司祭に襲撃された。…そうだ、レイラさんが傍にいるとはいえ、まだ近接距離にいるのだったと間抜けに思い出す。
それはまるで、刃先が5つに割れた刺突剣。撃てば一撃必殺であろう光矢すら使わず、しかし伸びる腕は冷たい光が帯びている。見る人間が見れば、恐らく光矢と同じ性質を帯びていると察する事ができただろう。
当然、触れられたら命はない。防御しても同じだろう。それだけは、戦闘素人のオレでも直感した。このままでは、オレの命が先に潰される事もーー。
「カケル様、失礼しますッ!」
重ね塗られる敵意と、それを弾く浄化。音なく迫る老司祭の皺の寄り始めた掌と、体重80キロ超えのオッサンの身体を軽々と持ち上げる女教皇の腕。同じ光の属性を持つ二つの腕は、交差する事はなく。
法王の掌は空を掴み、女教皇の腕に抱かれた四肢は今も繋がっている。…すんでの所でオレは、レイラさんの機転に救われたのだ。
「チィッ!」と舌打ちしながら光の弓矢を取り出した老司祭の追撃ーーそれがオレの眉間に照準を合わせる頃には、レイラさんは充分に距離を稼いでくれていた。
「あ゛?あたしの後ろに立つんじゃないわよ。あぁ、ここで蹴り殺してほしいって事?ならそう言いなさい、最高に良い夢を最期に見せてやるから」
「カケル様をお護りする為、ソレイユ様を盾にするこの方法が最善だと何故解らないので?…あぁ、ファルス様の光に当てられて、ついに思考回路がおかしくなりましたか。良いでしょう、お望み通り拳で壊して差し上げます」
一言二言どころか、百言も足りなさそうな二人の会話。言葉が足りなければ肉体言語で補えば良いじゃないと臨戦態勢に入っているが、今はそれどころではない。
「二人とも、お互いに歩み寄る姿勢を見せてください!?それと今は命の危機なんですから、時と場所を選んでください!!」
かくして、戦場における木偶の棒が嫌な予感に身を任せて割って入った事で、不承不承ながらも拳と脚を納めてくれた。毎回この起爆直前の二人の間に割って入らないといけないとか、命がいくつあっても足りねぇ…。
(何度もオレだって起爆パンチができるほど器用じゃねぇんだぞチクショウ…)
そんなオレの蒼白した心身の感情とは裏腹に、しかし手足の行き場を失って消化不良を起こしている格闘姫たちは「チッ」「ふんっ」と舌と鼻を鳴らす始末。…仮にも国のトップを担っていると自称するんですから、TPOはちゃんと弁えてくださいよ。
(この場を切り抜けられたら、二人の機嫌取りをマイティたちにも押しつけてやる…)
未だ姿を見せないソレイユお守り集団『レイメイ何某』にも、しっかり巻き込まれてもらおう。胃痛は分け合うもの、これ現代の常識ね…。
ーー閑話休題、この老司祭を相手に口火を切っていた“ヤツヨ”は一体どこに消えてしまったのだろう。考えたくないが、老司祭に倒されてしまった可能性も否定できない。
レイラさんも同じ事を考えていたのか、オレが口を開くよりも先に、老司祭へと詰問する。
「ファルス様。“ヤツヨ”様…先ほどまで貴方様と戦っていた方は、今どちらに?」
「さて…。タロットが起動できない、とか言っておったが、それ以降は儂の記憶にはないのぅ」
土壇場でタロット…奥の手の不良品を掴まされて起動できなかったって、もう勝敗が決したようなものでは?何やってるんだあの駄女神ぃ…!
こうなれば形振り構っていられない。二人に白い目で見られたとしても、すぐに赤ずきん少女に共闘を申し込まないとーー!
「おっと、手が滑ったわい」
その甘い思考を、光の矢が断ち切った。ほぼ無音、予備動作のない射撃に光速とも呼べる人体を焼く一撃。そんな熱源に貫かれれば、人体の命なんて幾つあっても足りないだろう。
それを横から鷲掴み、へし折る拳があった。握り潰された光矢は、光の残滓をその場に振り撒きながら霧散していく。
しかしその代償は重く、何かが焦げる音…そして肉を焼く嫌な臭いが周囲を立ち込めた。
「見切ったと、申し上げた筈です」
「おぉ怖い怖い、流石は『戦巫女』レイラ殿。じゃが…その使えない男のお守りをしながら、いつまで捌けますかな?」
何だとこの野郎、と条件反射に感情が動きそうになるが、今は我慢。
事実、この夢世界の戦闘でオレの出番は無いのだ。売り文句を言い値で買い続けていたら、いつかは破綻してしまう。
「カケル様、今は貴方様のやりたい事を。その件に関して事が成ったら、たっぷり苦言を呈させていただきます」
横からその売り物を、全て掻っ攫っていく声がした。その上でレイラさんは、今からオレがするであろう不義理を見逃してくれる。
あぁ、頭が上がらないなぁ…と、思わず溜息が漏れてしまう。彼女がこの調子であれば、爪先をトントンと不機嫌に鳴らすソレイユも同じ考えなのだろう。
「1分。それ以上は持ちません、手短にお願いします!」
「ありがとうございます、レイラさん」
恐らく、ここで提示された1分は最大限の譲歩だ。防御は苦手だと申告していたレイラさんが、何とか作ってくれたこの時間を。1秒でも無駄にする訳にはいかない。
改めて、手を伸ばせば届く距離まで赤ずきん少女に歩み寄る。だが残念ながら、背後から迫る死の恐怖は、今のオレの思考から「走る」という行動を消してしまったらしい。
急いでいるとはいえ、しかし身の丈に合わない事をすれば逆に身を滅ぼす。今にもカタカタと震えそうな身体を、今にもその場で座り込みたい恐怖を、オレは必死に堪えて一歩ずつ足を進める。
ーーそうして辿り着いた少女の目の前で、オレは問いかけた。
「オレは言った筈だぞ。生きる事を諦めるな、って」
ビクリと、少女の肩が震える。心の急所を突かれた少女は、声にならない悲鳴を上げ、自身を掻き抱いている。
少女の白く細い腕に自身の爪が食い込み、赤く痕を痛々しく残していく。涙を隠す事なく零し続ける赤い瞳は、最早焦点が定まっていない。それらだけで、今の状況が八方塞がりであるだろう彼女の心情が窺えた。
言葉を緩めるな、しかし間違えるな。オレはいつだって弱者だ、強者にはなり得ない。
だから今だけは、目の前の強者を救えるように威張ってみよう。ーー虚勢を張るのは得意だろう、年長者?
●三面楚歌
老司祭には死刑宣告、ヒロインちゃんとソレイユら『黎明旅団』の面々からは(理由は正確には異なれど)主人公君絡みで赦すつもりはありません。作中の通りですね。
それでも主人公君は、解毒で命を救われています。プリシラが生き残るには、どんなに細い糸であろうとも最後の頼みの綱に縋るしかありません。
勿論、それを理解していない三者ではありません。下手な口を開く前に老司祭は主人公君を無力化しようと動きますし、時間さえあればヒロインちゃんたちも主人公君を説き伏せていた事でしょう。逆に言えば老司祭の攻撃をやり過ごし、今このタイミングで主人公君側からプリシラの手を取れば…。
ここが、まさにプリシラの命の分水嶺です。彼女を生かすも殺すも、主人公君次第となります。
…作中で触れた内容を焼き増すな?いえ、大切な内容なので今一度お伝えしたかったのです。
何故って、女帝様がタロット名で呼ぶ少女の命運ですから…ね?
●その女帝様はどこに消えてしまったんです?
第3章29の最後、あんな啖呵を切った台詞の後なのに切札が発動しなかったの?恥ずかしくないの?
…実際には、発動できなかったという言い方が正しくなります。これでも女神様、女帝発動による負債の真っ只中です。そんな中で女帝を発動しようとしたら、目を光らせている取り締まりにしょっ引かれるのも無理ない話。
かなり無茶して戦闘に参加している状態ですので、(主人公君が気がつけば)後で頭を下げましょうね。この後の展開にも関わる置き土産も用意してもらったのですから…ね?