第3章31「女教皇が見た真相」
少女は当初、プリシラを救うつもりは微塵も無かった。憎き仇敵は一人でも多く排除するべし。恋敵であれば尚の事、萌ゆる新芽も一帯の土壌ごと掘削してくれよう…これが彼女の常なる思考回路だ。
だが、今回ばかりは状況が悪く働いている。
異変に気がついたのは、瓦礫の崩れる幽かな音だった。とはいえ、戦闘に参加せず周囲を観察していた少女だからこそ気が付けた、広大な砂漠で砂金を探し出せたような幸運が働いた事も大きい。
人知れず依頼主の傍を離れ、敵国の皇女候補を暗殺する為にその水城の跡に潜り、そして少女が見つけた物は…変わり果てたエルフもどきだった。
『ゥ、ァア…』『痛、いた、イta、タ』『ぁ、ぁぁ…』
比較的出口の近かったーー上空から降り注ぐ魅了の影響を強く受けてしまった、死者の呻き声と、意識を取り戻した生者の震える悲鳴。
月の国の兵力も無限にある訳ではない。太陽の国との争いに向けて兵力を集中せざるを得ない事情も踏まえ、このままこのエルフたちを放っておけば、依頼主や少女への刺客の割り当ては少なくなるだろう。実利を考えるなら、手を差し伸べず放置するべき案件だ。
『ですが…。カケル様の耳に、屍のようなこの口は聞かせられませんね』
瓦礫の中、距離は多少あると言えども、声は声。いつかは依頼主に異変を気付かれてしまうだろう。異常をそのまま放っておくほど、少女は心を鉄にしたつもりはない。
拳と脚に浄化を纏い、意思無き者に引導を渡すべく。少女は瓦礫の中を、深く潜航した。
ポッカリと空いた地下2階分の大穴に形そのままに突っ込んだだけの少女の解体工事は、結果、生ける屍たちが居を構え始める魔窟へと変貌していた。
そも、少女は建物そのものを破壊した訳ではなく、ただ建物を支える地面を抉ったに過ぎない。その為、水城の地下は意外にも地上に飛び出た瓦礫の規模と比べて、少女の想像より空間が潰れていなかった。依頼主の想像通り、少女の想定通り、瓦礫の地下には所々に水の珠が浮いていたからだ。
生身では触れられないプリシラの恩恵が、空間を押し潰す瓦礫から護る衛兵が。さながら白血球のように、淀んだ空気の海を忙しなく泳いでいる。
当然、白血球というからには。上層から忍び込んできた侵入者に、気が付かない訳がない。
『今の私を、その程度の水量で穢す事ができるとでも?』
器用に空中で身体を捻り、浄化を纏った脚が襲い掛かる死の水を祓う。ならば、一撃見舞った隙だらけの背後に回り込もうと飛び掛かった衛兵たちも、尚も止まらない少女の回転脚に次々と叩き落とされていく。
そんな第一陣では対処しきれなかったと見るや、白血球は物量で押し込み始めた。その慌ただしい衛兵たちの動きで、屍たちも獲物を見つけたらしい。
『コイヨ、オマエモ、コッチヘコイヨ』『ヅライ、ザミ、ジイ…』『Graaaaaah!!』
四方から襲い掛かる水の珠、そして自らの旅路に道連れを加えんとする理性無き住人たちの接近。これら思惑異なる八方からの攻略不可能な猛攻は、しかし少女にとっては日常風景の乱戦だ。
水の珠を白い靴が蹴り飛ばし、その身で水を受けた屍の動きが一時的に封じられる。これと同じ動きを、飛距離と角度を変えて振り抜く脚の力を微調整する。
まるで戦闘ロボットのような精密さを見せる少女からは、未だ呼吸を乱す音が全くしない。相手が工夫のない死者という単純性の塊である要因もあるが、「戦巫女」の冠を戴いた少女にとっては、単純作業の繰り返しは出来て当然の技術だった。
遠距離を攻撃する手段なんて持とうものなら、それに頼り過ぎる戦闘ばかりになってしまう。だが、いざ狙撃手から攻撃されたら防ぐ手段は欲しい。
だから両の拳、両の脚を合わせても4つしか攻撃手段を持たない肉体言語派の少女にとって、自身の恩恵ほど頼りになる武器は他に無い。…正確には、後の脱出を考慮して両脚しか攻撃には使わないのだが、それはそれ。拳を封印しても尚、少女の戦闘能力が落ちる様子は微塵もない。
『足場さえ確保できれば戦いやすいのですが…、贅沢は言えませんね』
まだ跳躍に使えそうな固い足場を見定め、時には屍たちを足場にし。翻るスカートも気にする事なく、少女は曲芸師さながらの脚技を披露し続ける。依頼主の目を気にしない戦場というだけあって、少女の白い細脚は暴れたい放題だ。
『…ダ、い。イ、ギダ、イ』『Ahaa、a…』『ヤダ…ココ、ザム、イヨ…』
あらぬ方向に腕や脚が折れた屍たちの呻き声は、少女の沙汰を持ってしても尚止まらない。それはそれで、溜まりに溜まった自称女神への鬱憤を晴らすのには丁度良いのだが。
とはいえ、このまま屍たちと戦場で踊り続ける訳にはいかない。万一、ソレイユとプリシラが結託して依頼主を奪われるような事があれば目も当てられないからだ。
ではどうする?二人がもし、国を超えた結託をしたとして。その二人の力関係が崩れるような一押しは何が有効だろうか。ーーそれを少女は、元々探しに来てはいたのだが。
『頃合いですね。ソレイユ様には、プリシラ様の真の恐ろしさに慄いていただかねば』
見上げれば、そこには水の珠の集合体。いくつか地上へ持ち帰るべく蹴り上げておいたものが、一つに纏まって幕を張ろうとしている。
しかし残念ながら、その程度の厚さでは少女を溺れさせる事はできない。
『せー、のッ!』
足場から跳躍し、手頃な屍を踏み台にし。少女は地上へと帰還するべく空を駆ける。ーー衝突は一瞬、少女の突進は容易く壁を貫いた。
その途中で浄化を纏った拳が水を掴み、無理やり球形に捏ね直す。プリシラへの土産はこれで十分だろう。あとは地上に着地次第、この武器を提供して観戦するだけだ。
ーーその、筈だった。上空に光る怪しげな札が、ファルスの手に現れていなければ。
⦅あれは、偽ファルス様が使っていたタロット…?⦆
光が収束し、再び弓の形に戻る。だがその形は歪で、禍々しく、それでいて神々しい。
まるで死を象っているかのような悪魔の光弓。タロットから供給される高魔力は、少女の浄化が追い付かない事は先の戦闘で思い知った所だ。
その魔力が、少女を護る浄化の膜を揺さぶっている。身体的なものか、精神的なものか。とにかく良くない何かが干渉していると、少女は直感した。
そして、先の瓦礫下の屍たちの様相を思い返し。この干渉がタロットによるものだと早々に結論付けた。
であれば、同士討ちなんてさせている場合ではない。たとえ隙あらば背中を刺し合う仲だったとしても、今は脅威の共有を優先しなければ。
『プリシラ様、新しい水ですよーッ!!』
これが、少女の心変わりの真相である。
●死者の呻き声、生者の悲鳴
怪しいカタカナ、アルファベットで終始話をしているのが死者、(プリシラを除いて)ひらがな等をしっかり織り交ぜている話し方をするのが生者の会話です。何となく、前後の文脈で解るかとは思いますが…。
ヒロインちゃんの推察通り、ファルスの放つ光の矢を視認しやすい位置に放っておかれてしまったエルフたちは、漏れなく法王ギミックによる信者の仲間入りです。
とはいえ、この位置に放置されてしまっているのは死者のみ。どうにか生き長らえたエルフたちは、自衛する為に一箇所に固まるように動いています。描写はありませんでしたが、第3章22でミーシャ・マーシャの二人が底まで落とされてしまった事を受けて、再起する為に集まっていた…という設定も。
ちなみに、死者の魅了ではファルスにとっての養分にならず、攻撃を受けても立ち上がり続けるだけのゾンビ。怖がりな主人公君、とてもではありませんが作中の光景を目の当たりにしたら失神待ったなしです。