第3章29「水鏡に映るは法王の悪夢」
瓦礫から突如現れて水を投げ入れるという、客観的に見ても意味の解らない女教皇の行動に、目の色を変えた人物が二人。彼と彼女の行動は、実に迅速だった。
光の洪水を向ける先を地上に逸らし、さりげない的だったモノが露骨な目標となる。散開した焔の珠が地上を庇うように凝集し、攻撃一辺倒だったモノが露骨に防御へと転じる。
たったそれだけの行動指針の変更だったが、空中戦の様相を急転させたのは言うまでもない。この力の均衡が攻撃側に傾いた時が、地上で格闘戦に勤しむ少女たちに壊滅的な被害を出すものと嫌な予感をさせる。
だが、この二人が浮かべる表情からはーーその予感が現実になる想像が微塵にも浮かばない。
「成程。法王を起動させたのに、ここまで脅威のない攻撃が続いていた理由がようやく解ったよ」
既に白い焔のカーテンが防御の幕として完成しているのにも関わらず、いよいよ厚みを増していく。”ヤツヨ”の表情は未だ崩れず、それが焔の揺らめきを一層安定させているようにも思える。
対して、優位に戦闘を進めている筈の老司祭の表情は芳しくない。鬼札を切ってまで得た力を以ってしても、こちらの心情を見透かすような憎たらしい薄ら笑いを歪ませる事も、叶わない。
手に持つ光の弓矢は明滅し始め、消耗の激しさを物語っている。老司祭が法王を起動し始めてから優に1分は経っているにも関わらず、まともな戦果が挙げられていない焦りも無関係ではない筈だ。
「答え合わせをしようじゃないか。キミの法王、その本質は導く事。つまり、協力者の存在が不可欠な力だ。伽藍堂で教えを説いても、聴衆が存在しなければただの大きな独り言…戯言でしかないからね」
しかし、老司祭の心中を見透かすように。隠し持っていた力を暴くように、“ヤツヨ”は淡々と言葉を紡いでいく。
「問題は、キミが信者を集める方法だったが…それもたった今解決した。キミのその光の矢、ただの攻撃じゃないね?」
「チィ…!」
“ヤツヨ”の答えに対し、光の矢が乱雑に放たれる。しかし心が乱れた雑な射撃では、如何に高水準な追尾性能があろうとも、焔の幕を貫通する事すら叶わない。
さりげなく、これまでに何度か瓦礫の山に向けて放っていた老司祭の光矢たちは、全て焼き落している。多少の漏れはあったものの、地上で競り合う面々に触れる事が無かったので深く気にする事は無かったのだが…。
「まさか、この光矢そのものが法王の魅了だったとは。女帝が相手じゃなければ、まだ上手く立ち回れただろうが…運が無かったね」
最後まで受けて光矢を防ぐ事を選ばなかった“ヤツヨ”は、とうとう老司祭に切札を捲らせる事なく、遠距離戦の王手をかけた。
宝杖を構え、白焔の珠を携えて、老司祭へと距離を詰めていく。既に必殺の間合いではあるが、この女神様が慢心する事は決して無い。
「キミに降伏の選択を勧めよう。ボクはまだ女帝を起動していない、優劣は既についている。それとも、法王の逆位置に一縷の望みを賭けてみるかい?」
「この現状を打破する為には、“りばーす”とやらに賭けてみるのも…一興ですなぁ」
しかし結果を受け止めきれない老司祭は、光る弓矢を再び法王の絵札へと変容させる。
コレが自分の力の根源だと言わんばかりに、老司祭そのものを呑み込む光の泉を作り出した。女教皇の纏う温かな光とは正反対の、冷え切った老司祭の心を表しているかのような光の奔流を。
「我が主よ、許されよ!」
噛み締めるように口にした呪詞によって、一際冷たい光を放っている法王は、あっという間にその姿を溶かし…三度老司祭の得物を創り出した。
翼を想起させた弓は、大きな爪を思わせる三つ又の形状になり、傍からは悪魔の腕に見えなくもない。それでいて、白光を塗料に使ったかのように神々しい輝きを放ち続けているのだから気味が悪い。
変化はそれだけではない。紺色の司祭服は真っ黒に焦げ、しかしストールは逆に漂白されていたりと、その弓を携える老司祭にも法王の恩恵が及んでいる。
その恩恵故か、先ほどまでは全く脅威にならなかった彼の魔力が、教会で自動人形と対峙した時と同じか、それ以上にまで飛躍的に向上しているのが解る。無理やり、法王から力を引き摺り出したのだ。
総じて、禍々しく武装した老司祭の容姿に、敬虔な使徒らしい面影は最早感じられない。それこそ、悪魔のような姿と形容すべきだろう。
「…本当に逆位置を使うとは。いよいよボクも、女帝を振るう時が来たらしい」
「ここまでして、ようやく貴女様の力の本稼働とは。まったくもって笑えませんな」
二人は互いに視線を逸らさない。逸らしたが最後、待っているのは圧倒的なまでの魔力による蹂躙だ。
そして、その衝突の時は。意外にもすぐにやって来るーー。
●逆位置状態
断片6の後書きにも少し記載はありますが、タロットカードは札の向きによって意味の捉え方が異なります。それが、正位置と逆位置と呼ばれる概念です。
今回、正位置から逆位置に自ら転換した(=ズルをして力を得た)ので、女神様の指摘通り自らの命を対価に女神様へと迫ろうとしています。
力をすぐに放棄すればまだ傷は浅いですが、この逆位置は大半が悪い意味で捉えられる事の多い状態。所謂ヤケクソ状態です。そんな他人からの制止を聞く心は(一部の人物を除いて)持ち合わせていないでしょう。
敵方の暴走なら放っておけば良いですが、味方の暴走は目も当てられません。早々に正気に戻ってもらう必要がありますが…。ここで役に立つのが、普段からの交友関係で得られる好感度。
勿論、鍵を握るのは主人公君です。他人との会話が苦手なオッサン、頑張って女の子と会話していこうな!
●法王の能力
女神様が触れている通り、「相手を洗脳し、洗脳した者の数が多ければ多いほど力が増す」効果があります。ここで使用される洗脳方法は、ファルスが放つ光の矢を受ける事となっています。
何も対策しなければ苦戦を強いられるチートですが、ヒロインちゃんのように攻撃を回避できたり、そもそも効果を無効にする相手とは相性が非常に悪いですが、主人公君のように対策しようがない者にとっては光を浴びる事すらNGです。
通常では手も足も出ない強大な敵も、ちまちまと洗脳してはレベルアップし、力をつけて勝利する様をイメージしていますが…。ファルスのように私利私欲に用いれば、超越物質に呑まれるものやむなし。
●「インバース!」って何やねん…
逆位置に自らタロットを反転させる時の、ファルスなりの気合の入れ方なのでしょう。本来は女神様の言う通り、「リバース」が正式呼称となります。
言い間違えても、タロットは賢いのでちゃんと反応してくれます。だって求められるんですから、そりゃいくらでも力を貸し与えるというものです。返済は勿論、彼自身の命です。