第3章28「水面に浮かぶは隠者の影9」
問題です。身に覚えのない修羅場同然の環境下で、視線だけで牽制し合う少女たちの只中に立つオッサンの心の体力ゲージは、果たしてどれだけ残っているでしょうか。
答えはほぼゼロ同然、救いはありません。大人しく成り行きに任せましょう。オッサンが生かされるも殺されるも、最後まで勝ち残った格闘姫の気分次第ですーー。
「ソレイユ様、まずはプリシラ様を黙らせる方向で停戦して差し上げましょうか?」
「その上から目線で話すの止めてくれますぅ?…でも方針は賛成、アンタを殺す前に後ろから刺されるのは勘弁だし」
「二人とも、最初に決めた方向性を間違えないでください!?」
耳を塞ぎたくなるほどの、女神様と老司祭の大規模な焔と光の応酬音をBGMに、緩衝材は必死に格闘姫たちの間に挟まり続ける。
その甲斐あってか、仲間割れという最悪の状況は回避できたものの…、火薬庫で未だ燻り続ける火種のような危うさは未だ消えない。
ーー二人とも、忘れたとは言わせないぞ。今の満身創痍な赤ずきん少女に過剰なダメージを与えたら、水城に閉じ込められた無辜の命が潰れてしまうという事を。
オレを追い回したエルフたちが憎くないかと言われれば頷きたくはないが、同時に無駄な諍いの種を蒔く必要もない。関係性はともかく、幸い人手はあるのだ、上手く立ち回れるのなら立ち回りたい。
「ご安心ください、カケル様。あの瓦礫の中のエルフ族を救出しつつ、プリシラ様を殴り倒せば良いと気がついた今の私に死角なんてありません!」
「むしろツッコミ所だらけで不安しかなくなりました」
ひどいっ!と表情で訴えられても…。レイラさん相手に嘘をついても、簡単に見抜かれてしまうのだから、言葉で繕う事はしない。
ここは正直に吐露してしまう方が良い、殴り倒せば良いって部分だけ強調された時点で、オレの中の嫌な予感が止まりませんと。
「大体、どうやってあの瓦礫を動かすんです?そりゃレイラさん、ソレイユの拳と脚なら簡単に吹き飛ばせるかもしれませんが、それじゃ時間も体力も掛かり過ぎーー」
「そんなこと、させるとでもッ!?」
オレの言葉は、最後まで続かなかった。地面を滑るように急接近する赤い死神の姿に、その予感とは別に背筋を冷たく撫でられる。
水の篭手で武装された彼女の腕には、最早気軽に触れる事は叶わない。狙いは、当然ながらオレ。触れるだけで力を吸い取るのであれば、誰だって置き物から狙うだろう。
赤ずきん少女の拳がこちらの肩に向けて伸び始めており、最早オレの反応速度だけでは避けられない。防御不可の一撃を、甘んじて受けるしかないのかーー!
「チクショーーおぶゥッ!?」
「オジサン緊急脱出術ッ!」
しかし、強制加速装置があれば話は別だ。ソレイユの靴底が綺麗にオレの鳩尾を押し出し、数メートルは赤ずきん少女から距離を稼いでくれる。いつの間にか貰っていた特典の影の緩衝材で着地もスムーズ、何とも至れり尽くせりだ。
ただ…ソレイユさん、せめてもう少し優しく蹴り飛ばしてくれませんか?めっっっちゃ腹が痛いです、贅肉は盾にならないんです、さっきから吐き気が止まりません…おぅぇっ。
「ーーソレイユ様、世辞の句の用意が出来ていると解釈しますね?」
「はッ!むしろ感謝の言葉を貰いたいくらいよ。オジサンを殺したかったのなら話は別だけ、どッ!」
痛む腹を抑え、霞む視界をどうにか定めると、そこにはオレに触れる事が叶わず態勢を崩してしまった赤ずきん少女の顔を、豪快に蹴り薙ぐソレイユの姿。
水の篭手による防御が間に合わなかったらしく、「ぶッ」と口から空気を吐き出しながら身体を泳がせ、すっぽりと被っていた頭巾から美少女の苦痛に歪んだ顔が現れる。
「こ、の…」
「そもそも!アタシはそこの瓦礫が木っ端になろうが構わないのよね。月の国の戦力が削れるなら歓迎だし、このままアンタも蹴り殺せるなら一石二鳥!」
女神様のものより若干明るい桃色の髪を揺らし、しかし華奢な白い脚を守る黒いブーツは半歩退いた所から意地でも動かない。
ごぼ、と再び水が赤ずきん少女の拳で踊り纏い、大きく弧を描いて再び襲い掛かる。目の前の障害の中心を壊さんとする攻撃は、オレに向けられた拳と違って手心を加える様子はない。
(片方しか、水の篭手が…ない?)
距離が離れた事で、ようやく素人は赤ずきん少女が覗かせた必死さに違和感を覚えた。
エリアス湖のチト狩りの時は、彼女の水武装が崩れた事はなかった気がする。むしろ潤沢に使って、巨大ヌシの頭を斬り落とす大鎌を軽々と振るっていた筈だ。
確かに食事処だった跡がこれ以上崩壊しないよう、水の緩衝材を多分に挟んでいる為に、貯蔵量の少ない中では十全に恩恵が振るえないのだろう。
だが。ソレイユとの戦闘が始まってから、ここまで急速に彼女の扱う水というものは蒸発するのだろうか。
「影毒、直接アンタに触れる事なく蹴る事ができる技よ。…この説明、二度目よね?」
片方の拳でしか力を吸い取られないのであれば、反撃する余力も生まれるというもの。水拳を回避したソレイユの脚が、鋭く赤ずきん少女のふくらはぎを削ぎ落とすように薙がれていく。
呻き、よろめき、打たれた足が震え。それでも赤ずきん少女は、倒れる事を選ぶ事はなかった。
「せめて、いっかいでも…ふれればーー!」
「懲りない女には、もう一発プレゼントよッ!」
その鬼気迫る赤ずきん少女の攻撃に合わせ、ソレイユは大きく一歩踏み込んでーー重なった二人の影の形が、その瞬間に一人分へと溶け合っていく。
地面へ躰をドプンと沈めた敵を見失った赤ずきん少女は、焦りと怒りによって狭まった思考でしか周囲を視る事ができず。結果、その背中から影渡りの恩恵で浮上したソレイユによって、蹴破るような手痛い一撃を貰ってしまう。
背面攻撃によって守りの薄い内臓にダメージが入ったのか、「カハッ」と口から漏れるモノは声と透明の飛沫以外に赤色が混ざっている。それでも、意地でも倒れてやるものかと震える脚を一歩足を踏み出し、その場にどうにか縫い付けた。
「頑丈なのは結構だけど、いい加減水が邪魔ね。さっさと武装を解いてくれるなら、楽に蹴り殺してあげるわよ?」
「だれ、が」
屈するものかと、赤ずきん少女の眼に消えかけていた光が再度灯されていく。しかし、それを支える彼女の白く細い脚はダメージを隠せない程に震えており、逆転の一手を持っていない以上、圧倒的な劣勢を覆す事は不可能だろう。
ソレイユの蹴りがいかに強烈だったか、身を以って思い知ったあの夜の出来事を想起し、思わずオレの身体に寒気が走る。だが、それを痛々しいとは思えども、今の赤ずきん少女はオレたちの敵だ。
敵である以上、たとえ口の中を切って血を垂らす青痣だらけの少女を目の当たりにしようとも、「止めろ!」と声を上げる事は間違いだとオレも理解している。…理解はしていても、納得するかは別の問題だが。
ーー自分の額に向けて、拳で何度も小突いて強制的に思考を切り替える。老司祭の猛攻を振り切ってこの場を離脱する事が目的なんだと、目の前の問題を棚上げにして見ないフリをする。
そこで、ようやくオレは。純潔な白と青の法衣ドレスが良く似合う女教皇が、展開された2つの戦場のどこにも居ない事に気がついた。
「レイラ、さん?」
心がゾワリと粟立つ。あのレイラさんが不意打ち程度で戦闘不能になる筈はないと思っているが、争いごとに絶対の概念は存在しない。単純に、オレがレイラさんを見逃している可能性だってある筈だ。
視線を上下左右に走らせ、一巡しても尚見つけられず焦りが積もろうとしていたーーその時。不意に、水城が爆発する音がした。
正確には、瓦礫の山の一部が噴火したように廃材を宙へと吹き飛ばしていくと、表現した方が良いだろう。その廃材の中には、正しく緩衝材として潜らせていたのだろう大きな水の珠も一緒に放り投げられている。
ゆっくりと宙を舞うその廃材たちに追いつくように、オレの探し人は噴火口から飛び出した。
「プリシラ様ーッ!」
水の珠を浄化の恩恵を纏った手で触りながら、器用に空中で一回転してみせるその女。まるで目的の人物に向けて全力投球するような態勢に、思わず「マジですか」と言葉が漏れてしまう。
「新しい水ですよーッ!!」
投げ飛ばされた水の珠は、周囲の瓦礫を突き破りながら真っ直ぐに赤ずきん少女の元へと突っ込んでいく。予期しないレイラさんの行動に、「なにごと!?」と視線で訴えながら咄嗟に躰で回避してしまった赤ずきん少女。
これは正しい、正しい反応だ。だからオレも、たっぷり呼吸を置いてから、心の中で頭を抱えつつ目で本人に訴えた。
ーー本当に敵に塩を送るとか、何やってるんですかレイラさん!?
ソレイユ(本当に何やろうとしてやがるのよ戦闘狂ーッ!!)
なお、この一手を甘んじるかどうかで赤ずきん少女の運命が大きく変わる模様。チャンスはあと1回です。
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●ソレイユの蹴技「影毒」
影の恩恵を使って対象に触れる事なく影のマーカーをつける技です。その場所に術者が触れる事で、与えた衝撃を更に増強する弱化をくっつける、いわゆる設置技。
また、複数回同じ場所に設置する事が可能です。再度同じ場所を狙う必要はありますが、強力な衝撃があれば、どんなに頑丈な盾でも蹴り一つで粉砕可能というトンデモ技となっています。うーん、このザ●ルゼム感…
●エルフ族を救出しつつ、プリシラを殴る作戦…そんなものがあるのか!?
主人公君のささやかな抵抗によって、瓦礫を殴り飛ばしてプリシラにぶつける大作戦は無事潰えました。
また、この作戦が敢行された場合はプリシラに大ダメージを与える事ができますが、同時に下敷きになっていたエルフたちはプチプチと潰れる上、プリシラの精神状態は更に不安定となります。瓦礫に含まれている僅かな水すら吸収する事もできない程、弱っている上に思考が回っていない精神状態に追い討ちを掛けたい場合はこの手段を用いても良いでしょうが、オススメはしません。
●プリシラの運命の選択
ここで主人公君側に寝返る選択でも、プリシラは生存します。ただし受け取る水の量がとても不安な為、後の戦闘で退場する可能性が高いです。可能ならばもう一度、ヒロインちゃんには水を拾いに行ってもらいたいですね。