第3章26「水面に浮かぶは隠者の影7」
横殴りに浴びせられた光の矢たちは、しかし赤ずきん少女が守る水城の瓦礫を木っ端にする事はなかった。すんでのところで、天から降ってきた焔の巨大な天幕が、防ぎきれなかった矢を残らず燃やしたからだ。
こんなデタラメな威力を持つ焔の使い手は、オレは一人しか知らない。思い出したくなくても、こびり付いて離れないその名前はーー。
「”ヤツヨ”、様」
「フフ、様は要らないよ女教皇ちゃん。こちらから強要するつもりは無いとも」
その場にいる者たちが一様に、突然介入してきた声の主に警戒心を強める。老司祭や赤ずきん少女はおろか、レイラさんやソレイユも、表情は歓迎の色を表に出していない。オレ?言わずもがなである。
どうやって宙に浮いているんだとか、緩やかながらも吹かれる風に煽られてワンピースの中が見えそうだから隠しなさいとか。そんな他所事を常時なら考えたかもしれないが、残念ながらオレにはそんな心の余裕はない。ただ、今まで溜め込んでいた怒りを爆発させる程度には感情が酷く昂っていた。
「おま、お前…!こっちからの声掛けには全然返さないクセに突然沸いてきやがって!今の今までどこほっつき歩いていたんだこの放蕩女神ィ!」
「キミの言いたい事はもっともだし、何なら一つずつキミの誤解も解いていきたい所だけども。その前にキミの今の態勢と声の震えはどうにかならないのかい?…まぁ、状況が状況なだけに止む無しとは思うけども」
うるせぇ!見た目満点以上の一回り若い美少女に抱えられている30過ぎのオッサンの図が、現代社会的に死って事くらい自覚はあるんだよチクショウがァ!
「それはそうと、折角手に入れた力を燻らせるのは少し勿体ない。もっと有効に使いたまえ。…尤も、先のキミの力の使い方にはボクも舌を巻いた所でね。トリッキーな使用法を思いつき、実行できるのは良い傾向と言えるだろう」
「…………」
つまりオレの置かれていた状況は全て知っていたと。そのお陰で死にかけたというのに、他に言う事は無いのかこの駄女神ィ…!
ぐるるぅと唸る、威圧感がまるで無い小心者の鬼面の横で、レイラさんが静かに”ヤツヨ”を睨んでいる。「怖いねぇ、相変わらず」と、そちらには両手を上げて降参する姿勢が、よりオレの感情の火に油を注いでいく。能無しがいくら牙を剥こうとも痛くも痒くもない、ってかコンチクショウがァ…!
そんなオレの怒りに飽食したのか、溜息交じりに”ヤツヨ”は視線を別に移された。その先にあるのは、今もまだ光の弓に矢を番えている老司祭だ。
「さて、こちらの雑談ばかりでは法王クンたちも暇をするだろう?遠慮する事はない、こちらの話に混ざってきたまえ」
「随分な、呼ばれ方ですなぁ。法王とは」
…オイあの老司祭、少し照れていないか?見た目からして役職に執着しそうなタイプには見えないが、中身はそうでもない…のだろうか。
月の国のトップも複雑そうな表情をしているし、もしかしたら意外と俗っぽい人なのかもしれない。うんうん、完璧超人って憧れるけど演じ切るのは疲れるからね。思考くらいは逃げ場を作らせてほしい気持ちは解らなくもない。
「しかし儂は貴女様とは面識がない故、交わす言葉は持ち合わせておりませなんだ。折角の申し出を断るのは心苦しいのですがーー」
「あぁ、それなら問題ない。話題はこちらから供給させてもらおう」
そんな恍惚とした老司祭に、”ヤツヨ”は容赦なく言葉を被せていく。その態度は、まるで今の老司祭には興味がないと言わんばかりだ。
「法王クン、自動人形と呼ばれる存在をキミは知っているかな?」
「…初耳ですなぁ。して、それが何か?」
「実は、キミと瓜二つの人間につい先日襲われたばかりでね。…あぁ、ここに居る女教皇ちゃんたちはその証人さ」
さらっとこちら側にも爆弾をぶん投げてきたぞ、あの畜生女神。というより、今それを聴くのかよーー。
刹那、オレの身体が物理的に潰されそうになった。ミシリと骨が音を立て、肉に食い込む嫌な感覚が全身を支配する。一体誰の仕業なのか、その答えはオレの目の前にあった。
「レイラ、さん?」
「…申し訳ありません、カケル様。つい手に力が、入ってしまいました」
レイラさんの眼の輝きが、鈍い。柔らかい普段の表情、戦闘中の相手を睨む表情、今の彼女がどちらに近い状態かと言われたら後者だが…それとも違う。眼に乗せる殺意が、決定的に違うのだ。
あぁそうか、レイラさんの前では嘘はご法度。彼女が反応したという事は、つまりーー。
力強く掴まれたオレの身体を浄化してもらいながら、オレは再び老司祭へと視線を移す。表情は何も変わらない。光の弓矢から手を離す素振りもない。
「既に手遅れだが、女教皇ちゃんの前での嘘はキミの為にはならないよ。…その上で、改めて同じ事を聞こうじゃないか」
金の宝杖に焔を溜めて、”ヤツヨ”は光の矢を真正面から対抗するべく構え直した。女神様の口から出てくる言葉は、先の質問と何も変わらないだろう。
ただし。今度は返答を間違えないでくれたまえと、圧を滲ませた中での尋問に…言葉は切り替わっていた。
「法王クン。自動人形と呼ばれる存在を…知っているかな?」
「そういえば、ここにはレイラ殿がいらっしゃったのでしたな。失礼しました」
女神様の尋問を受け、老司祭は薄く笑みを貼りつけた。追い詰められている筈の彼の表情からは、焦りや困惑といった感情が一切読み取れない。
「ファルス、さま?」と、赤ずきん少女が何かに縋るように呟く様が、更なる悪い予感を呼び寄せる。「チッ」と、ソレイユの嫌悪感を乗せた舌打ちが、記憶に沈めていた狂気を呼び起こさせる。
「では、儂からの返答はこう変えさせてもらいましょう。…儂の生き写しは、どんな最期を迎えましたかな?」
故に、付け加えられたその一言で。オレの内側は、底知れない恐怖となって全身を掻き毟った。
●焔の巨大な天幕
ファルスの光の矢の雨を完全にシャットアウトする、女神様からの優しい贈り物です。また、「瓦礫の城を攻撃させるな」というメッセージも女神様なりに籠めていたようです。言葉で言いなさいよ…。
それにしても、女神様も一目見ただけで状況を全部把握しているなんて凄いなぁ!伊達に神様を自称していないね!…勿論、これにもカラクリがあります。
こちらのネタは次章(4章)で取り上げる予定です。お楽しみに…。
●ヒロインちゃんの嘘発見時の挙動
ヒロインちゃんは嘘が嫌い、という話は既にしていますが、そもそもヒロインちゃんはどうやって嘘を見抜いているのでしょう?
答えは単純、「制御している力の枷が一時的に外れてしまう」です。その片鱗が垣間見えるのが、2章09や3章08の折檻となります。
主人公君相手なら勿論加減をしてくれますが、極力彼女の前では嘘はつきたくないですね。嘘の用法用量は正しく守って使いましょう。
●自動人形の存在を知っていたファルス司祭
それどころか、自分の偽物が闊歩していた事実を黙認していたようです。自動人形の製造に近い所に居たのでしょうか。
ーー勿論、女神様も同じ事を考えています。であれば、是非ともとっ捕まえて情報を洗いざらい吐き出させたい所です。…ファルス司祭、それまで生きていると良いですが。