第3章24「水面に浮かぶは隠者の影5」
既に書物を手にし、臨戦態勢を取っている老司祭。一見穏やかな表情に見えるが、実際は格闘姫たちの出方を隙なく窺う狩人だ。
近接攻撃特化型の格闘姫たちにとって、距離を詰める一手を必ず強いられる相手とはこの上なく相性が悪い。せめて、遠距離攻撃に対応できる”ヤツヨ”さえ居てくれれば…。カムバック女神様、今ならキツく当たってきたこれまでの態度を改める事も検討しよう。
それにしても、赤ずきん少女の上司とやらが、まさかこの老司祭だとは思わなかった。教会の牢屋で聞いた「ウルスラ」という人物だとばかり思っていたのだが、もしかして更に上位の人間だったりするのだろうか…?
「カケル様、お下がりを!」
「オジサン、死にたくないなら後ろにいなさい」
喧嘩腰だった格闘姫たちも、突然の老司祭の登場で理性を取り戻したらしい。敵意の照準を切り替え、四つの目が同時に老司祭へと向けられる。
…正確には、彼の足元を伸びる影へ。そこにある筈の影を確認すると、改めて少女たちは拳と脚を構えた。
「影、ありますね」
「そうね、なら本物って事かしら」
「儂、偽物って疑われておったの?」
「酷いのぅ」と、おどけた様子で肩を竦める老司祭だが、二人は一切警戒を緩めない。むしろ、その飄々とした老司祭の態度が、より強く彼女たちの警戒心を強めた。
(おいおい、この夢世界の人間ってどんだけ精神がタフなんだよチクショウ…!)
殺気にも似た二人の威圧感は、近くで守られている筈のオレにとても良く効いている。オレの心臓は紙装甲だからね、仕方ないね…。
「とはいえ、二人の首を取るには少々こちらの戦力が心許ない…。ほれ、まだ息はあるじゃろう?手伝ってはくれんか」
パン、と手を一つ打つ老司祭に合わせ、瓦礫の山が爆発する。ーー否、水が地表から噴出した。
ダイナマイトでも仕掛けてあったのかと錯覚する破裂音に弾かれてそちらに視線を向けると、そこには荒い息を弾ませる赤ずきん少女の姿。ただしその表情は、苦悶に歪んでいた。
赤ずきん少女の短いスカートから伸びる、柔らかい白い肌の所々に打ち身の痕がある。特にその痣が多い左の脚は、見るのも痛々しい程に赤黒く変色しており、相当なダメージを既に負っている事が伺えた。
よほど酷く打ちつけたのか、何かに掴まらなければ立ち続ける事も覚束ないらしい。まるで、誰かにその場所だけ強く蹴り続けられたようなーー。
「ハッ、いい気味ね!左脚を蹴り潰された感想が聞こえてくるようだわ!」
「うる、さい…っ」
横からソレイユのご満悦そうな嘲笑が聞こえてくる。成程、オレを逃がしてくれただけでなく、教会でのお礼参りもしっかり済ませたのだろう。
格闘ゲームにおいて下段蹴りとは、およそ避けにくく、牽制技として有効な事が多い。現実の格闘技でも、相手の機動力を奪う為に用いられる事が多いのだとか。
なら、赤ずきん少女の左脚を集中的に狙ってダメージを与える戦術も頷けよう。問題は、それを成し得たソレイユの技術の正体なのだがーー。
「そんなものにまでお主の恩恵を使わなくて良い。お二人相手に手落ちで挑めるほど、優しくはありませんぞ?」
「わかって、います」
その考察をするよりも、オレの視線は少女の後ろに吸い込まれた。そこにあるのは、少し前まで立派にそびえ立っていた楼閣の跡ーー瓦礫の山だ。
最初は、視界の隅を過ぎった些細な違和感だった。水の爆発を受けても形をほぼ維持した山は、先の音に反比例して大崩壊の気配がまるで感じられない。あの赤ずきん少女以外、追手たちの姿が見えないのも何か引っ掛かる。
そんな中で見えた、泡のように浮かんでいく小さな水の塊。それが、あの瓦礫の山に入り込んでいくではないか。
「レイラさん、もしかしてあの子…瓦礫がこれ以上崩れないよう固定しているんじゃないです?」
「恐らく、カケル様の仰る通りです。中に閉じ込められたエルフたちの治療も並行していると思います」
オレの想像は正しいと、レイラさんが肯定してくれる。その上で、サラっとトンデモ行為までやってのけている可能性まで示唆された。マジかあの赤ずきん少女…。
考えてみれば、赤ずきん少女の纏う水の量は、エリアス湖で見せた重厚感のある篭手を作り出すには至っていないように思う。上手く篭手の形が保てず時折崩れているのがその証拠だ。
近くにあるエリアス湖を水源にしたかったのだろうが、その時間も無かったのだろう。壊れかけの水城に自分の魔力を供給しつつ、篭手を鋳造するには水が不足していると考えて良いのかもしれない。
「しかし私の恩恵と違って、プリシラ様の恩恵では完全に傷を癒す事ができません。流れ出てしまった血の代わりに、水の魔力を使って必要以上の失血をさせない措置をされているのでしょう」
「なら、今なら守りも薄いってワケよね。蹴りたい放題じゃない」
オレの言いたかった事を、ソレイユが先回りして言葉にする。守りが弱い相手から制圧する、戦闘の基本…なのだと思うが、今ならそれが容易なのではと考えたのだ。
しかし、レイラさんはオレの考えをやんわりと否定するように首を振る。
「この足癖の悪い放蕩女にはもう何を言っても無駄でしょうが…。もし私の推測通りであれば、プリシラ様にダメージを与えすぎると恩恵が制御しきれなくなり、中の人間は一斉に命を落とす事になるでしょう。…カケル様を助ける為、ソレイユ様を亡き者にする為だったとはいえ、流石に心が痛みますね」
レイラさん、気持ちは解りますが今はそれどころでは。そう言葉にしようとして、呑み込んだ。
綺麗事だとは解っていつつも、ここは夢世界と言いつつも。結局戦闘とは、選択一つで行われる人の命のやり取りの連続。
必要以上に奪えば、誰の心にも深い傷がつく。奪えば全部、なんて事は決してないのだ。
「身から出た錆って言葉知ってるぅ?」
「たとえ私自身のミスであっても、それに付け入って貶める事しかできない卑しい女には、私はなりたくないですね!」
「あ゛ぁッ!?」
折角シリアスな雰囲気で語ろうとしていたのにぶち壊さないでくれます!?あぁもう、結局この二人の距離感に対する正解は何なんだよ!
「二人とも、今は喧嘩している場合じゃーーうわッ!?」
レイラさんの唐突な足払いで、仲裁に入ろうとしたオレの身体が宙を舞った。せめて着地くらいは上手く取りたいと思いながらも、しかし現実は理想に追いつかず無様な尻着地を決めてしまう。
痛みを訴えようとしたオレの頭上を、光の矢が空気を焼きながら通り過ぎていくn度目の光景。あぁ、何度経験しても心臓に悪い…。
「申し訳ありません、カケル様!今しばらくご辛抱を!」
(あ、あぶ、危ねぇ…。ありがとう、レイラさん…)
自分でも対策しないと、いつかこの矢でオレで絶対命を落とす事になるぞチクショウ…。でも今はレイラさんの機転に感謝だ。
顔を真っ青にさせ、空気を求める金魚よろしく感謝の口パクパクをするオレを他所に。レイラさんは改めて、光を纏わせた拳を構えながら老司祭へと向き直った。
「ほう、儂の光の矢を察知するとは。また腕を上げましたな、レイラ殿?」
「ファルス様の光矢は、何度も見てきましたので」
普通、投擲物が放たれてから避けるなんて芸当はできないんですよレイラさん。…そんなオレのツッコミは、今は置いておく事にしよう。
光の矢を番える老司祭に、付け入らせる隙をレイラさんに作ってほしくない。そんな思いで、二人の睨み合いを見守る事しかオレにはできなかった。
●プチ「Choose One」
作中でも説明されている通り、赤ずきん少女は十全な状態ではありません。こと撃破だけに焦点を絞るなら、実はソレイユ単騎でも今は可能です。
ただし、その場合は建物内に取り残されたエルフたちが残らず潰れてしまいます。赤ずきん少女の水の恩恵で、一時的に浮かせているに過ぎませんからね…。
つまり今回、格闘姫たちに課せられた勝利条件は「赤ずきん少女をなるべく倒さず」「老司祭を撃破」という一段階難しいものとなっています。…その報酬?誰かさんの好感度が上がる、とかですかねぇ?
●この主人公、毎回足払いされているよね…?
ヒロインちゃん(+ソレイユ)が如何に乙女心の疎い脳筋であるかが分かる一幕、となっています。似た者同士って怖いね。
また、強制ヒザカックンされ続けるオッサンの関節はもうボロボロです。あまり回数は重ねたくない回避方法なのですが、今後もお世話になるんだろうなぁ…。