第3章23「水面に浮かぶは隠者の影4」
ガラリと崩壊する音がすっかり鎮まった頃。埃一つ付いていない筈の、白と青の清らかな法衣ドレスを払いながら、レイラさんは一つ息をついた音がした。
あれからオレはレイラさんに抱えられたまま、土砂降りの瓦礫の間をすり抜けて崩れる建物を脱出したのだが…。正直生きた心地が全くしない、とてもスリリングな時間を過ごさせてもらった。
道なき道をひたすら上下左右に突き進むレイラさん。その道中は木材や鉄材が落ちてくるだけなら可愛いもので、落下の勢いが乗ったエルフたちの得物が降ってきたり、逃げ遅れたエルフが自分の周囲を魔法で防御しながら落ちてくる事もあった。ジェットコースターとアトラクションが融合した、某パーティゲームのイメージだろうか。
オレの視点が常に下側に向いていた事が不幸中の幸い。落ちてくるその障害物を直に見る事はなかったが、時折世界が半回転し、ほんの少し遅れて何かを蹴り飛ばした破壊の音は何度もオレの耳を衝いた。それだけでも戦慄モノなのに、「あれは浄化する訳にはいきませんね…」と、少し辟易しながら迂回するレイラさんの声色は、脱出が叶った今でも忘れ難い。
結果、彼女が傍にいてくれて良かった安心感と、彼女の表情を見なくて良かった安堵感に、今後どう彼女と接したら良いのか分からない恐怖が均等に混ざった、よく解らない感情を持て余す事になってしまった。今はまともにレイラさんの顔が見られそうにないや…。
(物事が考えられる程度には、体力が戻ったかな…)
レイラさんに抱えられる間にも、浄化の恩恵で少しずつオレの疲労感を和らげてくれたらしい。まだ満足に動く事はできないが、周囲をしっかり観察できるまで回復した気がする。
改めてもと来た道に視線を向けると、エリアス湖を一望できる程度には高身長だった筈の食事処は、今となっては誰かの残飯のような惨状となっている。なんとか倒壊を免れた周囲の家屋も壁面にヒビが入っており、いつ崩れ落ちてもおかしくない。改めて、レイラさんの震脚の威力の高さを実感させられる光景だ。
とはいえ、あの中で生き埋めになっているエルフたちが、いつゾンビよろしく這い出てきてもおかしくない。できるなら、更に距離を取りたいくらいだ。
あんな瓦礫の山くらい、「もう少しで死ぬところだったわよコノヤロー!!」なんて叫びながら、魔法一発で軽く吹き飛ばしそうだからな…。あぁ、いけない。そんな悪い想像をしていたら、ただでさえレイラさんの神速移動で酔っていたのに、更に血の気まで引いてしまう。
「ふぅ、ようやく一息つけますね。ご無事ですか、カケル様ーーカケル様ぁ!?お、お顔が真っ青を通り越して真っ白に…!?」
…どうやら手遅れだったらしい。元々身体が動かせない程に疲れていた中で、精神的に参ってしまったらしいオレは、どうやら命の火を燃やし尽くしてしまったようだ。
さらば現実、たった30年程度の付き合いだったけど悪くない人生だったぜーー。
「気をしっかり持ってください!命をこんな所で燃やし尽くしてはいけませんーッ!」
おぉ、真っ白はいけない。元より日に当たっていないオレの皮膚の事だ、それはもう色素という色素が抜け落ちてしまっている事だろう。
大学時代の友人から、「お前の皮膚は病人のそれなんよ」と言葉を頂戴した記憶が蘇る。…そうか、あの状態から更に白くなったのかぁ。
「ごぶぅッ!?」
そんなオレの萎びた身体に生命の火をくべるように、慌てた様子でレイラさんが浄化の恩恵を目いっぱい流し込んでくる。その甲斐あってか、力強く胸に押し込まれた張り手の苦しさにも反応できる程度に、オレの中の疲労感が吹き飛んでしまった。
「お、おばようございまずレイラざん…。助げでいだだぎ、ありがどうございまじだ…」
「か、カケル様ーッ!?申し訳ありません、つい力を込めすぎてしまって…!」
HAHAHA、この張り手の痛みは一生忘れませんとも。胸に真っ赤な紅葉がいつまでも映える身体…うん、悪くないかも。
そんな現実逃避も束の間、先のオレの悪い予感が現実になったかのように、地中から瓦礫を噴火させて飛び出てきた一つの影。何事かと構えるオレとレイラさんは、警戒を緩め…あるいは強めた。
それは、煤だらけの忍者姿の女が怒りに表情を歪め、のしのしと地面を踏み鳴らしながらこちらに近付いてくる姿。彼女の感情の矛先は、やはり一人だけに向いている。
「誰よ!急に建物ごとぶっ壊すふざけた思考回路しているマヌケはーッ!!」
…そういえば、ソレイユもあの建物の中に居たんだった。赤ずきん少女の足止めをしてくれていた筈だが、その役割はしっかり果たしてくれていたようだ。
その意味では、確かに憤慨したくなる気持ちも解る。オレだって事情を知らされない中、トンデモ事変に巻き込まれたらブチ切れただろう。
「間抜けとは失礼ですね!誰の功績でエルフの棲み処からカケル様を救出できたと思っているんですか!」
けれども、その相手が悪すぎた。不倶戴天の敵同士、隙あらば仕留めに掛かる勢いの二人にとって、その行動一つが感情の火薬庫に直結している。放っておけばこの通り、拳と脚が交差し兼ねない修羅場の完成だ。
この燃え上がる火を誰が鎮火させるのか、だって?それは勿論、この場にいるオレしかいないだろう。あぁ、胃薬と頭痛薬は無いのかこの夢世界には…!
「アタシがオジサンの逃げる隙を作ったからでしょ!?功労者に対するクチの利き方くらい学んできなさいよ脳筋女ァ!」
「だとしたら、カケル様から一度でも目を離して命の危機に晒したソレイユ様は大戦犯という事になりますね!ソレイユ様こそ、私への態度を改めていただきたい!」
どうどう、二人とも落ち着いて。ステイッ、ステーイッ!!
お互いの拳と脚を振るわせないよう、咄嗟に二人の間に割って入ったオレへの、左右から寸止めされる彼女らの一撃。一応、オレを殴り/蹴り飛ばさないよう気を遣う理性はまだ残っていたらしい。…今日だけでオレの寿命、どれだけ縮んだのだろうなぁ。
「カケル様、どうかご再考を!私があの場で助けに入らなければ、今頃カケル様はあの建物の中でまだ監禁されていたと思います!」
「はぁーッ!?アンタが来なければ必要最低限の人数でオジサンを助けられたのに、そのプランを根元からへし折ってくれたんじゃないのよ!」
「「むきーッ!」」
オレを挟んで威嚇し合わないでください!ただでさえ小さく萎んだオレの心臓が、今にも潰れそうです…!
「ふ、二人とも!今はこの場から離れましょう…ね?いつ敵の応援が駆けつけてくるか分からないですしーー」
「おぉおぉ、目印にしていた建物が見るも無残な姿に…。ここの食事は美味だから気に入っていたのじゃがなぁ」
そして、オレの心臓は一気に膨れ上がった。色々な感情がオレの頭の中で錯綜し、呼吸を乱していく。
ドクンと身体から跳ね上がる程の衝撃を鎮めるように、思わず胸を押さえながら。オレは恐る恐る声の主を探した。
そういえば追手たち、オレを誰かに引き渡すとか言っていた気がする…そんな後悔の感情。
そういえばこの声、ほんの数日前にどこかで聞いた事がある気がする…そんな畏怖の感情。
「仕方ない。次に見つけた行きつけ先での肴に、お二人の首を取った話でも添えようかのぅ?」
光の矢と盾を使いこす老司祭による、オレの脚を射抜こうとしたあの記憶が鮮明に想い起される。
こちらに向けられた老司祭の柔和な笑みを、オレが現実でも認めた時。死神に心臓を撫でられたような気がした。
●命懸けのパルクール
主人公君を抱えつつ崩壊する建物の屋根から脱出する都合、ヒロインちゃんはかなり難易度の高い技量を求められます。それでも軽々とやってのけるヒロインちゃん、瞬発力だけでなく判断力にも優れているんですねぇ。なお、このパルクールを始めたキッカケはヒロインちゃん自身の模様。後にソレイユからも突っ込まれます。
また、このパルクール中にも主人公君の浄化も行っているという高性能っぷり。どうしてこんな人材を月の国は追放したんですか…?