第3章13「プレイバック・アクアリウム編1」
オレは一体、何をしでかしたのだろう。そろそろ見慣れてきた石の天井をぼんやりと眺めながら、このような事態に巻き込まれた経緯を思い出すべく、彼方にしまい込んだ記憶を手繰り寄せる。
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最初に手繰り寄せた記憶は、オレの意識が戻った時。赤ずきん少女に地下牢に拘束され、あの女神様と何かを話した後の事だ。
すっかりボロボロになってしまった教会の礼拝堂、その隅の会衆席で飲み物をちびちび舐めるように口をつけていた時の事だった。
『兄ちゃん、あんな凄い力持ってたんだな!見直したぜ!』
『でもソレイユ様を置いてきたのはいただけなかったわね。連れ出すくらい出来たでしょうに』
『細かい事は気にすんなよ!頭も詮索するなって言ってたんだしよ!』
『あんたはお気楽が過ぎるのよ。それと昼から酒は止めなさいって』
『いーだろぉがメリスちゃーん!仕事が無事に終わった後は飲むに限る、ってなぁ!』
『次ちゃん付けしたら下のモノ叩き斬るわよ』
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
…思い出すべき記憶を間違えた気もするが、何度思い返してもここが再生開始地点らしい。
もう少しマシな回想場面もあっただろうに、よりにもよって祝勝会の席で酔った暗殺者たちに絡まれる場面だなんて。我ながら最低な場面からの再生だ。
仕方ない、無いものねだりをしても仕方ない。そう自分に強く言い聞かせ、そしてオッサンの記憶再生能力の衰えを呪いながら、仕方なくその続きを流し始めていく。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
『カケル様がお困りです。離していただけますか?』
ぐわんぐわんと肩を組まれながら左右前後に揺れるオレと酒飲みの暗殺者の図を、快く思わなかったらしい横の席の少女が睨んで牽制する。
『つれないなぁ』と、牽制に文句を垂らしながらも離してもらえる辺り、この暗殺者には安全圏と地雷原の境目を見抜く力があるようだ。流石は暗殺者、意識はまだお酒に呑まれていないらしい。
…メリスと呼ばれた同業者らしい女性から、『敵国の女に何尻尾巻いて逃げてんの?』と違う意味で睨まれタジタジとしているが、そちらはオレの管轄外なのでこれ以上は目を配らない。
『ですがカケル様、あの時のお力は一体何なのでしょう。禍々しいものをずっと感じていましたが…本当にお身体に異常はありませんか?』
話題を戻すようで恐縮ですがと、こちらを窺うように探ってくるレイラさんも大概だ。が、先の暗殺者と違って興味本位で聞いてきた訳ではないのは、彼女の心配そうな表情から窺い知る事ができる。
レイラさんの浄化の恩恵で、ある程度の怪我は浄化してもらったが、その時からずっと首を傾げていたのだ。質問する側の立場って大事なんだなと、現実でも嫌という程に身に染みていた筈のオレは。同じ轍を踏んでしまった事を悔い、律するように改めて自分を呪った。
身の程を知れ、カケル。尽くされた礼には出来得る限りの礼を尽くし返せ、仇を返すな。
『自分が何かの力を振るっていたって事を覚えていないのは異常だとは思いますが、それ以外の異常と呼べるようなものは…。強いて言えば、少し疲れが残っているくらいでしょうか』
気がついたら地下牢から教会の礼拝堂にワープしていた、オレの記憶の接合点の違和感は、流石に疲れによるものと流す訳にはいかないだろう。たとえ些事であっても、自覚があればそれを伝えるべきだ。
そも、どんなに小さな嘘もしっかり見抜くプロを前に隠し事はご法度。レイラさんとの協力関係を壊したくないから、という理由もあるが、この情報の共有に嘘を混ぜたくないとも思っていた。オレだって、この違和感の正体を知りたいのだから。
『私の浄化の恩恵も通らない事を考えると心配ですが、その一番の原因がまたどこかに雲隠れしてしまった以上、これ以上の詮索は難しい…のでしょうね』
額に皺を寄せるレイラさんの、『むぅ』と頬を膨らませる姿を可愛いと思いつつも、その表情の原因となっているだろう女神様の所業についてオレも考えてみる。
まずは赤ずきん少女の撃退だ。まぁ、これだけなら何も驚く事ではない。むしろ、あの女神様なら金の杖先一つで些事のように片付けるだろう。実際、あの重そうな砂袋を操って押し潰したと聞いている。いや、これでも十分凄い事なのだが。
問題はその後だ。今オレたちがいるこの教会は、礼拝堂こそ度重なる襲撃によってボロボロのままだが、それでも所々に修繕の跡がある。
…言い直そう、恐らくこの教会が無事にあった頃の状態に戻った跡がある。あの崩れた地下牢に至っては、赤ずきん少女が水の牢で守らないと繋がれていたオレたちが落盤で死ぬ可能性があった程に酷い荒れ様だったのに、今となってはその痕跡すら残っていない。
そりゃもう、あの暗殺者がこちらの肩に気軽に組んでくるのも納得というものだ。これを奇跡と呼ばずして何と言う?
覚えのない感謝の言葉を向けられ続け、愛想笑いを振り撒き続ける外身のオレと、感謝に蝕まれるオレの内面に乾杯だチクショウ。誰か胃薬持ってこい。
『か、カケル様。額にこんなに皺が寄ってしまって…。あぁ、何とおいたわしい』
『どうせ酔った女をどう口説こうか考えてただけでしょ?はーっ、これだから男って奴は!』
『んな浮ついた事誰が考えるか…って酒臭っ!?』
背中に衝撃が走り、何事かと顔を向けると、そこには既に出来上がっているソレイユの姿が。見た目に反してちゃんと成人しているのか、と思う所はあるが、目下の問題はこの酒飲み特有のダル絡み。
酒飲みはある種無敵だ。話題の挿げ替え、強硬論、果てには下ネタまで。弁術なら何でもござれの闇商舗とも呼べるだろう。
『ソレイユ様、お離しください。カケル様が嫌がっております』
『ハッ!これだから酒にも嫌われる女は。その堅い頭じゃ男は誰も寄って来ないわよー?ヒック』
ほぼ全体重をオレの背中に預けていそうなソレイユの姿勢、それを殺意マシマシで睨みつけるレイラさん。またもその真ん中に存在する小心者の心臓が、声にならない悲鳴を上げるには充分な要因が揃っていた。
振り解こうにも、影纏いの恩恵で彼女の腕を固定化しているのだろう。上手く力が入らず、その場から離脱できない焦りばかりが募っていく。
『お酒の力を借りなければ一歩を踏み出せないような殿方は、私からお断りです。それに、私には衣授の契りを交わしたーー』
『あっはっは!ガードが堅すぎる女って魅力激減なのよ、覚えておきなさヒック!あぁ、良い機会だから言っとくけど、契りだか何だか言っても、結局は早い者勝ちなの…よッ!』
語気を強めながら、唐突に乱雑に棄てられたオッサンがこちらになります。折角の飲み物が勿体ない、いや服に掛からなかっただけマシではあるが。
…あぁ、レイラさんの目が今のソレイユを赦す気はないと告げている。拳を力強く開閉している様は、まるで罪人を裁かんとする処刑人のようだ。
『ソレイユ様、胃の中に入れたものを全て吐き出す運動を思いついたので実戦してみませんか?』
『へぇ、運動ねぇヒック。良いわ、今は気分が良いから乗っかってあげようじゃないの!』
『そういう訳ですのでカケル様、申し訳ありませんが少々席を外しますね』
こちらに頭を下げながら、レイラさんがソレイユの黒いマフラーを引っ張るようにして教会の外へと連れ出していく。静かな怒りを秘める処刑人とは対照的に、ソレイユは余程気分が良いのだろう。『行ってくるわー』と笑顔を浮かべ、されるがままに連れられていくではないか。
ソレイユさん、ジッセンの字が違うんですよ。そもそも運動じゃないんですよ。早く気付いて…。
●主人公君、「“悪魔”」を起動している時の記憶が無い…?
その通りです。助けてもらっている主人公君には、「“悪魔”」を起動している時の記憶なんて贅沢の極み。善意で「“悪魔”」が没収しています。
そもそも「タロット」が、この夢世界に存在しない超越物質故に、主人公君の残念な脳容量では理解が追いつきません。なら感じれば良い?そうなったら立派な戦闘狂です。
ところで、この主人公君はどうやって「“悪魔”」を起動させ続けられたのかと言うと…契約状態の相手に全て丸投げです。ヒモかよ…。
女神様が契約相手であれば問題ありませんが、それ以外の人物に契約状態を担当してもらう時は、ほぼ100%逆位置します。
その「悪魔」の逆位置効果は…後に語られる予定なので、ここでは割愛させていただきます。
●ヒロインちゃん、お酒飲めないの?
成人はしているので、飲む事はできます。…が、普段は酔わないようアルコールを浄化しています。
何杯飲んでも酔う事はできず、味も美味しくないという理由で、普段から控えているようです。
反対に、ソレイユはお酒を嗜む程度にはもらうようです。
ただし、その嗜む量でも簡単に酔ってしまうので、普段は理性で抑えられている感情もフワっと表に出てくる事も…?




