第3章12「アクアリウム・コロシアム4」
暗殺者たちは混乱していた。突然這い出てきた謎の存在が、ソレイユが地下に囚われていると示唆された事に。
赤ずきん少女は混乱していた。いつの間にか鬼札を叩き斬られた事実、それを行ったのが何の力も持たない筈の保護対象だった事に。
女教皇は混乱していた。地下から現れた依頼主が、何故か女神様の格好をしている事に。
悪魔の登場により、戦場に立つ全員に衝撃が走る。教会内に悪魔が降臨している時点で司祭でも卒倒するだろうが、その問題は今は脇に置いておこう。何せ、この悪魔には時間がないのだから。
「詳細は後で彼から聴いてもらう事にして、まずは現状の打破からだ。女教皇ちゃん、動けそうかい?」
「…っ。えぇ、辛うじて。恩恵の方は少し休まなければ使えませんが」
「結構。ではキミの代わりに出来損ないの結界を解くとしよう、外の人間への説得は任せたよ」
まずは不満な感情を持ちながらも、すぐに動いてもらえそうな女教皇に率先して動いてもらう。クルリと意味なく手元で遊びながら金杖を出口へ向け、しかし視線は出口へ向ける事なく焔弾を放った。
威力は抑えたつもりだったが、教会の出口は粉微塵に吹き飛び、熱で融解した金属部分がブスブスと煙を上げている。…女教皇ちゃんの責めるような視線が痛いが、この爆弾は彼に処理してもらう事にしよう。
「次、マイティ君。キミたちはここに居る隠者ちゃんを連れてすぐに外へ。周りのお仲間も一緒にね」
「隠者っテ、ソレイユの事ヲ言ってイルのか?無礼ナ奴ーーコホン、今は置いておコウ。本当に、地下ニ居るノカ?」
「水の牢は蒸発させておいた。念の為の警戒をしながら、早々にこの教会を出るといい。…刻限は1分だ、それ以上は待たないよ」
次に、地下に置いてきてしまった隠者の回収だ。担いでこの場に現れるにしても、暗殺者たちの不信を買ってしまったら元も子もない。一番なのは隠者自身に歩いてきてもらう事だったが、残念ながら目の前の死神ちゃんに力を搾り取られ過ぎてまだ意識が戻らない。
そも、格闘戦でタコ殴りにされた後の力の吸収は、死んでいない事が奇跡に近い所業だ。一刻も早く、女教皇ちゃんに診てもらわなければ手遅れになる。
「質問、要望があれば死神ちゃんの相手をしながら適宜受け付けよう。ただし、先にも言ったが刻限は1分だ。その中でボクの言った二つの条件が満たせなかった場合がキミたちの敗北になる。それを忘れないように」
最後に加えたその言葉が、目の前の赤ずきん少女の神経を逆撫でる。「片手間でもキミの相手をするのは造作もない」と公言されたようなものだ、挑発耐性のない彼女の意識が女教皇から逸れるのも訳なかった。
「じゃくしゃをかいほうしたていどで、ちょうしにのるな…!」
周囲の水を集められるだけ集めたらしいプリシラは、吼えながら一直線にこちらに向かってくる。その鬼気迫る表情で周囲を水で巻き込む様は、まるで人間の形をした台風だ。
「おまえのいのち、ぜんぶすいつくす!」
「残念だが、今のキミではボクに勝てないよ」
その台風を、金杖から生み出された白い焔で迎撃する。
火は水に弱い、ゲームでも現実でも踏み固められた規則は変わらない。ただし、焼けた石に水を数滴垂らした程度では簡単に熱が冷めないのも規則通り。今回の悪魔と死神の衝突は、後者に現実が寄った。
「ぐ、あぁ…あああっ!!」
「無理をしない方がいい。火傷程度じゃ済まなくなるよ?」
ジュワリと音を立てて、水が焔を侵食していく。しかしそれは一瞬だけで、勢いの止まらない焔が水をあっという間に蒸発させてしまう。
ジュワリと音を立てて、肉を焼く嫌な臭いがし始めた。その光景を目の当たりにして力量差を思い知ったのか、それとも単純に痛みに耐えかねたのか。「ぅ、うぅ」と呻き声を上げ、一歩二歩と焼けた腕を庇いながらプリシラが後退る。
「まだ、まだぁっ!!」
それでも彼女は諦めなかった。僅かに残った水を拳に纏わせ、もう一度と肉薄してくる。しかし結局は、理性を失った獣の一撃。単純な直線攻撃を受ける道理もなく、かと言って追撃の焔を出すと深手以上の傷を負わせてしまう可能性が高い。
さて困った、折角の情報源をここで逃す訳にはいかないが、このままでは加減を間違えてしまいかねない。今の金杖は人体では耐えられない程の熱を帯びている為、気軽に打撃と行く訳にもいかないのだ。
「この!このぉ!でていけ、あくまめ!」
「…確かに今のボクは、”悪魔”と繋がった状態だ。が、ボクの本質は女帝。間違えてもらっては困るなぁ」
チリ、と空気を焼く音がする。大人げないと自覚しつつ、しかし一度沸騰した怒りは簡単に鎮まるものではない。一度死神ちゃんには灸を据えないと、知らなかった事だろうとはいえ女帝という称号を傷つけられたボクの気が済まない。
「もう一度、チャンスをあげよう。…今のボクは、何だい?」
「なんどだっていってやるわ!あくま、あくま、あくま!」
3回目の間違いまで聞き届けた後、金杖を思いっきり振り下ろした。それこそ、脳天を叩き割るつもりで。
しかし、腐っても隠者ちゃんを倒し、女教皇ちゃんを追い詰めた強者。目の前の攻撃を避ける事は容易らしい。
「そんなしろうとのおおぶり、あたるわけーー」
…月の国の戦士は皆、格闘戦を極めた拳闘士集団か何かかな?と一瞬余計な思考が過ぎるが、それは彼の深層心理の知る所。後でまた彼の記憶を閲覧すれば解る些事だ。
この攻防において重要なのは、この金杖の一撃ではない。想定外の攻撃の方だ。
「ーーーは?」
この教会のエントランスには、似つかわしくないモノが鎮座している事は覚えているだろうか。そう、女教皇ちゃんが拵えていたお手製のサンドバッグである。
星球武器の要領で振り下ろした本命、使い慣れていない得物を振り回して当たる程の幸運は残念ながら持ち合わせていない。だから、補助を入れる事にした。
「大の男でも持ち運ぶのに苦労する重い砂袋、普通なら持ち上げるには女教皇ちゃんのような肉体強化が必要な所だが…この身体では残念ながら焼け石に水。なら、砂袋が勝手に動いてくれる方法を模索するべき…そうは思わないかい?」
その言葉を受けて、プリシラはようやく理解した。今の杖の振り下ろしは、打撃の為ではない。攻撃の予備動作の為だったのだと。
よく見れば、先の挑発の最中に仕込んだと思われる魔力の糸が、金杖の先端から引いている。それに、今の振り下ろし方はまるで、釣り竿でも扱うような気軽さだったようなーー。
仕掛けに気付き、思考を巡らせていたが時既に遅し。頭上に既に浮き上がっていた砂袋は、ギロチンの如く落下する。自然落下による重力に加え、振り下ろされた圧力にプリシラは押し潰され、悲鳴を上げる暇すら与えない。
「か…っふ」
「空気は吐き出せたようだ、えらいえらい」
纏っていた水がその場にパシャリと落ちたのを見届け、プリシラが意識を手放した事を確認する。女教皇ちゃんやマイティ君たちの行動は…おぉ、素早い。もう終わっていたのか。
刻限の1分まで、少し時間が余ってしまった。さて、この身体に残った余剰魔力をどう消化しようか。
●結局、今の主人公の状態って?
「“悪魔”」のタロットに目覚めた状態。このタロットを起動していると、最初に思い浮かべた人物の能力(Not 身体能力)を限定的に借りる事ができる。
これを契約状態と言うが、とにかく制限が多い。特にタロットカードの使用者が戦闘に慣れない主人公の為、不利な条件を幾つも抱えてしまっている状態。具体的には以下の通り。
・契約状態は、思い浮かべた人物の意識も借り受ける。その為、主人公が力を行使する間は、その人物が木偶の棒となる。
・契約を結ぶ相手の同意が得られない場合、単なる自滅の一手となってしまう。使い方によっては救難信号にもできなくはないが、主人公はその場から一歩も動けなくなる程の疲労状態になる。
・契約状態になったとしても、力を行使できるのは2分が限度。他のタロット使用者と比べて発動時間が短いのが特徴となる。
・身体能力も一時的に「“悪魔”」から借り受ける事も可能だが、契約状態では常にタロットを全力行使する為、逆位置状態になりやすい。
逆位置状態は、契約状態終了後も契約した相手に状態が残る。行使し過ぎると自分も相手も窮地に陥ってしまう。
要するに、代金後払いの本人許諾制コスプレ引換券。いわゆるハズレタロットである。
●出ていけ、出ていけ悪魔め!
おいアンタ、今何言った!?とはまさにこの事。
普段の主人公君イジリと飄々とした態度で勘違いしやすいですが、この女神様は実に根が女帝。自尊心も高く、本当なら言葉遣いにも気を付けなければならない特大爆弾です。
それが許される(ように見える)のは、主人公君の性質がこの女帝様のお眼鏡に適っただけであり、他の人物が踏み入れてはならない危険領域に触れれば逆上待ったなし。
当然、立て札なんて便利な物はありません、(主人公君以外は)初見で頑張って突破しよう!
因みに、今回の爆弾は「悪魔」発言。自らの力を言い間違えるとは何事だ、という拗ねた子供の駄々です。…言葉の綾くらい、大目に見ませんか?
●余剰魔力があるといけないの…?
本来は何も問題ありません。寧ろこの夢世界において(徒手空拳で戦うヒロインちゃん'sのような例外を除いて)戦闘行為というのは、激しく自らの魔力を消耗する魔法戦が主となります。魔力が降って湧いてくるのであれば、誰も彼も喜んで溜め込みます。
ただし、主人公君の場合は戦闘のイロハも解らない素人の為、「目が覚めたら戦える力が急に手に入ったヤッター!」と、ウキウキ気分で戦場に突っ込んでいって爆発する未来しかない事を、この女神様は予見しています。
なので、その魔力をある事に全て注ぎ込みます。何に注ぎ込んだのかは…次話以降ですぐに察するかもしれませんね。




