第3章11「アクアリウム・コロシアム3」
パシャリと水溜りを踏む音が、エントランス中に大きく響かせる。少女二人の舞踏会の激しさの象徴、レイラが浄化の恩恵を全力で振るい続け、水の篭手を意地で削りきった証拠なのだが、その努力を認めてくれる人物は少ない。
肩を激しく上下させ、体力の消耗を嫌でも実感するレイラだったが、しかし拳の構えは決して解かない。自分が最初にして最後の防衛線だと、役割を自覚しているからだ。
「しぶとい…。いいかげん、らくになったほうがいいよ?」
「では、プリシラ様の戦意を完全に削ぎ終えてから、ゆっくり休ませていただきます」
「っ、なまいき…!」
どうやらこの赤ずきん少女、レイラの挑発に反応して激昂する辺り、まだ性格に幼さが残っているのだろう。それがプリシラの戦闘スタイルの乱れに繋がり、消耗したレイラが未だに善戦できている要因なのだが、本人は尚も気が付かない。
しかし激昂も、一口に弱化と言い切るのは早計だ。防御は確かに疎かになるが、攻撃一辺倒に思考が傾く恐ろしさは、こと格闘技においては計り知れない。人が獣になると、その様を比喩される事があるが、今のプリシラの状態はある種、獣と同義と言って良いだろう。
プリシラの強く踏み込む音と共に、水の篭手に一層の圧が集まる。ーーその水に被弾してはならない。レイラは自らの戦闘経験から、この打撃を被弾したら致命傷になると判断した。
「くっ!」と思わず声を漏らし、顔を顰めながら咄嗟にバックステップで距離を取ろうとするレイラだったが…時すでに遅し。鞭のように撓りながら、こちらまで伸びてくるジャブの嵐の前に、光を溜めた腕でレイラは防御に徹さざるを得なくなった。
「ほら!ほらっ!ほらぁっ!はやくらくになっちゃえ!」
レイラの腕を痛めつけるように、拳が撓り続ける。水の篭手がレイラの浄化の光に触れる度、少しずつ削られ水の珠を吐き出していくが、元より使い潰すつもりで振るわれているだろう攻撃を前に、レイラの浄化の防御が間に合わなくなってきている。
少しでもレイラにプリシラの拳が、浄化の光で守られていない無防備な躰に届けば、その瞬間に戦闘の行方が決する。暗殺者たちも自分たちの敗北条件を理解しているが、しかし無闇に割って入ろうものなら相手に武器を提供してしまうだけだとも理解できていた。
地下牢の様子を窺う事なく待機するのも、単独行動の末に相手のパワーアップに貢献してしまい、目的も果たせない事態を確実に避ける為。この場にいる暗殺者たち全員がそれを理解できていた。
故に、せめて自分たちが足手纏いにならないよう、いつ襲ってくるかも判らない宙に浮かぶ水の珠たちを警戒し続けるしかない。しかし、それは精神の摩耗との戦いだった。
(水ノ処理も満足ニ出来ナイ、乱戦モ許されナイ、単独行動もリスクが大きすギル。これハ…八方塞がりダネ)
自分たちでは対処できないものに対処できる、レイラの持つ恩恵が如何に特異なのかを改めて理解し、自分たちの無力さを痛感する事でまずはひと撫で。自分たちの命運が、敵国の賢者に握られていると自覚する事で、暗殺者たちの心に細波を立てていく。
「…っ、頭領!やはり地下牢の様子を見にいくべきですって!」
「ダメだ、敵方の恩恵の奇襲性ガ高スギル。少しデモ触れレバ、その分ダケ俺たちノ死が近くナル。まだ、我慢ノ時ダ」
やがて我慢できなくなった一人の部下が、痺れを切らしたように単独行動を提言してくる。一人の疑心暗鬼は周囲に良い影響を及ぼす訳がなく、次第に部下たちの連携に不協和音が生じ始めているのを、マイティは感じ取っていた。
(お嬢チャン、こっちハそろそろ限界ダ。何か手ハ無いのカ…!?)
マイティの焦りもピークに達しようとしている中、少女二人の格闘戦は遂に決着の時を迎えようとしている。レイラを守っていた浄化の出力が限界を迎えたらしく、水の篭手を削る音がしなくなったのだ。
「く…ぅ」
「さきにはさんしたのは、あなただったみたいね」
赤ずきん少女の表情が、勝利宣言と共に歪んだ喜色に染まる。レイラもまた、苦悶の表情で顔を歪ませていた。この二人の対比が、プリシラの言葉に偽りがない事の証明だった。
ほぼ削れてしまったとはいえ、まだ水の篭手は健在だ。それでも問題はない、目の前に武器の供給源があるのだから。
「くるしんでしね」
プリシラの凶拳が、レイラの腹部を狙って振るわれる。顔を狙えば楽に意識を奪える筈なのに、敢えて相手の意識が残る方法を選んでいる辺り、彼女のサディストな性格の片鱗が窺えるというもの。
…というのは単なる私見として。いわゆる中段攻撃は、受けて防御するのであれば対処は楽だろうが、完全回避となれば話はガラリと変わってくる。
実際に動いてみると分かるだろう。自らが後ろに下がれば全員の命が危険に晒される状況、しかし触れられればガードしていても即アウトの格闘戦…。体力も集中力も消耗しきった中で即死の中段攻撃を突発的に打たれ、果たしてそれに触れずに避ける事は出来るのだろうか。
後退できない中での回避行動、その選択肢は多くない。対して攻撃手のプリシラは、その択を丁寧に潰すだけで良い。
ーーあぁ、追い込まれて絶望に染まったオオカミを狩る至福の時間がやってきた。これだから粛清者は辞められない!表情と共に彼女の心が愉悦に歪んだ瞬間、甘えるなと言わんばかりに顔に強い衝撃が走った。
「ゔぁッ!?」
それは、今まで一方的に攻め続けていたプリシラにとって、想定外の一撃だった。レイラの浄化の防御によって多分に削られたとはいえ、纏う水にはまだ余裕がある。それに、いざとなれば生け捕りの女もいる。防御の札がある限り、プリシラに負けは無いのだ。
それなのに、この一撃は何だ。ビリビリと痺れるような鈍痛、まるで殴られたような一撃だったが、しかしその攻撃の第一候補である目の前の女教皇に一転攻勢の様子はない。むしろ、驚きの表情を浮かべているではないか。だとしたら、あの取り巻きたちの誰かが空気弾でも飛ばしたと言うのかーー。
「あの隠者ちゃんが切札のつもりなら、一手遅かったね」
プリシラの想定は、さらに外れる。取り巻きたちの更に奥、地下へと繋がる階段から声が聞こえてくる。
あり得ない、あの地下の中に誰も潜んでいない事は念入りに確認済だ。居るとしたら水の牢で今も繋げている二人だけ、しかも抵抗してきた生意気な女はこの拳で叩き潰した筈ーー。
「まさか、あのろうをやぶったの!?」
「牢に繋げるのなら、誰が相手であっても手心を加えてはいけない。…まぁ、手心を加える必要があったのだろうけども、そんなキミの事情は知った事じゃない」
階下から、足音を隠さずに誰かが上ってくる。靴音からして男、地下に繋いだ男の方だろう。
しかしそれでは辻褄が合わない。何故なら階下から聞こえてくるこの声は、女の声だからだ。
「尤も、情報不足による油断故の過小評価だったのだろうけどね。翻って、それがキミの敗因となる訳だ」
何者かが、地上に現れる。教会内にいる全員が、今この一時だけは戦闘に割く思考を放棄してその乱入者に視線を向け…驚きの感情を各々顕わにする。
そこには、男がいた。表情には何かを見定めるような薄い笑みを浮かべ、空色のコートを外套のように袖を通さずに翻すその様は、まるであの女神様のよう。それを証明するように、彼の右手には金杖が握られていた。
「では、第2ラウンドと行こうじゃないか。水分補給はさせないよ?」
悪夢のような存在が、薄い笑みを一層歪ませる。その姿はまるで、何かに憑かれた悪魔のようだった。
●水溜まりがあると赤ずきん少女、恩恵が使えるんじゃ…?
前回の後書きにもありますが、赤ずきん少女が使用する水には「清潔、清らかである事」が条件に求められます。成程、ヒロインちゃんの浄化の恩恵で「清らかに」なっているように見えますね。
しかし、今回に限ってはこれに該当しません。敵方によって「(自分用にチューンアップした水を)浄化させられた」=毒物と、赤ずきん少女の判定が下っている為です。
まぁ、こちらを殺そうとする敵から「これキレイにしておいたでー」と差し出された液体を素直に飲む事ができるか、と言われたら…。少なからず警戒はしますよね?これと思考の回路はほぼ同じです。
この場面においては、ヒロインちゃんにとって数少ない朗報。この水を再利用されない内に、どうにか赤ずきん少女を仕留めたい所です。
●ヒロインちゃんの恩恵切れ
もう少しだけヒロインちゃんには防御用の余力がありますが、浄化の恩恵を攻撃に転用できない=打つ手がない、という解釈になります。
ほぼ水の恩恵を使い切った赤ずきん少女からしたら殴り放題です。このまま残った恩恵を全て乗せて圧倒するも良し、水を纏う事を止めてフェイントをかけても良し。ガード削りでも勝利確定となれば、普段はしないような慢心もするというものです。
いざとなれば、地下牢にある貯水庫から水を引っ張ってきたら良いだけですからね!…なお主人公君の覚醒タイミングが最悪過ぎて有効活用できない模様。
●悪 魔 合 体
今話最後にある、主人公君が「“悪魔”」を発動させ、それに成功すると行われる強制イベントです。どれだけ恥ずかしいコスプレであろうと、主人公君の心に救いはないのだ…。
とはいえ体型だけは、悪魔の恩情でスラリとした細身になれます。80㎏超えオッサン、念願の60㎏台の身体を手に入れる…!(時間制限あり、女神様と契約時のみの恩恵)




