第3章10「アクアリウム・コロシアム2」
戦闘開始のラウンドコールが鳴り響く束の間のひと時、暗殺者たちは必死に活路を見出そうとしていた。宙に浮く謎の水の珠に囲まれた中、依頼外の戦闘に内心で歯噛みする仮面の男は、しかしそれを部下たちに気取られないよう感情を殺す。
最優先は自分たちの命、特に部下たちの命だ。その為なら壁になる事も厭わないとマイティは思考を巡らせる。
(こちらノ札は棍、剣、槍。魔法モ含めれバ炎、風。武器は場所ノ相性不利ダガ、魔法ハ風が有効…。しかし出力は向コウ側に軍配ガ上がるだロウ。総ジテ俺たちト相性が悪イように思ウガ…さて、ドウする)
この戦闘で光明があるとすれば、それは月の国の賢者の存在だ。そも、目の前の少女が纏う赤頭巾に施されている特徴的な光の紋様は、月の国に属する者の証明だ。同郷同士、弱点の1つや2つは互いに知っていてもおかしくはないだろう。
「マイティ様、他の皆様も。察していただいているかもしれませんが、あの水の珠には決して触れないようお願いします。たとえ皆様がお持ちの武器であっても、です」
「カラクリは、教えてクレるのカナ?」
「念の為、具体的なタネは明かしませんが…。結論を言えば、脆くなります」
「…何だっテ?脆くナル?」
マイティの聞き返したいその気持ちはよく分かる。命のやり取りなのに、味方勢力への隠し事は御法度だ。…が、女教皇のその一言で、おおよそカラクリの見当はついた。
恐らくプリシラの恩恵は、触れたモノの水分を奪う…弱体化特化型の力だ。それも、底なし沼系の恩恵持ちの可能性がある。
ヒトを含め、モノとは絶妙な組成バランスの上に成り立っている。絶対の骨格から伸びる枝葉は、乱雑に芽吹いているように見えて、実は全体的なバランスが取れた形をしている事が多い。
苺の乗ったクリームたっぷりのスポンジケーキ、その割合を間違えれば見栄えと美味しさが損なわれるように。一つのバランスが崩れたら、そこに不慮の事故が起こらなければ、原形を留める方法すら忘れてしまう軟体生物と化してしまうように。
徹底した弱体化で動きの鈍ったサンドバッグを、水で嬲り殺す。それが、女教皇に負けず劣らず線の細い赤ずきん少女の、着実に命を刈り取る死神のような戦闘スタイルだ。
「あなたたちのおくちからは、おしゃべりよりひめいがききたいな」
先手は貰ったと、赤ずきん少女がブーツを力強く踏み鳴らしながら前のめりに襲いかかる。数の不利を物ともしない、思い切った行動に。暗殺者たちと女教皇とで、明らかな差が生まれた。
マイティを始めとした暗殺者たちは、己の武器すら水の珠に触れるなと言われて最初に思い浮かべた対策が「避ける」事。当然だ、触れたらアウトの物質に好んで触りに行く物好きなんて、そう居るものではない。長物から短剣に持ち替え、己が身を守る為に固まって行動する事…それも正しい判断だろう。
しかし、それでは正面から突撃してくる赤ずきん少女の攻撃に為す術がない。目には目で、歯には歯で、赤ずきん少女には女教皇で相殺する必要があるのだ。
「生憎、悲鳴は品切れです。肉体言語であれば幾らでも買い取りますよ?」
「じゃあ、どちらがさきにはさんするか『こんくらべ』ね」
二人の言葉を皮切りに、拳と鎌が激しくぶつかり合う。…が、それは最初の一合だけだった。
レイラの光拳によって水鎌が浄化され、圧縮していた水の珠が弾け飛ぶ。魔法に頼った武器を使うのであれば、武器そのものを無効化できるレイラが圧倒的に有利な対面だ。
武器が霧散し丸腰になったプリシラに、牽制ではない本命の拳が、彼女の小さな躰の中心を穿たんと放たれる。ーーそこで、あり得ない二合目の打ち合いが始まった。
「な、ニ…?」
その光景にまず驚いたのは、正面からそれを見ていたマイティだった。弾かれた筈の水の珠が、再びプリシラの元に集まり、今度は篭手に鋳造し直したのだ。
本来、水は流動的な物質だ。定まった形をしていないそれを、一つの形に留めるには器を用意するしかない。コップ一杯の水と一口に言っても、その量や形が厳密には異なる。
しかし受け皿の中にある水は、その場で零れたり溢れる事なくしっかりと形を保てている。ーー絶対的なイメージが、プリシラの中にあるからだ。
プリシラの恩恵は、十分な水と彼女自身の持つ器のイメージさえあれば、水を圧縮し武器を鋳造する事ができる。重い武器を作ろうと思うなら、圧縮する水の量を増やせば良い。
つまり、いくらレイラの恩恵で殴った所で意味はなく。力の供給源か水源をどこかのタイミングで叩かなければ、戦闘は永遠に続く事になるのだ。
「おなか、よくねらうよね。なにかりゆうがあったりするの?」
「知りたいのでしたら、今体験されますか?」
「いやよ、めちゃくちゃくるしいもの。だからーー」
そこでレイラは、攻撃を防がれた右拳に違和感を覚えた。恩恵で削った筈の水の篭手が、珠となって霧散していないのだ。
カケルの命が懸かっている可能性もあって、彼女の中で恩恵を出し惜しみするという選択肢は存在しない。そして、自身の恩恵出力が落ちてきているのなら、すぐに自覚できる自信はあった。
では、この違和感の正体は何なのか。答えは至って単純、プリシラの水を圧縮する練度が、鎌の形状の時よりも格段に上がっているのだ。
「あなたとおなじことしてあげる」
レイラの拳を弾いて、防御の薄くなった彼女の右頬に鞭の如くプリシラが水の篭手が叩き込まれた。少しでも威力を殺す為、咄嗟に後ろに躰を流したレイラだったが、それでも衝撃を全て逃がしきれず、細腕から繰り出されたとは思えない重い水拳の一撃に思わず顔を顰める。
「ぐ…」
「あなたのそのべーる、うっとうしいね。でも、ぜんぶすいとっちゃえば…なかみ、たたきたいほうだいだねぇ?」
レイラに対してダメージが入った感触を確かめるように、黒い手袋で包んだ拳を開閉しながら、赤ずきん少女は笑みに嗜虐の感情を混ぜ始める。これから自国の追放者を相手の土俵で滅多打ちにできると思うと、自然と口元が緩むのだろう。そこには微塵も自分が敗北するという未来など、全く想定していないようだ。
しかしレイラも、はいそうですかと殴られ続けるつもりは無いと、改めて拳に浄化の光を纏わせて構え直す。さながら格闘技を観戦しているような気分だが…、先ほどから彼の直近の記憶で見た事がある展開が続いている。
さながら「格闘技」と「戦略シミュレーション」の悪魔合体、現代で言う所のゲームのそれ。恐らく、このまま何もしなければ女教皇はジリジリと嬲られ続けるだろうーー。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
『さて。以上が、キミが気絶している間の戦況になるワケだが』
そして時間は現実へと戻ってくる。オレは今、再び教会の地下牢の中で隠れていた。…否、隠されていた。
周囲を水に囲まれた牢は、不思議とその中に居ても溺れる事はない。触れても濡れる事のない不思議な水に包まれながら、しかし力ずくで破る事ができない堅牢な檻。それが、今オレが置かれている状況だった。
あれからソレイユは、突然現れたあの赤ずきん少女からオレを庇うように戦ってくれていたが…、この水に触れてしまってからは文字通りの良い打撃の的となってしまった。脚を潰され、腕を拘束され、がら空きになった顔と腹に次々と殴打を浴びせられ、満足に一撃も赤ずきん少女に浴びせられずに沈んでしまった。…痛々しく腫れ上がっていく彼女の姿に、思い出すだけで思わず下唇を噛んでしまう。
そんな彼女は、今はオレの横に同じ水牢を作られ、その中に入れられている。違いがあるとすれば、定期的に水の珠が放出されている事…だろうか。あれは一体何なのだろうか、と嫌な予感をさせながら眺めていたのだが、この話を聞いて合点がいった。同時に、オレの中で瞬間湯沸かし器の如く苛立ちが募っていく。
こんな仕打ちをした赤ずきん少女に向けて、というのもある。だが、怒りの矛先の大半はオレ自身に向けられていた。
この非常時にも、オレは何もできないのか。誰かに戦ってもらってばかりで、何もしないオレはクズ野郎以外の何者だ。
確かに、木偶の棒が戦場に立った所で戦局が変わる訳がない。むしろお荷物になるだけだろう。
けれど、だからと言って。何もせずただ助けを待っているだけの現状に、納得いかないオレが心の中にいる。その感情が、オレの中の歯車をカチリと鳴らした。
たとえそれが、見え透いた罠の道であったとしても。道が一本しかないのなら、そこを突き進むしかないのだ。
たとえそれが、オレ自身の時間だったとしても。使えるものは何でも使ってやる。後払いの対価なんて、今は知った事ではない。
『先に言った筈だよ、ボクの力はキミの声掛けによって貸す事ができると。…さぁ、今のキミの欲望を言ってごらん?』
目の前に誰もいない筈の空間、そこに立つ幻想の女神様に。オレはーー願った。
「力を貸してくれ、”ヤツヨ”。オレは、オレを助けてくれた人を見殺しにしたくない」
『良いだろう。契約、成立だ』
今更、オレの気絶していた間の情報をいつこの女神様が仕入れたんだとか、突っ込む気力もない。それより優先される命がある。
言葉は誓いに、誓いは呪いに、呪いは力に。たとえこれが、一時の気の迷いーー弱い心を突かれた悪魔の誘いだったとしても。
弱いままのオレで居続ける事は、もう我慢ならなかった。
主人公君、次回から(ようやく)参戦。
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●赤ずきん少女の恩恵、要するにどういう事だってばよ…。
水を自由に操り、それを様々な武器に変形させて戦う近接職です。ただし、彼女が使用できる水には一定の条件があります。
・清潔、清らかである事(毒物や、何かしらの汚染がされた水は使用できなくなる。ただしーー)
・水源のある程度近くに、本体が居る事
水で鋳造できる武器は、大鎌や篭手の他にも、剣やら槍やら様々な武器を造る事が可能です。それでも鋳造する武器たちにも強度差があり、水を纏う手からある程度距離が離れてしまう大鎌・剣・槍などはすぐに壊れてしまいます。
逆に、水を纏い続ける事ができる(拳を守る事ができる)篭手は最大の武器として鋳造でき、かつヒロインちゃんのように圧縮した水を消し飛ばす手段持ちにも素早く対応(鋳造し直す事が)できるので、赤ずきん少女の戦闘スタイルも自然と徒手空拳ベースに…。
えぇい、月の国の女たちは徒手空拳しか脳がないのか!?
●赤ずきん少女の言っていた、レイラの「べーる」って?
徒手空拳で戦うヒロインちゃんは、当然ながら遠距離戦が苦手ですし、それはよく彼女自身が知っています。
そこで、ある程度の魔法・魔術であれば即座に打ち消す浄化の膜を常時展開しています。これら遠距離砲台に不意を突かれた時の、ヒロインちゃんが持つ数少ない盾の扱いですね。
本来は、主人公君に譲渡したマントが更なる魔法・魔術対策となり、こちらも同じ効果を持っています。この2つを重ねられると、女神様の焔砲撃でもない限りは一撃で破れる事はありません。
とはいえ、今のヒロインちゃんは『黎明旅団』たちの百人組手、「風刃」との戦闘、結界で封じられた教会に入る為と、浄化の恩恵を消耗しきった状態。実はほぼガス欠です。
一部を除いた戦闘でヒロインちゃんが敗北する事、それはバッドエンドのフラグになる為、どうにかこの場を切り抜けてもらいたいですが…?
●…ところでこの女神様、今更どの面下げて主人公君の目の前に立ってるの?
そうですよねぇ。主人公君の知る所ではないヒロインちゃんたちの戦闘の数々を傍観し、その主人公君が危険に晒されているというのに、ギリギリまで何も手を差し伸べない薄情っぷり。怒りを通り越して呆れてきますよねぇ?
勿論、自分が力を振るえるよう、主人公君と契約をしてもらう為です。
そうしなければいけない事情があったのかもしれませんが、当然のように主人公君への説明は一切ナシ。念話も全く繋がらないという役満っぷり。
…ヒロインちゃんの目が届かない所で、この女神様は一体何をしているんだい?




