第1章04「ファーストコンタクト2」
恐怖心と恋愛感情を勘違いする有名な話がある。ちょうど今、オレはその話の主人公になっているらしい。
心臓が跳ねる音が、今も煩く耳を衝いている。このまま口を開く事があれば、冷静な判断が下せないだろう。
ーー白状しよう。オレはこの時、少女に見惚れていた。オレの夢の中の産物だと解っていても、その無垢な姿に思わず息を呑んでしまった。
その可憐な少女は、白と青を基調とした聖職者を意識したような衣装を身に纏っていた。所々に光を象った刺繍が施されており、豪華でありながら可憐で清楚な衣装は、位の高そうなお姫様を彷彿とさせる。胸元や裾に青いリボンが映えているのも個人的には好印象だ。
少女はまじまじと視られている事にも気に留めていない様子で、それどころか、こちらに微笑みかける心の余裕すらあるらしい。感情に浮かされるままに、オレの心臓は踊り狂わされる。
腰を抜かしたオッサンの情けないザマを笑う事なく手をこちらに差し伸べている姿は、聖女そのものと言って良いだろう。久しく他人に向けてこなかった感情を意識をした途端、オレの本能は更なる薪を求め始めた。
「しっかり手を握っててくださいね」
現実であれば誰が相手であれオレも警戒した事だろう。だが不思議な事に、この時のオレは迷わず彼女の手を取っていた。まるで、何をされても良いと危うい感情を受け入れているようなーー。
(いや、ダメだ。その感情は置いておけ)
瞬間、血潮の中に残ったオレの冷たい理性が息を吹き返した。異常な熱を帯びていたオレの感情に、身体を冷やす神経が張り巡らされていくのが分かる。
間違いを犯す数歩手前で正気に戻れた事は幸いだっただろう。おかげでオレは、とんでもない問題に気がついた。
(ちょっと待て。このままじゃどう考えても、体重が重いオレにこの子が引っ張られるようなーー)
しかし思い至った時には既に遅い。「んっ」と声を出しつつも、黒い手袋に包まれた小さな手からは想像できない力が、オレの手をしっかりと握られる。
(おいおい、マジかよ)
…気がつくと体重80キロの男の身体は、少女の体幹を崩す事なく引き上げられていた。更には、勢いよく立ち上がった事で頭から血が引いてしまい、瞬間的な貧血を起こした男を咄嗟に支えても少女は半歩すらも退かない。
少女の華奢な身体のどこにこんな力があるのだろうと、つい本気で考えてしまう。先ほど盗賊たちを撃退した華麗な格闘術を思えば、この少女の本業は騎士…いや武闘家なのだろうか。
「えっと…。この度は助けていただき、ありがとうございました」
「いえいえ、私は聖職者として当然の事をしたまで。この程度で感謝される事でもありません」
たどたどしいオレの感謝の言葉に、少女は柔らかな微笑みと共に首を横に振る。首を振る度にサラリと揺れる淡い水色の髪は、今のオレにとっては刺激的だ。
失礼に当たらない程度に視線を落とし、ようやくオレは平常心を取り戻す事ができた。
「ところで、貴方様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか。流石にずっと”貴方様”と呼ぶのは私も憚られますので…」
「…失礼しました。自分はカケルと言います。苗字も名乗った方が良いですかね」
「ミョウジ? もしかして、家名の事でしょうか。いえ、そちらは結構ですよ」
どうやら、この夢世界では苗字を名乗る文化は無いらしい。あっても覚えにくいし個人的には助かるのだが、こうした転生・転移モノの設定としてはあってほしいと思う複雑な親心。
「では、私からも自己紹介を。レイラと申します、以後お見知りおきを」
そう言って、彼女はスカートの裾を持ち上げて優雅に一礼してみせた。
その洗練された仕草は、まさしく育ちの良いお嬢様のそれ。鎮めた筈の感情が再燃しようで、思わず直視を避ける為に天を仰いだ。
「…えっと、カケル様?」
あまりにも不審な動きを続けるオレに、流石のレイラさんも怪訝そうに首を傾げる。
…流石に今の行動は彼女の中でアウトの判定だったらしい。ここは隠さず、話をしておくべきだろう。
「いえ、自分が女性に慣れていないだけなのでお気になさらず。というより、自分に『様』は不要ですよ」
「私なりの敬称ですので、こちらこそお気になさらず」
今の簡潔な説明だけで納得してもらえたらしく、内心でオレは胸を撫で下ろした。女神様よろしく、超速理解である点が唯一の不安材料ではあるが。
レイラさんの呼称については…、むず痒いが受け入れる事にした。過去の苦い思い出が無くはないが、あくまで個人的な都合だ。この場で不和の空気を作る理由もないからな。
「それで、カケル様はどうしてこのような場所に?ここは危ない盗賊が多く居着く森なのですが…」
「そんな危ない所だったのココ!?」
未開の地とはいえ、この森の衝撃設定を明かされ、思わず意識が現実に引き戻されてしまった。あんの畜生女神ィ、スタート地点くらい安全な場所を用意してくれよ!!
…と、思わず叫びたい心を必死に押し留める為、必死に歯を食いしばるオッサン。目の前で見せつけられる謎の百面相に少女も気の利いた言葉が見つからないのだろう、曖昧な表情を浮かべて苦笑された。
それはそれとして、オレからもレイラさんに同じ言葉を返したい。何故彼女は、危険度マックスな森の中を彷徨っているのだろう。
この世界の第一村人(?)なので、可能であれば安全な場所でゆっくりと話を聞きたい所だ。こんな物騒な場所には長時間留まるべきではない。
「こほん…。それなら、人気のある場所に行きたいです。恥ずかしい話ですが道がまったく分からず困っていまして。厚かましいお願いで申し訳ないのですが、どうか案内いただけないでしょうか」
なるべく角が立たないように言葉を選びつつ、少女にお伺いを立ててみる。対する彼女はオレの言葉に一瞬驚くと、クスクスと口元を押さえながら笑い始めた。
「ふふっ、すみません。カケル様に悪意はないと解っていますけど、堪えられなくてつい…ふふっ」
今の言葉のどこにレイラさんのツボがあったんだ…という疑問を呑み込みつつ、思わず深く溜息をもらす。
ともかく今は、身の安全を依頼できるのであればそれに越したことはない。土地勘もないのに一人危険な森を彷徨って、外部の人間に好意的に接してくれる集落を引き当てる運頼みよりも、ずっと現実的な考えの筈だ。
何よりーー、友好的に接してくれる相手とは極力敵対したくない。
「それで、引き受けていただけるでしょうか」
「構いませんよ。その方が私も都合が良いですし」
再び白いスカートの裾をちょこんと摘み、こちらにお辞儀する少女。都合が良い?と疑問には思うものの、今はオレの身の安全が最優先に考えるべきだと思い直す。
「それでは、ここから少し離れた所に私が身を寄せている集落があるのです。そちらまで宜しいですか?」
「大丈夫です。よろしくお願いします」
オレの返事に満足そうな笑みを浮かべるレイラさんは、軽い足取りで歩き始めていく。遠ざかる背中からはぐれないよう、オレはその後ろ姿を必死に追うのだった。
●レイラについて 1
この異世界におけるヒロインちゃん。月の国の賢者を名乗っています。
本作において、「賢者」という言葉は魔法使いのそれではなく、国の中の階級を指す言葉として扱っています。月の国における公式階級は以下の通り(この4つ以外は月の国が認めていない。あるとしたらそれはーー)
「司祭<司教<枢機卿<賢者」
中でも賢者の称号は4人にしか与えられておらず、その中でも地位に差があります。また、現実の称号と地位の名称があべこべなのは、単にカケルの知識が足りなかった為だとか。
…要するに、とても偉い人。えへん。(ただし、いくら反っても胸は盛れない)
●盗賊の居付く森
所々整備されてはいますが、大部分は木漏れ日も通さない程に鬱蒼としている、現在地点の事です。
地理的には月の国と太陽の国、この二国間の境に位置し、水源に近いエリアス湖側に進めば月の国へ、森を進んでラーファン山側を登れば太陽の国へ抜ける事ができます。
事情によって二国どちらにも属せない・属しにくい者たちが集う場所でもあるので、「眠りの森」ーー都合の悪い事は棄て去って、眠って忘れなさいという暗喩を籠められて使われる事があるのだとか。勿論、面と向かってこの言葉を使ってしまうと修羅場待ったなしです。