第3章02「ようこそフローア村へ2」
それは、礼拝堂を出てすぐ近くにあった。だだっ広い教会のエントランスの一角に、今朝の食事時には無かったものが鎮座している。格闘ジムに置いてありそうな、円柱型の砂袋だ。
外身は地下牢にあったベッドシーツだったものを拝借したのか、白色が何重にも巻いているようだ。所々に継ぎ接いだ跡があるのは、破れたシーツを使っている為に中身が漏れるのか、はたまた単純に長さが足りなかったのか。この教会内に散乱している廃材たちの集合体である筈なのに、既に使い倒した玄人臭のようなものをこの砂袋から感じさせた。
ところで現代のサンドバッグは、使わなくなったタオルやグローブの革などを詰めたものが主流だと聞いた事がある。実際、何重にも重ねればとても丈夫になるし、度が過ぎなければ適度な硬さになるので大事な手足を傷つける事は少ないという。
ただし、しっかりと拳の打ち方やらを身につけていないと逆にその硬さが自分に返ってくるので注意だ。…うろ覚え時々捏造のオレの記憶の書棚から引っ張ってきた知識なので、実際の所どうなのかは知らないが。
改めて目の前の砂袋を見てみよう。パンパンに詰まった砂袋は、その見た目通りとても重そうな印象を受ける。大の男でも恐らく一人で持ち運びするのは難しいだろう。
中身は…教会の廃材を使用したのだとしたら、崩れ落ちた地下牢や天井の瓦礫を粉々にしたものだろうか。ガラス片も一緒に混ざっている可能性があるので、気軽に触れたくないというのがオレの正直な感想だ。
重そうなので運びたくない、危なさそうなので触れたくないか。この時点で併殺案件、出来るのであれば見なかった事にしたい。夢世界の産物と言えど、滅茶苦茶重たい上に叩き心地最悪の文字通りの砂袋なんて、女性の細腕で何度も叩くような代物ではないのだ。
けれども、剣や魔法、忍者や司祭といったファンタジーな相手を想定した戦闘では、人体以上の硬度だったり、それに該当する壁を張る手段を相手が持っていても不思議ではない。
だとしたら、防御を固めた相手を打ち倒す為、危険物が仕込まれていようとも怯まず立ち向かう心を常に構える為。何よりも、拳や脚の感触を忘れたくない打撃職のレイラさんにとって、この砂袋ほど適当な器具は他にないのだろう。
「どうですか?活きの良い鍛錬器具でしょう?頑張って作ったんですよ、これ」
「ソウナンデスネ、ハハハ」
笑い声が乾いている?自覚はあるんだよチクショウ。この話の流れで潤いのある返しが出来るのであれば、是非ともご教授願いたい。
閑話休題。臨時の修練場とレイラさんが言っていた通り、それ以外の器具は見当たらない。本当にごく最近作ったものなのだろう、道具の鮮度は抜群かもしれないが、設置する場所の風情はあったものではない。地下牢とか、置く場所周辺の雰囲気くらいは考えようぜレイラさん。地下牢に置いたら余計に拷問部屋っぽくなる?それは確かに。
現実から視線を横に逸らすと、ついで感覚でサンドバッグに磔にされ、精魂が抜け落ちてしまっている鎖に繋がれたソレイユの姿があった。その彼女の表情も相俟って、まるで尋問されているかのようだーー。
「ってソレイユさぁん!?オレの首を絞めたばかりに拷問送りに!?」
あまりのソレイユの扱いに、思わず現実にカムバック。短い夢逃避行にさよならバイバイ。
駆け寄って彼女の安否を確かめたかったが、しかし所詮は童貞オッサン。女性の身体のどこを持ったものかと逡巡するばかりで、全く使い物にならない。我ながら情けない姿だ、自覚はある。
肩くらいなら触れても良いよな?と、ようやく意を決したその時、ソレイユの口から「気持ち悪…おぇ」とうわ言が小さく聞こえてきた。…どうやら、ただ目を回しているだけらしい。目立った打撃痕もない事から、直接的な外傷は無いものと考えて良いだろう。
「むっ。カケル様、ソレイユ様への心配りは不要ですよ。カケル様を亡き者にしようとした報いを、受けていただいている最中ですので」
「袋叩き…ってコト!?」
赦免は無いんですかレイラさん!?いやレイラさんが言わんとしている事も理解できるけども!
よくよく砂袋を観察してみると、それを吊るしている紐が捻じれている。恐らく、ものすごい力を掛けて砂袋を回転させたのだろう。何かのゲームで似た罰ゲームを見た事があるだけに、つい心が構えてしまったが、命に別状がないのであればとりあえず安心だ。
…けれど砂袋を吊るす紐の捻じれ具合を見て、先ほどまで聞こえていた謎の打撃音をつい思い出してしまう。音が止んだタイミングといい、レイラさんが顔を出したタイミングといい、無関係ではない筈なのだ。
(大の男でも揺らすのは大変な筈なのに、揺らし続けていたって事…だよな)
ソレイユを磔にした砂袋、果たしてレイラさんはどれだけの間それを叩き回していたのか。彼女の細腕のどこに、砂袋の硬度に耐えうる怪力があると言うのか。あぁ、考えただけでも恐ろしい。
そんな恐ろしい相手にも、自分の考えを進言しなければならない時がある。今が、その時だ。
「とにかくレイラさん、下ろすので手伝ってください」
「かっ、カケル様!?私の話を聞いていましたか!?ソレイユ様は、カケル様の命をーー」
「狙っていた…それは身を以って知りました。ですが、彼女との約束もありますから」
彼女を”助ける”。地下牢での約束を、ここで違える訳にはいくまい。状況が許さなかったとはいえ、我ながら不利な約束をしてしまったものだ。
レイラさんは「むぅ」と頬を膨らませながらオレを睨んでいる。当然だ、刺客を二度も野放しにするオレの神経を疑うのは。オレも袋叩きの刑に処されてもおかしくはないだろう。
しかし約束というオレの言葉に心当たりを浮かべたのか、彼女の中の葛藤の末、渋々といった表情で砂袋と向かい合った。…この流れなら、ソレイユを解放してくれる、んですよね?
「あの、レイラさん?」
「カケル様は優しすぎます。そんな心持ちでは、いつかソレイユ様のような悪い女に付け入られてしまいますよ」
ぐっと拳を握り、その拳に光を纏わせたかと思うと、拳を砂袋に叩きつけた。硬いもの同士が衝突したような鈍い音をエントランス中に響かせ、その衝撃で跳ね上がった砂袋は、オレの口から思わず畏怖の声を漏らしてしまう。
するとソレイユを拘束していた鎖だけが、宙に浮く砂袋の勢いで一斉に千切れていく。レイラさんのその器用な拘束解放術に、改めてオレの表情が青くなった。たとえ加減されたとしても、レイラさんの拳を受ける日が来ない事を、切に願うばかりだ。
「あくまで、カケル様が望まれたので枷を解いたに過ぎません。カケル様の恩情に感謝するように」
潰れたカエルのような態勢で、未だ目を回すソレイユ。まともな返事のない彼女を見下ろしながら、レイラさんは尚も冷酷に言い切った。
「それと、私個人はまだ貴女様を赦すつもりはありません。再びカケル様に危害を加えられる事があれば、二度目はありませんので、それも肝に銘じるように」
それに対する返事もない。する気がない…のかもしれない。いずれにせよ、手足を大の字にして投げ打ったままでいるソレイユが口を利いてくれるまで、もう暫く時間がかかりそうだ。
「ちょっと、席を外しまーす…」
何となく、レイラさんのピリついた空気に耐えられず、ソレイユの目のやり場に困る倒れた姿を見続ける訳にもいかず。苦肉の策という訳ではないが、オレは思いついたようにエントランスの扉に向かってそそくさと歩き出そうとして…、今日一日この教会から出るなと”ヤツヨ”から厳命されていた事を思い出した。
仕方ない、礼拝堂のステンドグラスを眺めている事にしよう。この場には居ないが、どうせオレの行動を逐一監視するような女神様だ。正座させられたまま、長い小言をチクチクと刺され続けるのは精神衛生上よろしくない。オレは踵を返して、礼拝堂へと戻る事にした。
この主人公君、即バッドエンド(外に出る)を回避した…だと。ちゃんと女神様との約束を守れて偉いぞぉ!
このまま外に出ていたらどうなっていたのかって?そりゃもう…事前に仕掛けておいた女神様の罠が発動して黒焦げですよ。ヒロインちゃんの浄化なんて間に合わせません。
ちなみに、ちゃんと一日中大人しく教会の中で過ごせば自動解除される設定になっています。無理やり通過する手段のない主人公君は、今のうちに日光浴でも楽しむとよろしい。
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●ヒロインちゃんお手製の砂袋
格闘系ヒロインちゃんだからね、砂袋くらい自作しますとも。…え?普通はしない?
作中で触れている通り、中身は瓦礫を粉々にしたものを詰め込んだ、文字通りの砂袋です。重量激ヤバすぎて、通常であれば持ち上げるだけでも難しいです。当然、殴って浮かせるなんて夢のまた夢。
しかしヒロインちゃんにかかれば、軽く吹き飛ばす事なんて朝飯前…。本気で打ち込めば、簡単に砂袋は木っ端微塵です。
これだけ並べると、彼女の格闘ポテンシャルの高さが改めて伺えるかと思います。勿論、浄化の力を常時纏っているので拳の怪我の心配も一切ナシ。彼女のストレス解消の為、なるべく壊さずに置いておきたいですね。
ちなみに、この他にも器具を作りたい欲はあるとの事。廃材があれば、持っていってあげると喜ばれるかもしれません。




