第3章01「ようこそフローア村へ1」
格闘ジムで聞くような、何かを床か壁に打ちつけるような鈍い音たちが、目覚まし代わりにオレの鼓膜を揺らした。誰かトレーニングでもしているのだろうか、その音は強弱やリズムを不規則に刻んでいる。
微睡んでいた意識が、二度寝を許さないその音により徐々に覚醒していき。オレの目がはっきりと開いた時には、視界に見覚えのある石の天井が広がっているのが解った。
(ここ、教会の礼拝堂かーー?)
身体を起こして改めて周囲を見渡してみると、所々に魔法の応酬による激しい戦闘の跡が残っている。黒く焦げた会衆席、抉られた壁画、粉々に砕けた石造。どれもこれも丹精込めて作られた傑作の筈なのに、見るも無惨に変貌しているのが残念だ。
そんな戦禍の中、よく凡作は生き残っていたものだと、毛布代わりに掛けられていた白い外套を畳みながら嘆息した。
(命あっての物種、とは言うけども。オレの夢世界、環境が過酷過ぎやしないか…?)
あぁもう止め止め、後ろ向きな事ばかり考えていたら余計に気が滅入る。こういった時は違う事を考えるんだ。奇しくも今は、女神様の小言すら入らない一人の時間が持てている。この夢世界に落ちてから戸惑う事ばかり起きて、言葉のサラダ化しつつある現状を、オレなりに読み砕いて整理する良い機会かもしれない。…前回はチートよろしく女神様からの情報提供があったしな、頭を錆び付かせない為には丁度良いだろう。
今のオレの状況から察するに、ソレイユの絞め技で意識を沈めてしまったその後のオレは、廃棄物よろしくその場に打ち棄てられる…なんて無慈悲な展開にはならず、レイラさんの手によって近くの会衆席まで移してくれたらしい。つまりは暴れ回ったであろうソレイユを完全制圧したという訳で…おぉクワバラクワバラ。雷は落ちないだろうが魔法の言葉を唱えて脚に備えよう。
絞められてダメージのある筈の首も、オレを寝かせてくれた時にレイラさんが浄化をしてくれたのかもしれない。徐ろにさすったりグルリと回すと、ゴキリと骨を鳴らす音が盛大に礼拝堂を響かせた。…よく家の人間に「首が折れる音がする」と言われたものだが、そんな未来が実際に来ない事を願いたいものだ。
そういえば、その首の絞めてくれたソレイユは、果たしてどこに行ったのだろう。元はレイラさんの命を狙いに来た刺客、生かしておく必要性はレイラさんにとって皆無だろうが…つい彼女の安否が気になってしまう。
《あたしを、助けてちょうだい》
結局、あの言葉の意味もよく分からないままだ。レイラさんが事情を知っているとソレイユは言っていたが、当事者二人が揃ってこの場にいない事に一抹の不安が過ぎってしまう。こうしている間にも、何かを叩く謎の鈍い音は止んでくれないのだから尚更だ。
(まさかこの音、現在進行形でソレイユの口封じをしているのか?あの人の好さそうなレイラさんが?)
ただならぬ因縁が二人の間にあると聞いてはいるが、そこまで行き過ぎた事をレイラさんがするのだろうか。…二人の因縁とやらが未だよく分かっていない以上、これ以上の愚考は打ち切っておこう。
ただし打ち切るとは言っても、ソレイユが現状置かれている立場の話題からは逃げられない。彼女がこれからもレイラさんの刺客として暗躍するのであれば、影渡りの恩恵の対策も講じる必要があるのだ。
(このままソレイユが刺客側からこちらに寝返ってくれるのなら、その対策も必要なくなるけど…)
レイラさんの命を狙いに来たソレイユの実力は、間違いなく高いと言えるだろう。それを上回るレイラさんの格闘技術も大概だが、格闘のかの字すら知らない素人が相手と言えども、大の男を軽々と絞め落としたソレイユの格闘技術は目を見張るものがある。
そんな彼女と、老司祭やマイティの偽物…自動人形との戦いの為に、一時的に渋々とはいえ手を組んでくれたのだ。もしレイラさんが気の迷いで手にかけていなければ、ソレイユが心を許してくれるのであれば、これからも味方であってほしいと思う。
というより、オレの夢の中ならそれくらい先行投資してくれ。これからも敵として何度も立ちはだかってくる展開より、未来のオレが抱える心労の重さは数倍マシになる筈だ。
…いけない、思考が熱を持ってきた時こそ何も考えず深呼吸だ。悪いけど、こんな時に素数をスラスラと数えられる人間が居るとしたら正気の沙汰じゃない。
バスン、ドバンッ、ダァン…と、徐々に打撃音が強くなり、最早何かを破壊せんとする音の勢いは、思考潜航よりも恐怖が勝ったオレの思考を中断させる。止められるのなら今すぐにでも止めたいが、音の出所が分からない以上無闇に動き回る訳にもーー。
「カケル様、お目覚めになられたのですね!」
そんな不穏な音が不意にピタリと止み、数秒置いて代わりに聞こえてきたのはレイラさんの澄んだ声。白と青の気品溢れる法衣のようなドレスを纏う彼女は、どうやら身体を動かす仕事をしている最中だったらしい。
額に浮かぶ汗が彼女の体温を感じさせる艶やかさになり、しかし年齢相応の整った顔立ちを上気させつつ息を弾ませるだけの健康的な姿に、オッサンの心が思わず揺れる。
…ダメだ、それはまやかしだ。推定一回り歳が違う子相手に抱く感情じゃない。一度心の中で冷静に自分に言い聞かせながら、努めて冷静に言葉を返した。
「ご心配をおかけしました、レイラさん。それより、さっきまで聞こえてきた妙な音は一体…?」
「臨時の修練場で汗を流していたのです。カケル様も一緒にどうですか?」
はて、この教会の中に修練場があったとは。オレが案内された時は、地下牢と礼拝堂くらいしか大きな部屋は無いと思っていたのだが。というよりレイラさん、法衣ドレスで汗を流していたんですか?
「あっ!カケル様、さては疑ってますね!?今日一日、この教会を出られないからと思って頑張って作ったのに酷いです!」
「いや、そういう問題じゃなく」
オレの意図した疑問からは逸れるが、その発言に色々待ったを掛けたい。ソレイユを完全鎮圧した上でオレの浄化をし、その上でDIYをしたのか?こんな短時間で?
よくマンガで見る「シュババムーブ」とやらで作ったにしても、材料はどう調達したんだ。地下牢の調度品たちを解体したのだとしても、精々が瓦礫とか布くらいなものだった筈。そんなもので作れる修練場で使うような道具って一体…。
「では私の強さを疑われていると!?これでも月の国の中では一番の実力なんですからね、私!」
「いえ、それも疑う所じゃなく」
オレの目の前でシャドーボクシングを始める月の国の格闘姫、今は現代のプロ選手顔負けのキレのあるその拳が物騒なのでしまってください。さっきから仮想敵に対する角度のエグイ拳の連続で見ているこちらの身が縮みそうです。
「では、何故半歩身を引かれたのですか?はッ、もしかして強い女にはカケル様…ご興味がない、とか」
「一体何の話をしているんです…?いやレイラさんの格好、身体を動かすのに不便じゃないのかなと」
折角の気品ある衣装が破れてしまっては勿体ない。傷や汚れはレイラさんの恩恵で浄化できても、基幹が破損してしまったらどうしようもない筈だ。
「それでしたら問題ありません。これが私の賢者としても普段着ですし、そんなヤワな素材で作られてはいません。意図的に刺されるとか、斬られるでもしない限りはこの衣装が破れる事もないんです」
「そ、そうなんですか」
これはレイラさんの、纏う浄化の恩恵の賜物なのだろうか。まぁ、格闘ゲーム世界あるあるなお約束の可能性もあるけども。
そんな事を考えていたら、レイラさんの表情が徐々に険しくなっていく。ふくれっ面とはまさにこの事、触れば恐らくもっちりとするだろう彼女の柔肌が空気を風船のように膨らませていた。…オレの表情、そんなに怪訝に見えたのか?
「良いでしょう。そんな疑り深いカケル様を、その修練場へ今からご案内します!」
「はぁ」
「そこで今から私と一緒に身体を動かしましょう!」
「…へ?」
薄い胸をこちらに突き出しながら、腰に手を当てて仁王様のような表情を浮かべるレイラさん。半ば強引な勧誘ではあったが、見逃していた施設があると言うのなら、どんな所なのか気になるというもの。…身体を動かす事になったのは予想外だけど。
レイラさんの機嫌を損ねないよう、その修練場とやらに行ってみる事にしよう。
●主人公君の夢世界、他の異世界モノと比べてハードモードじゃない?
異能と呼べるものを(現時点で)持っていない、ゲームのようなパラメーター・ウインドウ・経験値も無い、突然致命的なバグが発生しない、たまたま拾った武器で無双しない。
このように、ほぼほぼ現実世界の身体能力のまま、主人公君はこの夢世界に「転移」しております。自力だけで無双できない、その意味においてはハードモードなのかもしれません。
でも別に良いじゃないですか。簡単にゲームがクリアできるチート能力なんて、楽しいのは最初の内だけですから。




