第2章18「兵の夢痕4」
ドッペルゲンガーという言葉を思い出した。その人物と瓜二つの姿をした妖怪のような存在なのだが、これがとんでもない曰くつきである。
鏡映しの自分と対面するだけでも身の毛がよだつ体験ではあるが、それに遭遇すると死の宣告が走りだしてしまうのだという。解除方法?世の中をくまなく探せば見つかるのかもしれないが、残念ながらオレの伽藍洞な脳には存在しない。それが目の前にお得なニコイチで並んでいるのだから、カウンターはフル稼働待ったなしだ。
つまり目の前の影のない老司祭たちを、力づくで倒すしかない。いくら自動人形と言えども、動かなくなれば用を為さなくなるだろう。
「貴女様の甘言に乗るようで癪ですが、今は自動人形の存在を信じるしかないようですね」
「それは重畳。なら、彼を守る為にはどうするべきかも理解はできるね?」
「…カケル様が貴女様を嫌う理由、改めて理解できた気がします」
レイラさんがこちらにチラリと目配せした。いくら老司祭の手の内が昨夜の一戦で分かっているとはいえ、やはり正面切っての戦闘は避けたいらしい。
…ここ数回の戦闘を間近で見ていて、またソレイユの評価も併せて、レイラさんが防戦に向かない事はオレも理解したつもりだ。なるべくレイラさんの実力を引き出しきる為に、彼女の憂いを断たねば。
「忍者ちゃん、キミは彼の傍に。今回は相手が悪いからね」
「ハァ!?どういう意味よ、相手が悪いって!?」
「よく考えてみたまえ、キミの恩恵は相手に影がなければ始点にならない。キミ程度の実力の、ただの徒手空拳で自動人形相手に戦えるとは思わない事だ」
確かに、先ほどの“ヤツヨ”の話の通り老司祭たちには影がない。影がない以上、影渡りの恩恵も有効には使えないだろう。
けれども、それはそれで助かる。何の武器も持たないオレが丸腰のまま移動するのは、「私は動く的です」と声高に宣言するようなものだ。たとえレイラさんを憎しと思う殺し屋であろうとも、オレを守ってくれる誰かが近くに居てくれるだけで今は心強い。
「ぐッ、言い方がムカつく…!」
「その気持ちは痛いほど分かる」
心の中を常に視られ、脳内に直接この女神様の声がハウリングし続けるオレの気持ちを、どうか察してほしい。小心者の心がいつか擦り切れる自信が、オレにはある。
…閑話休題、老司祭はと言うと昨夜見せた光の弓矢を取り出し、いつでも砲撃できるよう光弾を番えている。心なしか、その矛先はある一点に集中しているような気がした。
「ほっほ、儂相手に二枚落ちとは随分低く見られたものですなぁ」
「二枚落ち?御冗談を、一枚落ちの間違いではありませんか?」
「こっち見ながら言うんじゃないわよ脳筋賢者、喧嘩売ってんの!?なら今すぐ買うわよ!?」
どうどう、暴れ馬ちゃんは落ち着きなさい。レイラさんも過剰に刺激するんじゃありません。
傍から見れば、暴れる年頃の娘たちを落ち着かせるオッサンの図、である。世の中のお父さん、お母さん、いつもお疲れ様です。貴方がたの苦労を今、オレは噛み締めています。差し当たっては胃薬が欲しいです。
「光の矢」
そんなオレに向かって、胃に穴をあける一撃が迫ってくる。「ぐッ」とオレが呻くのと同時、ソレイユの足払いがオレの視界を縦方向に90度回転させた。
おかげで身体に穴が空く事は無かったが、光の矢がオレの眼前を通り過ぎていく光景は、正直何度も経験したくない。一種の臨死体験のようなもので、凶矢が教会の壁を壊した後も、生きた心地が全くしなかった。
「はぁッ、はァッ、ハァッ、…」
心臓が不規則に踊り、頭が割れそうに痛む。体中に脂汗が噴き出て、平時なら水分なんて根こそぎ吸い尽くす筈の乾燥肌なオレの全身が、あっという間にぐっしょりと濡れる。
夢なら早く醒めてくれ。そう願っても残念ながら、現実への帰還は叶わない。
そういえば、この夢世界に落とされてから、何度同じような目に遭っているのだろうか。命がいくつあっても足りない、という表現ではもう生易しい気がする。貴方は今、悪夢の只中にいると壺売りのセールスマンに言い寄られたら、今のオレなら簡単に信じてしまうかもしれない。
「いきなりご挨拶ね、そんなにこのオジサンを先に殺したいの?」
「相手の脆い箇所を突くのは戦いの定石ですぞ。そも、戦いの最中だというのに仲間割れなどしている方が悪うございましょう」
「仲間?あの怪力賢者とあたしが?冗談、あの女と組むなんてこっちから願い下げよ」
…実際、老司祭の戦術そのものは正しい。木偶の坊を真っ先に狙ってくる事も、少し頭を使えば簡単に想像できた筈だ。逆の立場であれば、オレも同じ事をしたと思う。
当然、素人でも考えるような戦術ならば。レイラさんのような戦い慣れている人が、その隙を狙わない訳がない。
「顎を壊す程度では反省し足りないものと見ました、ファルス様ッ!!」
拳に光を纏わせ、近接戦闘に持ち込むべく距離を詰めていくレイラさん。彼女のサポートの為、マイティは後方から長棍を振るって焔の弾をまばらに撃ち出していく。
“ヤツヨ”が見せた、焔の弾に隠れながら移動してみせた見真似だ。即席の連携にしては二人とも悪くない動きだが、それでも老司祭は動じない。
何せ、相手側も二人。こちらも連携するなら、相手も同じ行動を取るのは必然である。
「輝きの壁」
後方に控えている老司祭が、周囲に光の壁を展開する。その壁は、マイティの焔の弾を容易に弾き、こちらの遠距離攻撃を通さない。
「くっ!?」
レイラさんが単騎で飛び込んでしまった事が災いした。彼女の拳は一段階、光の壁を叩き割るという動作を経る必要ができたのだ。
つまりそれは、相手側に攻撃手を一手分譲るという事。ガシャンと割れて砕ける光の魔力の残骸を浴びながら、光の弓を引き絞る老司祭は死神のように嗤った。
「往ね」
守りのないレイラさんに無慈悲な光矢の一撃が至近距離から放たれ、彼女の身体を穿った。よほど高密度な光の束なのだろう、ジュワリと何かが焼ける音がして、彼女のダメージの深さを嫌でも想像させてしまう。
「ぅ、ぐ…!」
しかし、そんな致死の一撃を受けてもレイラさんは生きている。よく見ると、焼けていたのは彼女の手袋だ。
掌に纏わせていた浄化の恩恵で光の束だけは消し切ったらしいが、その光が持っていた熱だけは全て打ち消す事が難しかったようだ。攻撃どころか日常動作すら難しそうな火傷ではあったが、最悪の想定が外れた事にオレは思わず安堵する。
同時に、あの無防備な態勢からよく防御ができたなと、レイラさんの戦闘技術に改めて感心してしまった。一つでも判断を誤っていたら、今頃彼女の首は直火で焙られ続けた肉の如く真っ黒に焦がされていた事だろう。
「自動人形相手に女教皇ちゃんも無茶をしてくれる。少しボクの肝が冷えたよ」
「流石に…痛ッ、死を覚悟しましたね。昨夜のファルス様の光術より、練度が高いです」
努めて冷静に、受けた一撃を評価するレイラさん。彼女の表情は焼けた掌の痛みに歪んでいるが、しかし戦闘を諦める程ではないらしい。
それどころか、妖しくレイラさんの眼がギラリと光っている。まるで獲物を狩る肉食獣のような双眸に、オレの心の底が急激に冷える幻覚に溺れていく。
「あーあ。あたし、知ーらないっと」
「今のあのお嬢ちゃんノ相手ハ、俺もしたくないナ」
前線から離れて訳知り顔を浮かべるソレイユとマイティの、我関せずといった声色に、オレも倣って視線を逸らそうとした。
けれども、それは寸でのところで踏み留まる。たとえレイラさんのどんなに怖い一面であろうと、オレは彼女を信じる。信じなければならない。それが、何もないオレを信じてくれた彼女にできる数少ない返礼なのだから。
「ふぉっふぉ、良い気味ですなぁ」「どれ、更に加減を狂わせましょうかのぅ」
そのレイラさんの異変に負けず劣らず、しかし方向性の異なる邪悪を貼りつけながら、老司祭たちが虚空に手をかざす。よく漫画やゲームで見るポージングに、普段なら「年齢も考えないで恥ずかしくないのか」と茶々でも入れていた事だろう。
老司祭たちを中心に集まる、絶望に似た不安を覚える力の奔流がなければ。
「『あまねく光を照らせ』、法王」
辺り一面を、白い光が包み込む。先の攻撃的な光ではなく、周囲を照らすだけの無機質な光だ。これが攻撃だったのなら、オレたちは為す術もなく焼き貫かれていただろう。
その光の眩しさに目を細めながらも、オレははっきりと見て捉える事に成功した。…してしまった。
”ヤツヨ”の持つ女帝カードに似たそれを、彼らの手中に降臨させる様を。
●老司祭ファルス戦(2回目)
自動人形2体による今回の襲撃、1回目の時より更にパワーアップしています。
まず、彼が持つ光属性の魔術の強化。ヒロインちゃんの恩恵でも、そろそろ全てを浄化しきれなくなります。
ただし、技の品揃えは遠距離攻撃、防御壁、奥の手と、第1章のボスらしい貧弱っぷり。また、タロットカードを起動すると上記3つの技の性能が格段に跳ね上がりますが、制限時間後は自壊するというピーキー性能。
制限時間まで逃げ回るか、正面から殴り勝つか。皆さまなら、どちらのプランで老司祭を攻略しますか?
●ヒロインちゃんの眼光が光ったら何がマズイの…?
元よりこのヒロインちゃん、主人公君の心の中を表情等から読み解く程に観察眼が鋭い(=嘘発見器)です。その為、本気で戦えば確定急所を連続で叩き込む戦い方もできますが…、ヒロインちゃん自身がこの戦い方をあまり好まない傾向にあります。
ですが、ひとたび追い詰められてしまうと狂戦士化スイッチが入ってしまい、思考制御の枷を外してしまいます。そうなったが最後、待っているのは彼女の防御力無視の拳にひたすら打ち抜かれる未来です。
これをソレイユは何度も身をもって経験しています。経験者は語る…。
おや?マイティのこの反応は、狂戦士魂なヒロインちゃんを間近で見た事があったのでしょうか?