第2章06「焔の隣人6」
ところで、この教会の見取り図の話をしていなかった気がする。入口のホールを抜けて真っ直ぐ進めばステンドグラスの綺麗な礼拝堂、ホールの左右に逸れれば地下の牢屋へと繋がる階段がある。他にも多少の部屋はあるが、基本的にはたったそれだけの至極簡単な構造だ。欠陥建立物?夢の中ならある程度は許されるのだ。建設系とかその手の知識、悲しい事にオレには無いからな。
ちなみにオレが最初寝かされていた部屋は、入口のホールから右手に逸れた側にある。階段を降りた先に牢屋が3つほど存在するが、一番奥に位置しているのが豪華牢屋だ。レイラさんの話によれば、左右で牢屋の造りの差はないとの事。…対にあたる場所も、こんな豪華部屋になっているのだろうか。それはそれで見てみたい気もするが。
そこでふと、オレは素朴な疑問に思い当たった。オレが寝かされていた側の牢屋には誰も入っていない、つまり件の二人は入口ホールの左側の地下牢に入っている事になる。今回用のある忍者女は、一体どの牢屋に居るのだろうか。
「ソレイユ様…カケル様が忍者と呼ぶ方の牢は、こことは反対側の地下にあります。ちょうどカケル様が使われているこの牢屋と同じ、一番奥の牢屋ですね」
そんな事を考えていれば、まさに今疑問に思った事をドンピシャな答えでレイラさんが答えてくれる。成程、女性だから多少視認性も配慮したのだろう。
…それはそうとオレの表情、そんなに分かりやすいのだろうか。疑問符がついた直後、即答に近い速度でレイラさんに答えられたのだが。
「か、カケル様!?そんなに落ち込まれるような事を私言いましたか!?」
「いや、お気になさらず。オッサンが良い角度から入った言葉のナイフで勝手に傷ついただけですので」
「それはそれで心配です!?」
アワアワと慌てる姿が歳相応で可愛いと思いつつ、こればかりは絶対に表情には出してやるものかと心を無にする。表情が読まれないよう、レイラさんには申し訳ないが視線も切らねば。
その一連のオレの所作が余計にレイラさんを傷つけてしまったらしく、彼女もオレと同じようにガクリと肩を落としてしまった。
「うぅ、そうでした。私は体術と光術以外全くダメな女、カケル様の心が読めると思い上がったのは早計でした…」
…意識しない時は本当に表に出やすいようだな、オレの表情って。現実でも気をつけねば。
お互いに謎の精神ダメージを負い合った所で、オレたちの足は入口ホールの左側…地下へと続く階段の手前へ。このまま地下に潜れば、目的の人物がいる牢屋までもうすぐだ。
階段を一歩降りると、何かがオレの心を芯から少しずつ冷やしていく。気のせいだと自分に言い聞かせ、今にも崩れそうな覚悟を固め直して再び地下の闇を見据える。気を抜いたら逃げ出したくなる自分に、「逃げるんじゃねぇ」と。一歩ずつ踏みしめる度に言い聞かせ、頭痛を訴える身体に鞭を打つ。
次第に緊張で身体が固くなるのが自分でも分かる。呼吸が乱れ、ありもしない熱に浮される幻を覚え、カタカタと鳴らしそうになる歯を無理やり噛み締め、昏い未来から少しでも目を背けようと試みた。
…そういえば。今の仕事に就く為の大事な試験を受けた時も、同じような事があった気がしたと。オレはふと思い出す。
1年かけて準備したすべてを出し尽くした後の、足を切られたかもしれないと焦燥感に駆られる心。「そんなの落ちているに決まっているだろ。今から落ちた時の為に別の仕事を探してこい」と親父から突きつけられる絶望感。そして、何よりあの時と同じなのはーー体と心が文字通り時間をかけて腐っていく自分。
(あぁ、思い出した)
今まで目を背けていた感情が抑えられず、一気に溢れ出す。それは真っ黒で、醜いもの。トラウマの再生は、こうして行われるのだと。オレは他人事のように自分を理解した。
忘れていた訳ではない。忘れたつもりになって、臭い物に蓋をしていただけ。だから今もこうして、あの時の悪夢を再現しているんじゃないか。
「大丈夫ですよ」
そんなヘドロのような悪夢を浄化する言葉があった。たった一言、けれども力強いその白い言葉は、オレの黒く染まりかけた意識を浮上させるには十分だった。
「大丈夫です、安心してください」
レイラさんが反芻する言葉。それは、心が折れそうになったオレが、いつも自分に無意識にかけ続けていた呪文だった。
何も根拠のない”大丈夫”。だが不安で押し潰されそうな時のそれは、不思議と心が前向きになるものだ。それはまるで、呪いの文言…呪文のように。
(…今更戻りたいとか情けないぞ、オレ)
期待されている。なら、それに応えたいと想うのがヒトという生き物だ。
夢世界の中でくらい、少しぐらい。現実と違う自分になったって良いじゃないか。情けない姿を晒すくらい良いじゃないか。
レイラさんの引かれる手から伝わる熱が、凍り付かせていたオレの身体を少しずつ解してくれる。階段の先の闇も怖くないと、手を差し伸べてくれる。
(ありがとう、レイラさん)
レイラさんの助力を借りながらオレは必死に足を動かしていき、たった10数段しかない筈の階段を懸命に降っていく。やっとの思いで最後の一段に足を下ろした瞬間ーー。
それは、まるでダークファンタジー映画の一場面を切り取ったかのような光景だった。こちらに向かって灯される、暗闇の奥から淡い光。魔力で生み出されたと思われる青い炎が、薄暗い洞窟のような通路を等間隔に、燭台代わりに照らしている。
元々の通路の暗さ、青く淡い炎、石造りの牢屋。それらの要素が融合し、雰囲気の不気味さがより際立っている。こんな中に放り込まれたら、オレの気が狂わない自信がない。
「この奥が、私たちの目的地になります。足元に気を付けてくださいね」
先導してくれるレイラさんの、変わらない優しさに救われているオレは、迷わずその手に引かれていく。その手がちょうど、1つ目の鉄格子の目の前を通ろうとしたその時。
「おや、誰が来たかと思えば」
その灯りに照らされた、青白く浮かび上がる鉄格子の中に、誰かが居座っている。その声は、昨夜オレは聞いて憶えている。
「レイラ殿に、その御付きの者ではありませんか。このさもしい老人を尋ねられるとは、何かご用向きですかな?」
この教会を惨状に模様替えしてみせた老司祭ファルスが、妖しげな笑みを浮かべながら石椅子に座っていた。
●レイラも読心術が使えるの!?
単純に機微な表情を見分けている+嘘発見器な性格で大雑把に相手の思考を推測しているだけです。モノホンの読心術は女神様の専売特許となります。
ただし、主人公君そのものが(意識をしなければ)感情が表情に出やすい為、およそ誰でも思考が読みやすくなっています。…30過ぎのオッサンなら、もう少し感情コントロールの技術を覚えよう?
●階段を下りるだけで何勝手にトラウマ刺激されてんの、このヘタレ主人公…
描写はありませんが、女神様が仕掛けた即席トラップがここにはあります。通行人の心の闇を強く想い起こさせるもので、しかも見えない仕掛けの為、全身浄化系ヒロイン以外の人物が侵入した場合はもれなく解除できず全員発狂する程の効力があります。
そんな強力な呪物をヒロインちゃんが見逃す筈がなく(正確には何も知らないヒロインちゃんが何かを浄化した事を察知→呪物の場所を感覚で把握…という流れです)、踏み潰される事になりましたが、侵入アラートのような側面もあり、女神様がどちら側に待機したら良いのかが判る、という意図もあります。
謎の5人目の存在を探るべく、この迷惑女神様も色々と考えているんですねぇ…。




