第2章閑話1(見通す先は良好か)
…ところで、これは現実世界の話。幼少期のオレが祖父の家に植えられていた果実をご馳走になっていた時の話だ。
採れたての熟れた果実を嬉々として食べていたその少年は、虫の知らせというべきか、興味本位でヘタを取り中を覗いてみた事がある。その果物の中身を観察してみようという、ありふれた童心があったのかもしれない。
その時の光景を、オレは今まで一度も忘れた事はない。大人であってもトラウマ必至の、果物ホテルと化していた、そこの”住人”たちの屯する光景を。
× × × × × ×
教会で待ち構えていた老司祭、レイラさんに変装して襲ってきた忍者、未だ姿を見せない3人目の刺客。その不気味な沈黙を守る3人目を探す事が、オレたちの目下の行動方針となった。
とはいえ、先ほどの戦いで散々痛い思いをした後だ。いくらレイラさんの光術で傷を浄化してもらったと言えど、心の疲弊まですぐに回復する訳ではない。レイラさんに逸る気持ちを抑えてもらい、今日1日はこの教会で過ごさせてもらう交渉に成功したのが、つい先ほどまでの事だった。
「…………」
血の臭いがしなくなった礼拝堂で、青い顔をしながら朝日に輝くステンドガラスを眺め呆ける事10分ほど。そういえば超インドア派の体力ミジンコなオレは、こうして仕事場でも迷惑をよくかけていたなぁと思い出しながら、老司祭の光撃に焦がされなかった無事な会衆席に身を任せていた。
「カケル様、やはり無理をなされているのでは…」
「いや大丈夫、ダイジョウブ。これくらいヘーキですから」
教会の浄化を一通り終わらせたらしいレイラさんの、優しい追及に嘘を重ねる自分が憎い。だが、何度も心配されてしまうのは大変よろしくない事。…夢から醒めたら体力をつけよう、改めてオレは心に誓った。
「殊勝な事だが、言い出したキミが身体を休めないでどうする。そもそも一番の重傷はキミの筈だ、早く部屋に戻りたまえ」
人間、日光を浴びれば骨も作れるし脳もスッキリするんだ、日光浴くらいは好きにさせてくれ。それに、何もしない時間は心が落ち着くのだ。
というか暇女神、さも当然のようにこちらに現界している訳だが自分に課したとか言っていた3分ルール、あれは一体どうなっているんだ。
「言っただろう、1度の召喚につき”女帝”の力を貸そうと。こうして動き回る分にはキミに負担はかけないさ」
力を解放していなければ、実質コスト0で動き回りたい放題だと!?そんな契約聞いてねぇ!大体、そういう類の力は世界的な危険のある輩がよくゲームで持っている能力とかだろ!?一介のオッサンが持ってて良い代物じゃねぇ、過ぎたるは猶及ばざるが如しって言うだろ!クーリングオフだこんな契約!!
「はっはっは、すまないが反故には応じられない。何、キミの幸運ここに極まれりと諦めたまえ」
「おのれ自由神…!」
頭を抱えてみても状況は変わらず、むしろそれ以上反論の為に思考を回せば頭痛が悪化するような気がしてならない。何よりレイラさんの、”ヤツヨ”に対する剣呑な視線が、何も悪い事をしていない筈のオレの心を深く抉るのだ。これを心臓に悪いという表現以外にどう表わそうか。ボキャ貧?それは自分が一番良く知ってるわチクショウ!
「…こほん。お食事は摂られるべきです、カケル様。疲労回復にはやはり栄養補給が一番かと」
レイラさんの一声で現実に戻されたオレは、ふと自分の空腹感に気がついた。今の日の傾き具合から、現実時間で言う所の朝食時だろうと当たりをつけてみれば、成程それならありがたく提案を受け入れるべきだろうと思い直してみる。人間、気分の入れ替えは適度に行うべきなのだ。
「そ、そうですね。では何か自分も手伝いをーー」
「いえ、カケル様はこのままで。私がご用意いたします」
身体を起こそうとした所をやんわりと止められてしまい、「でも」と声をかける間もなくレイラさんは礼拝堂の奥の部屋へ。…むぅ、流石にこれはこれで気が引ける。されてもらってばかりでは、オレ自身の心が落ち着かないのだ。
そういえば、この夢世界での朝食とは一体どんなものなのだろう。哀しいかな、現実のオレが知っている料理といえば、お袋の味と外食以外の料理はカップ麺と冷凍食品くらい。見切り品の食料の類は、過去に食中毒を起こしてからというもの手をめっきり出さなくなってしまった。見切り品ですらないチョリソーパンで食中毒を起こした人間は、世の中どれだけ探しても少数ではなかろうか。
「お待たせしました、カケル様」
そんな事を考えている間にも、レイラさんが両手いっぱいに何かを抱えて戻ってくる。やけに早いなと思いつつ、その腕に抱えられているものを注視するとーー。
「木の実?」
それこそ昨夜?レイラさんが持ってきた、森の中で食べたあの色取り取りの木の実が籠一杯に盛られている。教会の備蓄品なのだろうか、それにしても量が尋常ではない気がする。
「今朝方調達してまいりました。新鮮ですよ」
えへん、とばかりに胸を張るレイラさん。…待って、これ全部調達してきたって?新鮮だって?ものの数十秒しか経っていない筈なのに?
「うん、キミの言いたい事はボクにも分かる。女教皇ちゃん、そこまで張り切らなくても良いと思うけどね?」
「エリアス湖の近くですから、果実はたくさん採れるのです!そう仰る方には差し上げませんよ!」
ふんす、と鼻息荒く反論するレイラさんに、流石の自由神も食欲を楯に取られてしまわれたらぐうの音も出ないらしい。両手を上げて降参の意を示すと、籠の中身を一つ摘まみ取る。
「さぁカケル様、どうぞ召し上がってください」
「い、いただきます」
ここまで”ヤツヨ”とレイラさんの相性悪かったのか、と内心驚きつつオレは差し出された実を受け取った。形も色も多種多様だが、どれも瑞々しいのが分かる。
さて、問題はどれから食べるかだが…。品定めという訳ではないが、良さげな物が無いかと手を迷わせていると、皮が薄そうな赤い実に視線が吸い寄せられた。昨夜の森で食べた果物の中には無かった種類の筈だ、これから食べてみようか。
「そちらはカンゾです。甘みと一緒に程よい酸味もあって食べやすいと思いますよ」
「へぇ」
言われて一口齧ると、レイラさんの前評通りの味。水分も多く含まれており、咀嚼している間にも口の中が潤っていく。現実で言う所のミカン?だろうか、非常にオレ好みの味である。
「お口に合いましたら、他にもありますのでどうぞ」
「ありがとうございます。レイラさんも良ければ一緒に」
籠ごと差し出されても流石に食べきれる自信はないので、勧めてみる事にする。一瞬キョトンとしていたレイラさんだったが、「それでは失礼しますね」と、嬉しそうな表情を浮かべながら自分の分を取り分け始めた。
そうして始まった朝食の時間、最初の内はレイラさんに遠慮して伸ばし控えていた手も次第に進み始め、レイラさんも自分の取り分けた分を全て平らげ…気付けば籠の中の底が見えそうになっていた。
「げっ、これは…」
籠の中身を手にした後で後悔した、どこか見覚えのある形をした果実。フットボールをギュッと縮めた、楕円のフォルムと果肉の厚さが特徴的なそれは、オレの記憶の中でも苦い思い出しかない憎きビワ。色は異なれど見紛う事なき怨敵の登場に、ついオレの食の手が止まる。
「カケル様、どうなされましたか?」
そんなオレの仕草を不審に思ったらしく、レイラさんがこちらを見つめてくる。レイラさんには正直に話をしても良かったのだが、そこは男の哀しい性。せっかくの好意を無下にするような真似はできないと無理に笑顔を張り付けてみせた。
「いえ何でもありませんよハハハ」
しかし言葉は上手く取り繕えても、身体の演技は正直だ。どうやらオレの身体の構造は、心が震えると連動して手が震えるように出来ているらしい。それを見過ごさないレイラさんの心配そうな表情が、オレの心に深く突き刺さる。やめて…オッサンの虚勢をそんな純真な目で見ないで…。
意を決してヘタの部分を手で小さくもぎ取り、中身を拝見。本当はそんな事しなくても、と思う自分と、確認しなければ気が済まない自分が脳内でせめぎ合っているのが分かる。願わくば、”先客”がそこに居ないようにーー。
果たして、オレの悪い予想は的中していた。黒く小さな蟻のような群れが、オレの視界いっぱいに、地獄の蓋を開けたが為にこちらに向かって這うように進軍してくる様が。オレの眼前で繰り広げられていた。
「だから果実まるごとは嫌なんだチクショーッ!!」
精神からの拒絶反応が、オレの身体すべてを使って突然の奇行に走らせる。不遜にも女神像(の付近で果実を弄んでいた”ヤツヨ”)に向かって涙目で全力投球するオレを、慌てて止めようとするレイラさんの声が遠くに聞こえた気がした。
ビワが嫌いという訳ではありません。あの中にいたヤロウが憎いんです。
ビワゼリー?アレなら美味しいですよね。
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●そんな果物の中に蟻がウジャウジャ湧いているなんて馬鹿な話ーー
ところがこちら、意外とあるあるなんですね。もしかしたら幼少期の彼、虫の知らせが働いたのかもしれません。
皆様は果物や野菜をいただく際は、中身までしっかり確認しましょう…。
●「タロット」の3分ルールを破る女神様
現界する程度なら、実は「タロット」を起動するまでもない。行動を共にして物事を見聞きしたい場合に、”ヤツヨ”自身の意志で表層から降りるだけである。また、余談だが降りる場所は必ず主人公君の傍である。
ただし、主人公君のいる深層世界の中で「タロット」を起動してしまうと、「今まで踏み倒した時間を返せ」とペナルティが発生する。一体どれだけの借金を踏み倒しているのやら…。
●エリアス湖
耳の長い人類、エルフが多く住むこの森の水源。付近には多くの作物が鈴なりに実っており、年中瑞々しい作物をいただく事ができる。
その分、野生生物も多く生息している。特に魔力を持つ猪のボロアは耕地を荒らす要因。見かけたら定期的に間引かなければならない。




