第4章48「女教皇と死神は天の調べに吊るされる6」
レイラが戦巫女と呼ばれるのには理由がある。
勿論、戦場を含めて常戦常勝という異常な高戦績も要因の一つだが、それとは別に馬鹿馬鹿しい程に単純な理由。
数少ない光術を扱う人間を、月の国は国外に流出しないよう巫女と呼んで厚遇しているのだ。
戦場に繰り出される魔術師の中でも、より安全な後方支援ができる。戦場に立ちながらも命の危機が少ないという特権が得られるのだ。
勿論、これだけに厚遇は留まらない。戦場から一度帰れば何かしらの勲章が与えられ、給金も跳ね上がる。何度も戦場から帰れば帰っただけ、国の国の重要役職に就く事も夢ではないのだという。
無からコツコツと努力してきた人間を鼻で嗤って蹴落とす無意味な自国の制度に、レイラは昔から辟易していた。ありがた迷惑とも言う。
なのでレイラは、敢えて後方支援の仕事を放棄して戦場に立ち続けた。どこから生えてきたのかも分からない努力賞の為に国の役に立つのではないと、同期たちに示したかったのだ。
ところで、光術と一口に言っても攻撃性の有無によって2種類に分別されていく。攻撃性の無い、他者を癒す事に特化したのが「浄化」。攻撃性のある、悪しきモノを祓う事に特化した「退魔」だ。
レイラ自身も申告している通り、彼女の恩恵は「浄化」。つまりレイラが戦地に持ち込めた武器は、己が身を酷使する格闘術だけ。
炎、水、風、土の魔術が乱雑に飛び交い、剣や斧といった殺傷能力の高い武器を持った複数人と常に対峙せざるを得ない状況に自ら望んで立ったのである。
勿論、レイラも攻撃を受ける案山子になる為に戦地に赴いた訳ではない。「浄化」の恩恵を格闘術と併せる事で、超人たちの上澄みすらも軽く捩じ伏せられる程度まであっという間に経験を積み、実力をつけていった。
では、どうやってレイラが攻撃性を獲得したのかという疑問がここで生まれる。その答えは、ひたすらに「浄化」の恩恵を極めた事にある。
自らの「浄化」の恩恵を更に清め、澄ませ、高めた事で常人より鋭い感覚を得たレイラ。しかしこの到達点で満足せず、限界を超えて自らの「浄化」を極めていった。
極め過ぎた結果、自らの拳や脚が幾重にも重なった強固な魔術結界ですら紙のように打ち破る一つの武器となったのである。「退魔」とも異なる攻撃性に、敵国の兵士はおろか味方ですら慄く者が続出し始めたのはこの頃からだった。
レイラの極めた「浄化」の恩恵は、得られなかった筈の攻撃性を得ただけに留まらない。
意識せずとも「浄化」の魔力を生成できるようになったレイラの躰は、浴槽から豪快に零れる湯水のように溢れ始める事になった。常に周囲の魔術や毒素を「浄化」し、輝き続けた彼女の躰は、誇張抜きに人間魔力工場となったと言えよう。
当時の同期たちは羨ましがっていたが、従来の魔術師のように放出できないレイラにとっては、使い切れない魔力など宝の持ち腐れだ。譲渡すれば味方の魔術を容赦なく打ち消すし、かと言って放置すれば魔術が全く使用できない領域が出来上がるのも時間の問題だった。
そこでレイラが思いついたのが、魔力を生み出す炉心を自ら封じ込める枷を作る事。作る事が止められないのであれば蓋をすれば良い、という安直な考えだった。
生み出されるものが魔力である以上、自分が生み出した直後の魔力を「浄化」できない訳がない。思いついて出来ると考えた以上、レイラにできない事はない。
魔力の対消滅を意図的に起こす流れをレイラの体内で一部作る事で、過剰な魔力が溢れないようにする枷がこうして出来上がった。
「炉心解放」とは、つまりレイラ自身に課していた魔力の枷を外す事。「浄化」の魔力が一時的に周囲に溢れ出る様は、まるで光が焔のように煌めくようだと言われていた。
ーーただし、それは魔力耐性のある人間から見た光景。カケルのような魔力を持たない、もしくは持てる魔力が少ない人間にとっては、レイラは直視すら叶わない太陽と同じ強烈な光を放つだけの迷惑な存在となってしまう。
(これは私の落ち度。カケル様に何を言われても、何をされても、私はそれを甘んじて受けましょう)
自分の右拳が容赦なく額を打ち付ける。一瞬だけ脳が割れそうな浮動感に襲われるが、無情にもやがて全てが浄化された。
何を置いても護らなければならない存在を、よりにもよって自分から傷つけてしまった。責められて当然だ。
一瞬の不注意によって失った信頼は大きい。カケルに敵視され、最悪刃を胸に突き立てられるかもしれない。
ーーそれでも構わない。依頼主の期待を最初に裏切ってしまったのは、レイラなのだから。
良くない感情が沸々と湧き上がる中、ふと視線を感じて振り返る。そこには、こちらを見つめている依頼主の姿があった。
彼の顔に浮かんでいたのはーー後悔の表情だった。
(あぁ、カケル様は何とお優しい)
刺し貫く憎しみの炎であれば、レイラの心は燃えて灰になっただろう。震える恐怖の雨であれば、レイラの心は凍えて狂っただろう。
しかし依頼主がレイラに向けたのは、炎でも雨でもなかった。…否。正確には両方とも少しだけ浴びたが、レイラの心が全て崩れるより前に救いが伸ばされていた。
嘘偽りのない彼の選択は、残酷なまでにレイラの心を絞め上げていく。淡い期待が、赦されない事を望もうとしたレイラの中で生まれていく。
貴方様を傷つけた私を、赦してもらえるのですか。まだ貴方様のお傍に、居ても良いのですか。
「カケル様も、困ったお方ですね」
思わず口にしてしまった言葉は、もう取り消す事はできない。レイラ自身も、取り消すつもりはなかった。
何故ならこれは、彼女の嘘偽りない感情。相手を殴り倒す事しかできないレイラの血塗れの手を、乱雑に払われてもおかしくないのにも関わらず、まだ依頼主は握ろうとしてくれているのだ。
(ですが、罰は罰。カケル様の沙汰は必ずお受けします。…ただ、カケル様の沙汰の前に。今後害となり得るこの女を処理させていただく事、どうかお赦しください)
レイラの心の言葉に反応したのか、カケルの後ろをずっとついてきていた土兵たちが、カケルとプリシラを囲うように積み上がっていく。
特別な指示もなく『ゴ』『レム』と互いの息を合わせ、組み体操の要領で自分たちの体を使っていく事数秒。あっという間に簡易的な要塞を作り上げてしまった。
ただし即席の要塞なので、レイラが軽く小突くだけで脆く崩れてしまいそうである事は留意しなければならないだろう。
本来であれば「何をしているんですか!」と殴り砕いてカケルを助けなければならないのだが、カケルについて回ってきた土兵たちには、観察した限りだがカケルに対する敵意が全く感じられなかった。
その証拠に、今しがた己が身を挺して土壁となった彼らが、カケルへと覆い被さるような仕草も見られない。もし敵意を隠し持っていれば、今ほどカケルを押し潰す絶好の機会はないだろう。
ならば壁となってくれている土兵たちは、信用に足る存在だ。プリシラ以外にもカケルを短期間でも預けられる存在が出来た事に、レイラは安堵した。
すぐにカケルが土壁から出てこられないだろうと見当をつけたレイラは、ようやく身体を180度回転させつつ眼光に敵意を再び宿らせる。
視線を向けた先には、荒い息遣いの中で必死に人体の急所を蹴り抜いてくる白翼族。今回は頸椎を薙ごうとしたらしい。
けれども残念、折れた音と共に首はあっという間に繋がってしまった。白翼族の攻撃は失敗だ。
ならばと白いアオザイから伸びる細い脚が、頸椎が折れないなら心臓を突き刺してやると爪先をこちらの胸に立ててくる。細脚から繰り出されたとは思えない重い衝撃は、常人であれば心臓が破れて肉塊へと変貌した事だろう。
しかし残念、破れた心臓はあっという間に元の規則正しい動きを取り戻してしまった。白翼族の攻撃は失敗だ。
「こ、のッ!このッ、このッ、このぉッ!!骨が折れた音だって、内臓を潰した音だってしているのに!どうしてまだ殺せないの…ッ!!」
いくら強く、そして何度蹴りつけても斃れる気配のないレイラを見て、戦意に恐怖の色がつき始めたらしい。威力を削いででも手数でダメージを稼ごうと、連撃重視の立ち回りにようやく切り替えてきた。
最早見飽きた表情と戦術に、レイラの浮かべる表情もつい機械的になってしまう。カケルの温かい心遣いに余計な付属品を付けてくれるなと、機械に殺気が灯り始める。
思わず白翼族の喉から可愛い悲鳴が聞こえた気がしたが、敢えて聞かなかった事にする。今もなお愚行を続けるこの白翼族に対する酌量の余地は、最早どこにもないのだから。
自分でも正しく確かに理解できる黒い感情が、拳に乗っていく。制御はギリギリできているので、両拳に目一杯乗せてやった。
この冷え切った表情を、カケルに見られなくて良かったと心の底から思った。折角伸ばしてもらえた彼の手が、今度こそ払い除けられてしまうだろう。
正しくない感情は、早々に吐き出すに限る。小食であろうが拒食であろうが知ったことではない。目の前に立つ吐き出し口には、腹が壊れても食べてもらわねば困るのだ。
「さて、何発既に蹴られたのかはこの際数えなかった事にします。その方が貴女様にとって都合が良いでしょう?」
ようやく拳を構えたレイラに対し、白翼族は「頭の中で数える指の数が足りなかっただけじゃないのぉ!?」と感情を昂らせながら膝を槍のように突き出しながら向かってくる。
実に強弱含めて83発もの蹴撃と拳撃を見逃し、あまつさえ更に増え続ける愚行を流してあげますと譲歩しているのだが、どうやらレイラの心遣いは不要らしい。ならば炉心解放したこの拳を、どこに何発叩き込んでも文句は出ない訳だ。
ーー瞬間、空気が爆ぜた音と共に白翼族の長い金髪の一部が抉れ飛んだ。
超速度で飛んできた何かが通り過ぎたかのような髪の踊り具合に、白翼族の表情が青くなる。通り過ぎた何かの正体を、白翼族は意識してしまったらしい。
「おや、根競べをしようと言い出されたのは貴女様の筈では?まさか貴女様だけ好き放題に殴って蹴ってのお楽しみに明け暮れ、一撃も私の拳を受けていかれないだなんて。ソレイユ様でも毎回しっかり気絶するまでお付き合いいだけるのに、そんな甘えを私が赦すとでも思っていますか?」
本当は顔の中心を軽く小突く程度のつもりだったが、恐らく命の危機を察して首を逸らしたのだろう。
つくづく度し難い。被弾すれば命が吹き飛ぶ拳なんて、今時珍しくもないだろうに。どうして避けようだなんて思うのだろうか。
「貴女様が私の拳を避けるのでしたら、私は貴女様の回避速度を上回る拳を繰り出すまで。念の為にお伝えしますが、逃げられると思わないでくださいね。貴女様の三寸しかない舌の根が乾くよりも速く、真っ赤に湿らせて差し上げますので」
拳に集まる光を敢えて見せつけてやり、白翼族から更に戦意を奪ってやる。
今頃歯をカタカタと震わせても、威圧的に広げていた白い翼を今更畳んでも遅すぎると。執行人は力強く拳を胸の前で打ち付けた。




