第4章47「女教皇と死神は天の調べに吊るされる5」
今まで頼もしかった白と青の法衣ドレスを身に纏った少女の背中に恐怖を覚えたのは、これが初めてかもしれない。
ーー否。今オレが感じている恐怖が、この夢世界における住人たちのスタンダードな感情なのだろう。つまりオレが皆の輪に入るのが遅れた、ただそれだけだ。
(そりゃオレだってレイラさんを信じたい。さっきの光はオレの不注意で見てしまったという落ち度もあるし、すぐ浄化してくれた姿勢に嘘はなかった)
戻ってきた色のある世界で、痛みの原因だった赤い涙の痕をさすりながら、オレは改めてレイラさんの背中を見つめ直す。
けれども直視できるのはほんの僅かな時間。安心を傷つけられた忌避と、何度もピンチを救ってもらった信頼による感情の天秤が激しく揺れている音に、オレは押し潰されそうになっている。
結果、彼女の華奢な躰を視界から追い出しては収めるを繰り返す挙動不審な男が結果的に出来上がった事に、オレはまだ気付かない。
(それにレイラさん自身も言ってたじゃないか、『放出する魔法は使えません』って。だったらオレの目を焼いたーーやい、た)
焼いたあの光は何だったんだ、と言葉は最後まで続かない。レイラさんを信じたい理由を探そうとして、先ほどオレの目を焼いた光を思い出して再び目を掻き毟りたくなる衝動に駆られた。
ふとしたきっかけで身体精神どちらかの琴線に触れると現れる典型的な症状、幻痛。身体的な苦痛と精神の瑕がリンクしているだけに、克服するのは相当の時間が掛かる事は想像に難くないだろう。
つまりオレのこの痛みはすぐに治るものではない訳で。レイラさんの意識が一瞬こちらへ向いた気配がしたものの、直後に何かを力強く殴りつける轟音が響いた。
「あんなかなしそうなひょうじょうのいくさみこ、はじめてみた」
ぽつりと呟いたプリシラの言葉に、オレの中の罪悪感の嵩が一気に増す。
ーーそうだ、オレだけが傷ついているんじゃない。レイラさんの心だって、オレと同じように傷ついているのだ。
冷静に俯瞰すれば自然と辿り着けたであろう解答をようやく得たオレは、今度こそレイラさんを視界から外すまいと顔を上げる。
オレの視線と、額に拳を打ち付けた痕を作ったレイラさんと視線がぶつかる。思わず目を逸らしたくなる衝動を必死に堪え、にらめっこの要領でレイラさんを見つめ続けた。
正直に白状すると、この時のオレはレイラさんと視線を合わせるのに必死で、何かを考えたり念を送ったりはしていない。
けれどもレイラさんはオレの必死な表情に何を想ったのだろうか。柔らかくこちらに微笑みかけ、何かをこちらに呟きかけた…ように見える。読唇術を会得していない事を、この瞬間ほど後悔した事はないだろう。
しかし、視界にレイラさんが入ったのはほんの数秒だけだった。オレや隣にいるプリシラをすっぽりと覆う影が突如現れ、物理的に視界を遮ったのだ。
「なッ、何だ何だ!?」
思わず見上げた先にあったのは、岩の壁。…いや、岩にいくつもくっついているつぶらな瞳が全てこちらを見つめている。土兵たちの壁だこれ!?
「そっか。このごーれむ?たちがかべになってくれるなら、いくさみこもぜんりょくがだせるかも。ありがとう」
『ゴー』『レムレム』
おい、オレの十数行前の決意を無駄にしてくれるんじゃねぇよ。そして頬を赤らめるな、アンタたち土の塊のどこに血管があるって言うんだ。
土兵たちの謎仕様に呆れつつも、どうにかレイラさんの戦う姿を見ようと腰を浮かすと、プリシラが留めるように腕を引いてきた。
「いまはここをでちゃだめ。こんどこそ、まりょくのないあなたはめがやけるだけじゃすまなくなるわ」
「目が焼けるだけじゃ済まないって、まさか身体全部が焼けるって?流石に冗談が過ぎるぞ」
もしプリシラの言葉が正しいのなら、今オレたちの壁になってくれている土兵たちはどうなるんだ?文字通り土壁にするつもりか?流石に可哀想だろうが。
そんな抗議を視線だけで訴えると、プリシラに溜息をつかれた。「しらないならおしえるけど」と前置きされた気分だ、その柔らかそうな頬をこねくり回してやろうか?
「いまのいくさみこのからだは、ひかりそのもの。たいようがひとのからだでふれられないように…いくさみこのからだにふれたものは、れいがいなくじょうはつするわ」
「じょう、はつ…?」
「いくさみこのじょうかは、ひかりをまとうことでもやしてきよめるの。いくさみこのまりょくがあるかぎりふれるだけでもやされるから、あらゆるのろいも、しゅくふくも、だれもいくさみこをきずつけることができないし、いやすことができない。たとえこなごなにほねがくだけても、さいぼうがぐずぐずにとかされても、いのちをいちどもやしてきよめてしまうから、いくさみこにはだれもかてない。あたしは、あとすこしのところまでおいつめたことはあるんだけど…やっぱりかてなかった」
何その強化裏ボスですら驚きのびっくり性能、勝ち筋がレイラさんの魔力切れしかないってマジか?プリシラもそんなレイラさんを追い詰めた事があるってマジかよ。
思わず「二人とも味方で良かったぁ」と言葉が溜息と一緒に漏れる。今まで素手で奮闘してきたレイラさんを見ているので、プリシラの言葉に一層レイラさんへの戦闘面における信頼度が上がる一方だ。
「ふだんはぜんぶをもやさないよう、ちからをおさえているってきいたことがあるわ。たぶん、いまのじょうたいがいくさみこのほんきなんだとおもう」
「さっきの姿が、レイラさんの本気…」
太陽の国の人間が聞いたら卒倒しそうな絶望宣告に、再び溜息が漏れた。徒手格闘で情け無用の百人以上斬り達成、状態異常完全無効とかどこまでも規格外な性能すぎる。
でも忘れてはならない。レイラさんは一度、ソレイユを本気で殺そうとしたのだ。
本人たち曰く「示し合わせていた」との事だが、戦闘の一部始終を見届けたオレからすれば、決着時に見た赤面積の広さは恐怖以外の何物でもない。
これがもし何かの間違いで示し合わせた通りにいかなかったら、最悪の目だって出ていたかもしれない。そもそも二人は敵国同士の人間、手を取り合う仲ではない…らしいからな。
「でも、いくさみこはやさしすぎる。ぜんりょくをぶつけるといっても、ぜったいにあいてをころさない」
「まぁ、そうじゃなきゃプリシラもこうして生きてない訳だし」
プリシラの話を聞き終えたオレは、ふと頭の片隅に何かが過ぎって首を傾げた。
何に引っ掛かりを覚えたのかは分からない。それを記憶の海に潜って引き寄せる事もできなかった。何故ならばーー
「動かないで!」
よく斬れそうな何かの切っ先が、オレの背後から伸びてきて首筋に触れる。
しかし急いで造られた武器なのだろう。ボロボロと崩れる音の正体が土であると解った時、オレは声の主の正体を悟った。
プリシラは視線を声の主に向け拳に水を溜めるだけでそれ以上に動かない。壁となってくれている土兵に至っては声の主を見つめるだけだ。
オレ自身の命の危機であるにも関わらず、首を斬られるという絶望感が不思議と湧いてこない。
「この男を殺されたくなかったら、大人しく月の国に来てもらうわ。裏切り者も一緒にね」
「やっぱり、あんたはねんいりにころすべきだったわ」
何故ならばその声ーー意識を取り戻した直後らしい軍服女から感じる怒りに近い焦りと、プリシラから感じる深海の水底にも匹敵するような苛立ちの寒暖の差が、あまりにも大きすぎたからだった。
●プリシラの言葉、平仮名が多すぎて読みにくいわ!
こちらは設定がありますのでご容赦ください…。今後改善はされていく予定です。
今話に限っては、プリシラの会話文が長くなってしまったので漢字込みのものをこちらに掲載させていただきます。お手数ですが、作中の文章と照らし合わせながら読んでいただけますと幸いです。
・「あんなかなしそうなひょうじょうのいくさみこ、はじめてみた」
→「あんな哀しそうな表情の戦巫女、初めて見た」
・「そっか。このごーれむ?たちがかべになってくれるなら、いくさみこもぜんりょくがだせるかも。ありがとう」
→「そっか。この土兵?たちが壁になってくれるなら、戦巫女も全力が出せるかも。ありがとう」
・「いまはここをでちゃだめ。こんどこそ、まりょくのないあなたはめがやけるだけじゃすまなくなるわ」
→「今はここを出ちゃダメ。今度こそ、魔力のない貴方は目が焼けるだけじゃ済まなくなるわ」
・「いまのいくさみこのからだは、ひかりそのもの。たいようがひとのからだでふれられないように…いくさみこのからだにふれたものは、れいがいなくじょうはつするわ」
→「今の戦巫女の躰は、光そのもの。太陽が人の躰で触れられないように…戦巫女の躰に触れたものは、例外なく蒸発するわ」
・「いくさみこのじょうかは、ひかりをまとうことでもやしてきよめるの。いくさみこのまりょくがあるかぎりふれるだけでもやされるから、あらゆるのろいも、しゅくふくも、だれもいくさみこをきずつけることができないし、いやすことができない。たとえこなごなにほねがくだけても、さいぼうがぐずぐずにとかされても、いのちをいちどもやしてきよめてしまうから、いくさみこにはだれもかてない。あたしは、あとすこしのところまでおいつめたことはあるんだけど…やっぱりかてなかった」
→「戦巫女の浄化は、光を纏う事で燃やし清めるの。戦巫女の魔力がある限り触れるだけで燃やされるから、あらゆる呪いも、祝福も、誰も戦巫女を傷つける事ができないし、癒す事ができない。たとえ骨が粉々に砕けても、細胞がぐずぐずに溶かされても、命を一度燃やし清めてしまうから、戦巫女には誰も勝てない。あたしは、あと少しの所まで追い詰めた事はあるんだけど…やっぱり勝てなかった」
・「ふだんはぜんぶをもやさないよう、ちからをおさえているってきいたことがあるわ。たぶん、いまのじょうたいがいくさみこのほんきなんだとおもう」
→「普段は全部を燃やさないよう、力を抑えているって聞いた事があるわ。多分、今の状態が戦巫女の本気なんだと思う」
・「でも、いくさみこはやさしすぎる。ぜんりょくをぶつけるといっても、ぜったいにあいてをころさない」
→「でも、戦巫女は優しすぎる。全力をぶつけると言っても、絶対に相手を殺さない」
・「やっぱり、あんたはねんいりにころすべきだったわ」
→「やっぱり、あんたは再起不能にするべきだったわ」




