第4章44「女教皇と死神は天の調べに吊るされる2」
影に潜ったまま出てこないソレイユ曰く、〈この闘技場から出たいのなら、下の出口を目指しなさい〉との事だった。
理由を問い質そうにも、その一言以降ソレイユは何も喋らなくなってしまったし、レイラさんも理由は分からないとの事だったので真相は影の中だ。
ただ、喋らない代わりに進むべき道は影で教えてくれるので、影に従いつつ今は出口を目指すしかないのだろう。
確かにこの闘技場は宙に浮いているし、何だったら建物の中もあらゆる地形がランダムに変化する一種の迷宮だ。
急勾配の坂を上らされる、かと思えば鼠返しが急に現れて行き止まりになる、それでいて床も壁も何をやっても壊せない。不条理と不快感の塊みたいな畜生建造物から出られるのであればさっさと出ていきたい。せめて建物の中くらい気持ちよく歩き回らせろチクショウめ。
「みち、またかわってる。とおってきたばしょがわかるよう、いいかげんにめじるしをつけたいわ。いくさみこ、こわせるところなかったの?」
「壊せるのなら私もそうしていますし、実際途中まではそうしていました。ですが壊せたとしても違う通路や階段がまた生まれてくるので、お勧めはしませんね」
「うわぁ、めんどう」
同じ愚痴を何度口にしそうになったか数える事すら億劫になってきたが、気持ちはプリシラもレイラさんも同じだったらしい。オレに弱いところを見せまいと振舞う彼女たちの、どこか疲弊した表情が物語っていた。
…いや待って?レイラさんが床や壁を破壊できるのは想定内として、そこから違う通路が生まれるって何!?仮に百歩譲って通路が生まれるのは容認したとして、階段ってどうやって生まれるの!?
「この闘技場内で規定された動き以外をしたら、『開会宣言』を聞かされた元の部屋へ強制的に戻されてしまいます。通路や壁、床の必要以上の破壊や用意された通路を使わない移動方法は、少なくとも規定から外れた動き扱いされるようです」
「がちがちにあたしたちのこうどうをしばってくる、と。いやらしさのかたまりでできているのかしら、このとうぎじょう」
レイラさんの口ぶりからして、何度か部屋戻しを経験しているらしい。もしかして、いつスタート地点に戻されても良いように地図埋めをしていたのだろうか?
それなら通路壊しのメリットもあるかもしれないが、結局通路の形が変わってしまったら意味がない気がするぞ…?
「だとしたら、おとでばしょをしらせるのはまちがってなかったのね。たまたまおもいついただけだけど、いくさみこにうまくばしょがつたわってよかったわ」
だからプリシラ、巨大な水風船を作って破裂させていたのか。
およそ地形が変化しない一瞬の間に情報を伝える手段は、それこそ限られている。今回プリシラが選んだ音は最適解だったのだろう。
とはいえ、遠く離れた相手にも伝わる程の衝撃でなければ意味がない。そして衝撃は通路、地形を破壊してはならないという制約もある。プリシラは調整が難しいと言っていたが、しっかり無茶を通してくれたのだ。
(土兵たちが音を防いでくれなかったら、鼓膜が破れ吹き飛んでいたかもしれないほどの衝撃だったからなぁ)
改めてプリシラの機転に感謝だ。しかもこの方法、もう一つメリットが存在する。
レイラさんのように、音による衝撃に耐えつつ場所を即座に分析できる人間なら、音の発生源であるオレたちの現在地に辿り着くことは容易だろう。しかしそれは、分析できた人物がオレたちを補足した瞬間に辿り着くことができる移動法がある前提の話となる。
この夢世界における他の人間が、レイラさん並の移動速度で迫ってくる方法があるとは聞いた事がない。であれば、実質プリシラの水風船はレイラさんを呼び出す専用のベルであった訳だ。
「私がカケル様の下に来られたように、先ほどのプリシラ様の音を聴いた方々も恐らく同じ方法でカケル様に迫ってくるでしょう。このまま早々に出口まで向かうべきだと思います」
「出口を目指すのは賛成です。でもレイラさん以外に今の音を無力化できる人間がいるとは思えないんですけど?」
「カケル様、世の中には思いもよらない方法で規則を掻い潜る方もいます。先ほどカケル様にお話いただいた、フローア村で襲ってきたという白翼族は私の動きも察しているでしょう」
マジかよあの天使、音爆弾も通じないのかよチクショウ!オレの考察に早速穴を開けてくれるんじゃねぇぞ!?
そう心の中で愚痴りながら、忌々しい天使の情報をレイラさんに伝えた通りの言葉のまま思い出す。
『長い金髪、白いアオザイに水色のフリルやリボンをあしらった衣装、そしてプリシラを返り討ちにするほどの実力者。名前は確か、シャルロットだったと思います。覆面男の部下らしいですが、実際の所は分かりません』。
改めて状況を思い出しただけでも腹立たしい。防御するだけでも毒が掛かるプリシラの水の拳を浴びるほど受けたにも関わらず、途中から毒なんて無かったかのように動き回る姿は、天使の異常性に恐怖するよりも理不尽に対する怒りが先行する。
「なのでカケル様、もう少しだけカケル様を襲った白翼族の特徴を詳しく思い出していただけますか?私と同じく恩恵を纏うタイプだと推測しますが、武術と魔法の両刀使いが多い種族なので候補が絞りきれないのです」
「とは言っても他に特徴は…」
覚えている事は隠さず話をしたつもりだったが、まだ情報が足りないらしい。外見の特徴で他に気になるところーーそういえば一つ言い忘れていた事があったな。
「そうだ、首に囚人がつけているような鎖がついてました。鎖というより、鉄の首輪って感じでしたが」
「鉄の首輪、囚人のような印象ですか。ならばカケル様を襲ったのは、『蹴撃の天使』かもしれませんね」
「っ!そうでした、本人がそんな事言ってたような気がします。自称かと思ってました」
てっきり世迷言かと思っていたが、立派な二つ名だったとは。世の中何が有益な情報となるのか分かったものではない。
レイラさんが「まぁ、カケル様がご存知ないのは仕方ないと思います」と、困った表情ながらもフォローしてくれている辺り、この夢世界ではそこそこ名前の知られた天使であったらしい。次は情報を選り好みせず話すようにしよう。
「先ほどもお話した通り、白翼族は武術と魔法どちらにも秀でた種族です。多芸とも言えますが、同時に器用貧乏…それが彼ら彼女らの種族の特徴です。しかしその中でも格闘戦に特化した天使がいると聞いた事があります」
「そうね。たしかにあのおんな、すでのせんとうになれていたわ」
「そして『蹴撃の天使』の得物は、その名の通り脚です。伝聞によれば、素行の悪かった天使が罰として堕とされた地上で、数々の戦場を渡り歩いたのだとか。魔法を禁じられ、武器も満足に握られないよう腕の腱を切っていたらしい女は、残った脚だけで屈強な兵士たちを相手に百人斬りをやってのけたそうです」
レイラさんの格闘技術も大概だと思うが、そんなレイラさんですら強いと見なしているらしい。レイラさんまで蹴り倒されるところは見たくないのだが…。
「地上で武勲を立てた事で恩赦を与えられた天使は、その後行方知れずとなった…というのが私が知っている情報です。真贋は不明だと思っていましたが、直接確かめる機会が近く巡ってきそうですね」
「…え?」
何やら不穏な言葉で説明を締め括られたのだが、一体レイラさんの視線の先に何がいるというのか。
影のガイドもそろそろ終わりらしく、真っ直ぐ伸びる矢印と共に「健闘を祈る」と影の文字が躍った。出口が近い、という意味であってほしい。レイラさんの予感通り、襲ってきた天使が待ち構えているなんて悪夢は、起こってほしくないのだが…。
「お待ちしていましたわぁ。そして、食べ残したちはご無沙汰ねぇ」
オレの願った平穏は、簡単に蹴り砕かれた。甘ったるい女の口調が、オレとプリシラの嫌な記憶を同時に思い起こさせる。
待ち望んでいた外の景色が一面に見える、闘技場の出口を抜けた先。そこには一人、白い翼を広げた天使が妖艶な笑みを浮かべて待ち構えていた。




