第4章43「女教皇と死神は天の調べに吊るされる1」
華奢な見た目と物腰柔らかな物言いをするその少女の適正を、初見の大半は魔法職であると想像するだろう。光を思わせる紋様が惜しみなく刺繍された白と青の法衣ドレスから、聖職者と当たりをつける人もいるかもしれない。
しかし現実はその想像全てをひっくり返す。白いドレスからちらりと見える黒い手袋は魔法職に欠かせない杖を軽く握った途端に粉々にしてしまう拳を、歳相応の可愛らしさを演出するリボンの映えるドレスと靴は体長が10倍はある暴れ猪ですら蹴り斃す脚を隠す蓑となっている。
つまるところ、瞬いた直後にオレの目の前に現れた少女は、全てを拳で解決しようとする暴れ馬なのだ。
…失礼、言葉を間違えた。冷静な思考力と強大な戦闘力を兼ね揃えた武闘家だ。その上、自他のダメージを癒す回復役も兼業しているので欠点らしい欠点が見当たらない。
女性に猪は失礼?遠距離から砲撃すれば怖くない?あらゆる魔法を素手で無力化し、勢いそのままに砲撃元へと吶喊する彼女の姿を目の当たりにすれば、誰であっても同じ感想が出てくるだろう。彼女が淑やかなシーンがすぐに思い浮かばない程度には暴れたがりの猪であると。
以上がレイラという少女…祖国を追われた最高戦力のざっくり解説である。
「申し訳ありません、食糧を確保する為にお傍を離れたところを不埒者に襲われたと聞きました。私の考えの至らなさが原因でカケル様が怖い思いをされた事、悔やんでも悔やみきれません」
眉を落としながらレイラさんが深々と頭を下げる。その視線を追った先の彼女の足元を見て、本物そっくりに造られた自動人形には無い、影がある事を確認してからオレは口を開いた。
「だ、大丈夫ですよレイラさん。顔を上げてください。プリシラが守ってくれましたし、相手の要求通りにはなってしまいましたが、自分はこの通り無事ですから」
「しかし、この闘技場に連れられる際に酷い火傷を負われたとも聞いてます。プリシラ様が応急処置をされたそうですが、念の為に見せていただけますか?」
「あ、はい」と言うよりも先にレイラさんの手がオレの腕を掴み、触診されていく。浄化するのに有無を言わさぬ姿勢は、自動人形ではないとオレに確信させた。
しかし触診され続けるのは存外心がくすぐったい。年頃の少女の体温を間近に感じるので、三十路の男の視線のやり場に困ってしまうのだ。下手に視線を下げると女性特有の曲線が映るし、かと言って実際に視線を逸らせば「動かないでください」と余計に距離が近くなってしまう。
ちなみに、つい先ほどまで背後にいた土兵たちは現在命令待機状態に入っているらしい。助け舟を出してほしい、とまでは言わなかったが、何となく向けた視線の先にいた土兵らからは、「ゴー…?」と首を傾げながら返事をしてきた。その姿勢、ちょっと可愛いじゃないか…姿形を変えてマスコットにしてやろうか?
「カケル様、どうかされましたか?動きが落ち着いてこられたので、私としては診やすいのですが、少し心配です」
「れ、レイラさんの距離が近いから違う場所を見ていただけです!そっ、そうだ!自分からも聞きたい事を思い出しまして」
「私に聞きたい事、ですか?」
つい視線の逃避先で心の重石を軽くしてしまったオレは、口まで軽くなってしまった。しまった、と後悔しても吐いた唾は飲み込めない。
嘘が嫌いなレイラさん相手に下手な嘘をついても仕方ないと、観念してオレは先送りにしていた問題…どうしても払拭しきれなかった不安を、直接聞いてみる事にした。
「レイラさん、先ほどソレイユと戦ってましたよね」
「はい、それが何か?」
「その、まさかと思いますが。殺して、ない…ですよね?」
確かに見届けてしまった、レイラさんとソレイユの戦闘結果。腹を拳で打ち抜かれ、鉄の臭いのする真っ赤な池の中に倒れるソレイユを見下ろすレイラさんの図は、オレの脳内に強烈に焼きついている。
通常であれば死の光景、血だまりの大きさからして確実に助からない事は、戦闘素人のオレが見ても明らかだった。だからこそ、この疑問は本来ならば浮かばないものだ。
しかし、レイラさんの浄化の恩恵があれば話は別だ。もしかしたら、戦闘後オレが視線を外した直後に傷を癒してくれたのかもしれない。数週間過ごした中で感じた彼女の優しい性格ならあり得ると、一縷の望みを持っているのも事実だ。
嫌い合っている仲であるとは聞いているし、何かと衝突の絶えない二人だ。けれども、レイラさんが人殺しになってしまったと思いたくない心と、脳内写真の図で激しく心の天秤が揺れている。
この揺れを鎮める為には、当人から真実を問い質すしかなかった。
「そんな殺すだなんて勿体ない。そもそも先の戦いは、あらかじめソレイユ様と示し合わせていたものです。私たちの戦闘結果を、あの場を視ていた全員に意識付けるように」
〈アンタに心があるとは思わなかったけど、おかげで致命傷で済んだわ。即死じゃなければ安いわね〉
命が尽きるのが早いか遅いかの違いはあれど、どっちも同じような意味だと思うんですけど?それと即死じゃなければ安いって、格闘ゲームじゃないんだから滅多な事を言わないでくれーー。
そんな呟きが、言葉になる事はなかった。オレが求めていた答えが、目の前に影となって現れたからだ。
肩にかかる程度の銀色の髪、黒いマフラー、そして何より忍者を思わせる衣装。それらを好んで纏う人間は、オレは一人しか知らない。
「そッ、ソレイユ!?どうして生きてーー」
〈静かにしなさい。アタシが生きているって、今この闘技場の中でバレる訳にはいかないのよ〉
貴賓室まで迎えにきてくれた事を思い出し、慌ててオレは口を閉ざした。レイラさんに改めて視線を向けると、唇に人差し指を縦に立ててくれた。
当時と同じく、話を聞かれたらマズい相手がいるという事を容易に想像させてくれる。経験って大事だね。
ともかく、ソレイユが無事である事が分かっただけでもオレの不安は和らいだ。表情にも表れていたのだろう、影が〈フン〉と鼻を鳴らしたような音が聞こえた。
〈アンタたちが闘技場を出るまで、アタシは何もできない。アンタたち、オジサンを絶対に連れ帰ってくるのよ?〉
言いたい事だけしっかり言い残したソレイユは、レイラさんたちの返事を聞く間もなく影の中へと潜っていった。…あれ、潜ったところって人影もないし、レイラさんの影には潜れなさそうなものだけど、どこに潜ったんだ?
その疑問を、恐らく口にしてはいけないのだろう。腑に落ちない表情のまま再びレイラさんに視線を向けると、「それではカケル様」と触診を終えたレイラさんがこちらに向けて、にこやかに微笑んだ。
「カケル様を襲ってきた不埒者の特徴を教えていただけますか?次にそれらしい人物を見かけた時にすぐ顎骨を砕けるよう、今からシミュレーションしたいので」
この猪さん、ブレーキという概念はどこにあるのだろうと思わず口にしそうになったが、どうにか思考のブレーキは間に合った。
〈顎骨を砕いたら情報が引き出せなくなるじゃない。やるなら内臓破壊くらいにしなさいよ。女の顔がひしゃげるところ、同性でも見たくないわ。ひしゃげさせるのは好きだけど〉
「ソレイユ様、ここは戦場ですよ。戦場に一度立てば老若男女なんて関係ありません。女子供だから見逃される、なんて甘い考えではいつか足をすくわれますよ」
〈アンタは加減を覚えろって言ってんのよ!〉
「失礼な、私が手加減できない女だとでも?それにもし加減を間違えても浄化せば良いんです!」
「ふたりがばけものみたいなかいわしてるけど、あなたはまねしなくていいからね?」
「むしろ真似する要素どこにあるんだ?」




