第4章40「鹵獲後の始末1」
軍服女が膝から崩れ落ち、床に伏して動かなくなった事を見届けてからオレは土壁の中から這い出た。
兵士たちは主が倒れた事で姿を保てなくなったらしく、今ではただの土くれになっている。…何かの拍子に再起動して襲ってくる気がしてならないので、早々に元の土に戻してやりたいものだが。
その土くれの主を眼下に、プリシラは小さく一息つきながら篭手を解いた。軽い一仕事を終えた後のようなその仕草は、熟練の処刑人を彷彿とさせる。
「こ、殺してないよな?」
「もちろん。くびをはねるつもりなら、さいしょからかまをつかってる。それとも、とどめをさしてほしかった?」
「んな訳あるか、ノーキルだ!寝覚めが悪いって話じゃ済まなくなるっての!」
しかしプリシラの手腕を疑う訳ではないが、どこか心の隅で突然起き出すんじゃないかと不安になるオレがいるのも事実だ。音を立てないよう、ぎこちない忍び足を披露しながら倒れた軍服女の横を通り過ぎていく。
「そんなことしなくてもおきないよ?」とでも言いたげな、首を少し傾げつつも不思議そうな表情でこちらを眺めてくる仕事人。距離が近くなるにつれて彼女の視線が強くなっていくので、思わず咳払いをして申し訳なさを誤魔化した。
でも確かに、自在に水を操る事ができるプリシラの恩恵なら殺傷能力の高い武器を作り出せばよいだけだ。形は手軽に振るえる剣でも良いし、一撃に重きを置いた槌でも良い、それこそお気に入りである大鎌を作って首を刈っても良い。
つまり、他人の命を奪う事に特化していない篭手など最初から作る必要はなかった訳だ。にも関わらず直接叩き込んだ得物が拳を守る篭手であった事を考えると、成程オレの意を汲んだプリシラが一仕事終えたにも関わらず、想定した報酬が降ってこないとむくれた表情をするのも頷けるというもの。
「悪かったよ」と一言入れながらも、しかしオレの意識は微動だにしない軍服女のとある一点に向いていた。プリシラの恩恵によってデバフが多重にかかった身体でありながら、尚も握りしめている一枚の札…タロットカードだ。
確かこの女のタロット、“戦車”って言ってたっけ。近くで見ていた限り、上手く力を引き出せていなかったように見えたが。うーん、起きた拍子に感情のまま暴走されても困るし…。
「武器くらいなら回収しても良いかもな」
「だいじょうぶだとおもう。むかってきたら、またこぶしをたたきこめばいい。むかってこなくても、むなぐらをつかんでなぐるけど」
「オレが会う月の国の人たちって皆思考が物騒なんだけど、それってデフォルトなの?」
胸倉掴んで殴るって女の子が言う台詞じゃないよな。ましてや線の細い(黙っていれば)儚げ系美少女。歳の近い遊び盛りの男どもは、ひと目プリシラを見れば皆生唾を呑むだろう。
勿論レイラさんもソレイユも顔立ちが整っている。整っている、と一言で済ませて良い訳がない。街中に繰り出せば同性からは溜息が聞こえてくるだろう。
そんな彼女たちの中身が拳や脚を叩きつける相手を求める狂戦士なのだから、夢の中分からないものである。若いの、外身だけじゃなく中身を見る事も大事だぞ。
「とにかく、タロットのしょりはあたしがやるわ。あなたはさがってて」
「いやいやオレが距離的に近いし。それに、助けてもらったのにオレだけ何もしないのは心持ちが悪い」
未だ暴れ足りないと水を展開しながら近寄ろうとするプリシラを制しながら、おもむろに軍服女が握っていたタロットカードを掴む。想定以上に力強く握られていたが、何とか強引に引き抜いてみせた。
破れなくて良かったと思いながら柄を確認したそれは、詩的に表現するなら小さな絵画だった。二頭の馬に引かれる白い車に乗った女の柄は、間違いなく“戦車”のタロットだ。“No.Ⅶ The Chariot”の荘厳な文字が絵の邪魔にならないよう刻まれており、正直時間を忘れて見続けていたくなる逸品だった。
だからこそ、オレはどうしても気になる事があった。たった今拝借した”戦車”のタロットカードにある、白い車に乗った女の柄は…どう見ても今オレの真下で伸びている軍服女そっくりだ。ある程度簡素化された絵とはいえ、髪色や服装が所有者とほぼ同じ容姿で描写されている事実は、オレの中に生まれた懐疑心が無視してくれない。
まずは事実確認だ。軍服女やオレと同じ境遇に立たされていた筈のプリシラに、浮かんだ疑問の足場を固めてもらうべく質問した。
「なぁプリシラ。プリシラもタロットカードを覆面男から貰ったか?」
「もらったというより、おしつけられたわ。あなたにたすけられたとき、じっさいにつかったことがあるからはんどうもしっている。だからほんとうは、もらうつもりなんてなかったんだけど…」
プリシラは、オレの一つ目の疑問に肯定した。
受取拒否をさせなかったという事から、覆面男が集めた15人の女たちは皆タロットカードを持たされたという事になる。
「貰ったタロットカードってさ、自分の肖像が描かれているものなのか?」
「そうよ。しょうじき、もっているのもいや。かってにあたしのえをかかれてたっておもうと、きもちわるいじゃない」
「そりゃそうだよな、ストーカーが盗撮した写真を大事に持ち歩いたり飾っているようなものだし」
二つ目の疑問にも肯定し、いよいよオレの中にある懐疑心が嫌悪感へと変貌し始める。
事実を確認するのが嫌という訳ではない。泥の中に埋もれていた得体の知れない何かを必死に掬い上げ、形にしてしまう未来が来る事に強く忌避感を覚えた。
今ならまだ間に合う、知らないフリをして疑問から目を背けろ。そんな理性は、人間の本能である識りたい欲に敗けてしまった。
「タロットカードを押し付けられた時、覆面男は他に何か言ってなかったか?絶対にタロットカードを他人に奪われるな、とか」
「そんなことはいってなかったわ」
「ーー言って、ない?」
オレの想像していた答えと違っていた事から、心の中に安堵感が一抹ふりかけられた。
“椅子取り”の遊戯と覆面男が言っていたが、椅子を奪い取れ、という意味ではないらしい。ならば武器を取り上げた所で何も問題はない筈だ。
一縷の希望が見えたオレに、しかしプリシラは尚も言葉を続ける。
「でも、『うばわれるあいてはえらぶように』とはいっていたわ」
「奪われるって、タロットを?」
「そうよ。いちどせんとうふのうになると、しばらくのあいだ、だれでもふれることができるようになるって。もしうばわれたら、うばったひとがもちぬしになるっていっていたわ」
その情報、めっちゃ大事じゃないの?むしろ最初に言ってくれよ。
オレが呆れながら指摘しようとした瞬間、“戦車”が唐突に光り出した。光源が間近にあった事もあり、光爆弾を浴びたような吐き気を覚え、オレは思わず尻餅をついてしまう。
“戦車”が発光したのはプリシラも想定外だったようで、彼女もまた咄嗟に動き出す事ができなかったらしい。思わず目が潰れないように腕で庇い、二人して光爆弾を無防備に浴びてしまった。
「う、ん…。何だったんだ今の光は」
「あなた、さっきとりあげたタロットは?」
「そりゃ、取り上げたんだからオレの手の中にーー」
発光そのものはすぐに落ち着いたものの、オレの目がようやく景色を認識できるようになる頃には既に手の中の“戦車”はどこにも見当たらなかった。
指摘してくれたプリシラも同様らしい、困惑と怪訝さが入り混じった瞳をこちらに向けられる。向けられた感情に100点の答えが返せないオレは、諦めたように呟くしかできなかった。
「えっと。どこに、行ったんだろうな?」




