第4章39「死神の拳よ、戦車を貫け2」
オレの待ち焦がれた援軍は、恩恵的にも気質的にも湿度の高い死神だった。
レイラさんの法衣ドレスに施されている光の紋様と同じものが赤い頭巾に刺繍され、その中にある白いブラウスと赤いミニスカート姿が背伸びした田舎の村娘を思わせる。それがプリシラ、月の国に弓引く事を選んだ少女だ。
しかしこの少女、ただの村娘と侮るなかれ。手元に材料を用意し、彼女が得意とする水を操る力を使えば、種類や精度を問わず様々な得物を鋳造する事ができるのだ。剣や槍、斧だって作る事ができてしまうので、相手の苦手に合わせて武器が選べるのは戦闘の長所と言えるだろう。
ここまで彼女の理解度があるからこそ、オレは同時に心配だった。
元々プリシラはレイラさんと同じく近接戦を得意としているのだが、今の彼女が行っているのは砲撃だ。作った武器をすかさず投擲する、これを永遠と繰り返せば材料はすぐに尽きてしまう。
今のところ一撃で土の兵士を仕留め、あるいは複数体を刈り取る事ができているので戦果の収支はプラマイゼロといった所だろう。何かの拍子にこの均衡が破られれば、一気に戦況は傾いてしまうのは明白であり、その拍子が先に起こりそうなのはプリシラ側だ。
プリシラの周囲に浮く水の珠たちが尽きるか、それとも戦場を制圧するか。どちらが先に起こり得るかと聞かれれば、迷わず前者とオレは答えるだろう。
「プリシラ!助けてくれるのはありがたいけど、そんなに水を使って大丈夫なのか!?」
「へいき。このとうぎじょう、きれいなみずをつかってるからはいしゃくしてるの。だからいまのあたしは、ちからがつかいたいほうだいよ」
マジか、だから節約のせの字もない豪快かつ粘着質な攻め方をしているのか。しかも武器の一斉投擲を掻い潜られた事を想定し、最も扱いに長けた篭手を今から装備している辺り、この付近の水場はとても優秀なのだろう。
雲の上に浮かんでいるような闘技場だから、食糧の持ち込みも不便だろうに…と考えていたオレだが、開き直って生活圏を独自に構築していてもおかしくない。夢世界じゃ火も水も風も土も、自分たちの魔力でどうにかなってしまうものらしいからな。
「プリ、シラ?生きてたの?なんでアンタ、そっち側なの…?」
思わず引き笑いしてしまったオレだが、頭上で放心しながら呟く軍服女の存在を思い出して閉口する。ーーそうだ、今のオレはまだ囚われ人だった。
白薔薇女に仕える存在として隣に並んでいた筈の裏切り者が目の前に現れれば、情緒が不安定になるのも仕方ないのかもしれない。おかげで今もしぶとく残っている土の兵士たちの統率が乱れている。
何も指示を出せない所為で、兵たちは自分を守る事すらできず、トンボとりの如く次々と溶かされるばかりだ。軍服女が何故呆けているのかは分からないが、今が反撃のチャンスと見て良いだろう。
(とにかくプリシラにはこの隙に軍服女を張り倒してもらいたいんだけど…)
しかし統率が乱れているからと言って、課題がない訳ではない。
文字に起こせば「相手に浴びせるのが武器で、それが弾丸の如く速く土兵たちを貫いている」というだけで、何重にも張り巡らされた分厚い土壁を少し強力な水鉄砲で掘り進めていく二人の力関係も実は平行線だ。
いくら水で溶かせると言っても、崩された分だけ新たに土壁をこさえる千日手しか軍服女には選択肢が残っていない。仮に軍服女が反撃するにしても、余程力を籠めて武器を造らなければ、簡単にプリシラの篭手が壊してしまうだろう。つまり軍服女が五体満足でプリシラを下す為には、条件があまりにも厳しいのである。
武器造りに時間をかけるにしても、防御を疎かにすれば死神は確実に迫ってくる。先ほど本人の口から「体術は不得手」と言っていた以上、ロクに武器も作れず対峙すれば待っているのは水拳の突き上げだ。
プリシラが狙ってる展開もオレの想像通りらしく、周囲に浮く水の珠たちに武器の鋳造を任せて篭手に土兵たちが必要以上に触れないよう接近してきている。この危機を察知しない軍服女ではない。
「土門壁!」
「うわッ!?」
ようやく命の危機を理解した軍服女は、寄ってくれるなと言わんばかりに分厚い土の壁を何重に作り、人質を抱えて視界を180度回転させて走り出していく。土の戦車を作るという思考すらできていないようだ。
その間にも土兵たちは水の得物によって貫かれ、瞬く間に無力化されていく。そこらの武器では傷すらつかないだろう彼らの鎧も、あるいは応戦する為に振るった剣も、触れただけで心身共に強制的に弱体化させるプリシラの篭手の前では無力だった。
(そういえばこの土の兵士たちって超越物質から作られた筈だけど、こっちの補充はしないんだよな)
軍服女は超越物質の力をあまり引き出せないのか、あるいは補充するという意識がないのか、それとも両方なのか。
いずれにせよ、軍服女が逃走という選択をした事で二人の勝負は決したようなものだろう。
「……るな」
わなわなと震える軍服女が、ようやく絞り出した声は怒りに満ちていた。少なくとも人質を解放する気は毛頭ないらしい。
取り巻きの無敵艦隊が潰された事に対してなのか、はたまた白薔薇女の命令を遂行できない自分に対してなのか。果たして軍服女の怒りはどこから来ているのか。
…恐らく、どちらも正解だろう。オレの真横で既に2カウント膨らんでいる爆弾は、あと一つでも刺激があれば即座に爆発すると、他人の顔色伺いに疎い酔っ払い男が見ても一瞬で事態を理解するほどに顔が真っ赤に染まっていた。
「ふざけるな!自分が何しているのか解ってるの!?ウルスラ様を裏切って、この男の側について、アンタ国を滅ぼしたいワケ!?」
国が滅ぶ?オレの所為で?…全くもって意味が分からないと、一日前のオレなら笑い飛ばしていた。
だが白薔薇女の言葉が喉に引っ掛かった魚の小骨のように主張してくる。この世界の主人はオレだという情報に、侵される。
恐らくオレという異物をこのまま放置していたらマズい事が起こるのだろう。そのマズい事が何なのかはまだオレ自身も解らない、だが夢世界とはいえ国一つが滅ぶような何かが起こる可能性がある事は笑えない。…その原因がオレにあるだろう事実の方が、もっと笑えない。
「ウルスラ様に命じられていたわよね?この男は生け捕りにして、国に連れ帰れって。恐れ多くも王族であるウルスラ様のお声を!まさか忘れたと!?貧民という身分であるにも関わらず、王族の近衛に起用される名誉まで戴いた恩を忘れたか!この恥知らずめ!」
「そうね、ウルスラさまにはおんがある。あのひとのきたいにこたえることがむくいることだと、ついさいきんまではおもってた」
トン、とプリシラがその場でステップを踏み始め、彼女の履く黒いブーツが床の感触を確かめる。踏み込みの加減を試すようなその動きは、まるで湖面に静かな波紋を浮かべるように軽やかだ。
「でもいまは…。ウルスラさまと、あなたがいまそばにおいているひとをてんびんにかけたとき。あたしのこころは、そのひとのほうにかたむくの。あたしをひつようとしてくれる、いのちをすくってくれたひとのほうにね」
ゴボリと、プリシラの拳に纏わりつく水が音を立てる。改めて握りしめた小さな拳に装着された武装は、まるで獲物を見つけいきり立つ獣のように激しく揺れ動く。
「ウルスラさまはたしかにあたしをすくった。でもそれは、あたしのちからをひつようとしただけ。あたしじしんをひつようとしてくれたのは、そのひとだけよ。…あたしがそのひとをたすけようとするりゆうは、それでじゅうぶんだとおもわない?」
「こ、の…!頭までバグったか根暗女!一時の情で国を敵に回した事、後悔させてやる!」
ようやく超越物質の存在を思い出したかのように掌に乗せ、軍服女は魔力を集中させる。その一拍後、瞬時にこれまで地道にプリシラが溶かしてきた土兵たちが復活し、水を求めて襲い掛かっていく。
「まずはお前が目にかけているアクリス村の連中よ!あいつらを一人残らず引き摺り回し、晒し首にしてやる!その上で一つ残らず首をすり潰して、叩き潰して、踏んづけてやるーー」
「ひきみず」
「ッ!?」
瞬間、軍服女の躰が展開していた土の防壁に吸い付くように張り付いた。ーー否、自らぶつかりに行った。
防壁によって見えなかったプリシラの攻撃により、軍服女は受け身が取れなかったらしい。体内の空気を吐き出し、歯を食いしばりながら必死に魔力を手足に集中させていた。
まるで、首に縛られた何かに抗うような仕草。傍から見れば何も括りつけられているものがないのにも関わらず、じたばたと必死に藻掻く軍服女の図にしか映らないが故、思わずオレの首筋に冷たいものが走った。
「あたしのりょういきにとどまっているなら、あなたはどこにもにげられない。たとえそのあいだに、なんまいもかべがあったとしても、こうしてひきよせることができる。みずのながれをかえれば、こうしてくびをしめることだってできる」
「ウ、グ…!」
「もちろん、ていこうしてもいいわ。…あたしのまりょくりょうのほうがうえだから、したくてもできないだろうけど」
司令塔が苦しむ中、土兵たちもまた同様に首を押さえて次々と倒れ込んでいく。どうやら軍服女が受けたダメージは、そのまま土兵たちに流れていく仕組みらしい。
…駄女神様が同じような事をオレにしてくれていたが、今の軍服女と土兵たちはそれと同じ仕組みで繋がっているのだろう。ただしその感度は緩まらず、直接苦痛が流れ込んでしまうシステムのようだ。
「でもそのひとのまえではくびをおらない。そもそも、あなたのくびなんていくらおってもしかたない。だからーーあたしのめのまえまでひきよせる」
この弱点を使わず、敢えて引き籠っていた軍服女で、言葉通り防壁を破壊しながら引き寄せていく。よほど硬く分厚く作った土壁なのだろう、掘削の音とは別に骨が所々折れるような音を響かせる様は、まるで死神の拷問器具にかけられている戦車のようだった。
土壁を貫通し、死神に差し出された廃車寸前な軍服女。土兵たちは苦痛に耐えられず、一体たりとも満足に立ち向かえる状態ではなかった。
増援はもう見込めない。しかし最後の力を振り絞って土の爪を作り出し、一歩前に出た。ーー否、出させてもらった。
残酷なまでに、相討ちの演出がされていく。身も心も粉々に潰された軍服女の最後の慟哭が、プリシラを威嚇した。
「グゾ女がぁぁッ!!」
「あたしをぶじょくするのはまだいい。でも、みんなをぶじょくしたつみは、いちどなぐるだけじゃゆるさない。ほねぬきにするまで、なぐってあげる」
水の拳による乱打が、しぶとく残っていた軍服女の戦意を根こそぎ刈り潰していく。距離を操作し、死神の振るう拳が効率よく破壊できる場所に戦車が毎回置かれていく。
一度でも殴れば身体能力の大半を奪う事ができる水の呪いだ、十何発と浴び続ければ生きている事すら奇跡に近い衰弱状態に陥るのは想像に難くない。
まさに骨抜き。ようやく死神の怒りから解放され、躰もプライドも粉々に砕かれた軍服女の目からは、光が消えかかっていた。




