第4章37「色染まるバケモノたちの舞踏会7」
土の兵士たちが荒らし終わった部屋に残された、月の国の白薔薇と道化女、そして太陽の国の和装美人。
人数の不利を背負いながらもノーラは笑みを崩さず、むしろ場を制圧した者として部屋に君臨していた。
風を纏った手刀をウルスラの喉元に突きつけ、もう片方の腕で逃げた軍服女を追撃していたが…しかし討ち取るまでには至らなかった。
それは単にウルスラとモニカが妨害に徹していたからではなく、番を傷つける事を善しとしなかったノーラが手加減していたからではなく、カノンが召喚した土の兵士たちが異常に硬かったからだった。
元より風術は土術への通りが悪いのだが、それでも十数体は粉砕できていた事からノーラの放った魔力量も相当だった筈。にも関わらず、魔力枯渇を起こした様子もなく太陽の国の刺客は笑っていた。
「ーー仕舞いじゃ。物量に頼られては流石の妾の風でも届かせられぬ」
そのノーラは、完全な武装解除まではしなくとも興味を失ったと言わんばかりに追撃の手刀を解いてみせた。
「フン」と鼻を鳴らしたウルスラもまた、彼女に倣って魔力を過剰に帯びた掌を引っ込める。上司が引っ込めた以上、部下であるモニカもまた武器を引っ込めざるを得なかった。
「妾の土術を躱しながらの追撃と、よくもまぁ二心ある中で妾に迫れたものよ」
「妾の風の手刀をまともに受けられない軟弱者の、『土術で壁を作る事を失念していた』という言い訳にしか聞こえんのう!カカッ!」
(話すのだるいぃ)
こうして三者の間に話し合いの余地が生まれる程度には場の緊張が幾分和らいだ。
それでも、敵から少しでも有益な情報を収集しようと言葉の殴り合いを始めるのは時間の問題だった。
「そも貴様、主はどうした?いよいよ自国を見限って旗色を替えに来たか?」
「カカッ!妾が国替えなど天地がひっくり返っても有り得ぬ。それに、あの方は今もこの場を視ておられるわ。妾でなくとも国を裏切れば、あの方は即座に見抜かれる」
「成程、道理で背中を舐め回すような視線を感じる訳だ。貴様の主も、遊戯の主と謳うあの黒服面の男が寄越した武具に魅入られたか」
一人で納得するウルスラだが、(今の妾の言葉を鵜呑みにしたのか?)とノーラは訝しんだ。主を愚弄されたが為に咄嗟に出た言葉の筈なのに何を納得したのだろうか、と。
そも、ウルスラには他人が理解できない事を勝手に推測し納得する悪癖がある。言ってしまえば、取っ掛かりすらない筈の道筋を自ら作り、解を導き出してしまうようなものだ。
そして悪癖は自らの解法を拓くだけに留まらず、己が識っている情報が世界の常識と同義であると信じて疑わない性格にも波及している。
悪癖故に治る事のないその無思慮は、他者からすれば拒絶以外の感情が生まれないだろう。故に、部下でさえも首をかしげる会話の異常にウルスラは気付けない。
カケルが一人納得していた世界を構成している話も、実のところ彼女の妄言に近いものだった。
彼女の与太話に異を唱える事ができるほど頭が回る人間が、指摘する人間が当時傍にいなかった事が、カケルにとっての不幸と言えるだろう。
「この場を視られているのなら、これ以上妾の手の内を見せるのは面白くない。貴様の言葉に包められるのは癪だが、今日は大人しく退いてやろう」
「今でも妾の手刀がキサマの喉元にくっついているのを忘れたか?それとも圧倒的な戦力差で戦意を喪ったか?」
「抜かせ、今も戦闘欲は枯れておらぬ。しかし妾らに利のない戦いなど時間と魔力の無駄、余力のある人間と死に体の人間が戦場から身を退く理由が同じだと思うなよ?」
「よう言うわ」と嗤い、妖しげな風を纏わせながらも気前よく会話を続けていくノーラ。まるで久方ぶりに会った友人にでも話しかけるような穏やかさを、彼女から感じさせた。
基本的にこの世界での戦闘は見敵必殺。お人好しな戦巫女でもなければ、月の国の賢者が敵将の首を討ち取らず見逃したり、敵前逃亡するような真似はしない筈なのだ。
「それに貴様、与えられた遊具が余程気に入ったらしいな?漏れているぞ、貴様の懐から異質な遊具の魔力が」
その筈なのに、ウルスラは表情に笑みすら浮かべて指摘してみせる。まるでお気に入りの部下と話をするような、少なくとも敵に対する接し方ではない奇妙な距離感だ。
…あぁ、そんな芝居じゃボロが出ますよウルスラ様。思わず口から零れそうになった言葉を呑み込み、二人を視界に入れて凝視する。
「カカッ、キサマには解るか。そも敵国の大将の首を刈るのに出し惜しみなどするものか。たとえ借り物であろうと、今は妾の一部となったーー」
途端、豪気なノーラの表情が一時停止し、引っ込めた筈の戦意を爆発させた。
まるで虎の尾を踏んだかのような感情の激流が、その元凶へと向けられる。
「……キサマ、妾に心の距離を操る異能を使ったな?」
「ウルスラ様助けてぇ、バレちゃった」
命を刈る音がすぐ傍で聞こえている筈なのに、しかしモニカは尚もその場から動けない。タロットを使用した反動で魔力も体力もゴッソリ無くなっているからだ。
それどころか、最も命の危機にある上司に助けてもらおうと手を振る始末。自分が助かる道を自ら見つけようとしない様を見せられ、思わず部下の傲慢さに眉をひそめるウルスラだったが、しかし助けない訳にはいくまいと掌に再び土の魔力を集中させた。
勿論このウルスラの暴挙を許すノーラではない。尚も構えていた手刀を改めてウルスラに突き立て、首筋から赤い一筋を垂らす。少しでも動けば薙いでやると宣告されたウルスラの手札は、全て封じられた。
「今しがた妾が逃がした下手人、あれは確かキサマの妹だったな?ならキサマを血祭りにあげて風で届けてやれば、こちらに戻ってくる可能性もある訳じゃ!」
「国の頂点である妾を差し置いて、部下の首を真っ先に狙うとは。血迷っただけでなく思考も狂ったか?」
「無論、賢者の首は今刎ねる。その後でじっくりと下手人を追わさせてもらおう、妾を惑わす術をかけてくれた女の心臓を貫いてからな!」
ウルスラの首へ、刃が音を立てて更に迫る。飛び退ろうにも、魔法使いが基礎体系であるウルスラと前衛職適正しかないノーラでは、咄嗟の身体能力に大きな差があるのは言うまでもない。
では何もせず風の刃を受け入れるのかと言われれば、それは生きる事を放棄するという大罪だ。大罪を犯す事を、ウルスラは善しとしなかった。
「土茨の構えッ!」
「カカッ!その程度の壁、穿てぬと思ったか!!」
床の材質を、文字通り茨のように伸ばして壁にするウルスラの防御壁は。まるで紙を切断するかのように軽々と斬り落とされた。
何物も通さない防御性能の高さがウリで、攻撃特化の風術に強く出る事ができるーーというのが土術の基本的な性質だ。それをいとも容易く斬り落とされる様に、思わず顔を歪めるウルスラ。
風を纏った手刀が、いよいよウルスラの首を捉える。同時に鮮血が散り始め、ウルスラの白い衣装に赤が染まっていく。
「ぐッ…!」
「ほう、思いっきり斬り飛ばしたつもりだったが…よく耐えたものだ。しかしたった一撃で吐息が青くなるようでは、我が国に持ち帰る土産の選定は困る事になりそうじゃーーなッ!!」
ギリギリ身体強化が間に合い、ノーラの手刀がウルスラの首をへし折る事はなかったが、二度目は通用しないだろう。
ノーラはもう一度、今度は更に激しく風を纏った手刀を振り下ろした。
必殺の間合いによる一撃は、これまで攻撃を対処していたウルスラにも、ましてや助けを求めていたモニカにも防ぐ事はできないーー筈だった。
「ほう、土産選定か。戦場で悠長な会話が聞こえてくるとは思いもしなかったが、どうやら遊戯は着実に進行しているらしい」
部屋に男の声が響き渡る。つい数十分前に聞いた筈の声だが、この場に居合わせた3人は一様に肩を震わせ、振り下ろした手刀をも止めてしまった。
今はなりふり構わず逃げるべき相手に出くわしてしまったと、彼女たちの本能が警告している。目の前の獲物に構っている暇はないと、命の危機を警告している。
「先ほどぶりだな諸君。鬼札の馴染み具合はどうかね?…あぁ、諸君らの解答は期待していない。私の眼で、確かめさせてもらおう」
真っ黒な覆面を被った、燕尾服の男だったモノが。巨大な歯車を展開しながら3人に襲い掛かった。




