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夢渡の女帝  作者: monoll
第4章 希望を夢見た宙の記憶
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第4章28「審判不在の椅子取り4」

 仏の顔も三度まで、という有名なことわざがある。失態のお目こぼしは何度もある訳ではない、みたいな意味だ。…知ってるって?そりゃそうか。

 なら、この言葉は略されたことわざである事を知っているだろうか。最近知って成程と思った。…学がないなって?知ってるよチクショウ。


 正確には、「仏の顔も三度撫でれば腹立てる」なのだという。ここで言う三度(・・)というのは少ない回数という意味なので、二回まで撫でて良いという訳ではない事に留意されたし。

 何が言いたいのかというと…。大きく振りかぶって一撃くれてやった相手がいつまでも我慢すると思うな、という話だ。


「良い所に腕を差し込んだじゃないですか、ソレイユ様。並の兵士であれば声をあげる暇もなく意識を落とされるか、首を折られるでしょうね」


 通常、気道を絞められている首を庇うべく動かす筈の手を、今も裸締め(チョーク)をかけ続けるソレイユの腕に何の躊躇もなく触れていく。

 瞬間、ソレイユが命の危機に瀕したかのような様相で首の拘束を解き、影を伝って改めて距離を取った。その慌てようから、恐らくソレイユの判断は正しかったのだろう。


 ーーソレイユの腕に触れた箇所が、赤く変色していた。先ほどのレイラが掛けた手を放置していたら、今頃ソレイユの腕はもがれていた筈だ。


「…ハッ、あのまま絞め落とされれば良かったのに」

「あの程度の絞めで私の動きを止められるとでも?」

「簡単にできたらアンタ一人に国が動かないわよ、骨無し女!」

「いつにも増して失礼ですね!人間なのでちゃんと骨はありますよ!」


 だが知識はあっても常識を持ち合わせているとは限らない。ソレイユの腕を骨ごともいでも良いと思っているのだから当人が怒るのも当然だった。


「骨が無ければ蹴り潰す!」

「できるものならやってみせなさい!」


 再び少女たちが激突する。しかし反撃宣言をしたレイラの動きは、目に見えて速くなっていた。


 腕の動きを予測させない、格闘戦に不向きである筈のブカブカの白い袖を巧みに使いこなし、レイラの鋭い拳がソレイユの銀色の髪を鋭く打ち抜いていく。

 顔を横にずらすタイミング、そしてずらす顔の位置の判断を一瞬でも誤れば、たとえ少女の小さな拳であっても速度の乗った一撃を浴びてタダで済む筈がない。


 ならば防御すれば良いじゃないか、と思うかもしれないが…。触れれば腕や脚が使い物にならなくなる可能性がある以上、下手なガードは自分の攻め手も守り手も封じられて状況が詰んでしまう。

 つまり完全回避がここでは正しい解なのだが、それを連続で、そして瞬間的に要求するのがこの女の戦闘スタイル。恐らくソレイユ程度に格闘練度を積んだ人間でなければ相手にすらならないだろう。

 それでいて、まだ本気を出していないような素振りを見せているのだ。もし本心からソレイユと相対していたのなら、乙女の柔らかい顔など餅つきの如く拳でこねくり回されている筈だ。


(こ、の…!まだ速度、上がるの!?)


 ソレイユの焦りがその証拠だ。影移動を駆使し、蹴りつける角度や方向、タイミングをずらして戦うソレイユの攻撃も、徐々に手数が減っていくのが分かる。

 拳と脚、純粋な破壊力であれば脚に軍配が上がるのだろうが、こと手数勝負となれば関係は逆転する。ソレイユの躰に拳が刺さるのも時間の問題だ、脚を攻撃に使う暇がどこにもない。


「普段より増してちょこまかと…!大人しく吐いて無様に倒れてください、ソレイユ様!」

「イ・ヤ・よ!むしろ吐いて倒れるのはアンタの方!腹を蹴り潰してやるから今すぐ拳を止めなさい!」

「誰がそんな罰ゲームに乗るものですか!!」


 二人の拳戟けんげきの勢いにかげりが見えない。

 むしろ互いの手の内を熟知しているからこそ、拳も脚も止められない。動きを止めた時が、自分の死と同義であると解っているのだ。

 だからこそ軽口を叩き合える今が、二人の力が拮抗しているタイミングであるとソレイユは解っていた。ならば仕掛けるなら今しかないと、ソレイユが自身の影を苦無へと形を変えて後方に跳ねる。


「避けるんじゃないわよ、そらッ!!」


 牽制として地面に、動きが制限されるのを見越して眉間に、避けられるのを想定して心臓に。それでもダメならと絨毯爆撃の如く苦無かげを降らせていく。

 近距離戦闘にくだんせんさえ避ければ、遠方からの攻撃手段があるソレイユの方が優位に立てる。戦闘とは本来、自分の優位性の奪い合いなのだ。

 では、何故その優位性をソレイユは保とうとしないのか。初手から距離を取って攻撃しないのか。…答えは至極単純だ。


「避けるまでもありません、浄化してさしあげます!」


 この浄化お化けは、あらゆる魔法を一瞬で無効化してくる。設置されたもの、放たれたもの、纏ったもの、果ては強化弱体時限発動問わず、一切の区別なく握り潰し、蹴り砕いていくのだ。

 魔法の力が込められてさえいれば、剣や槍といった武器すら触れた瞬間に砕いてくるというおまけ付きだ。仮に魔法の力が込められない武器が相手であっても、そんな脆い鉄くずでレイラの拳が斬れる訳がない。

 故に、この女を相手にする時は徒手空拳を余儀なくされる。牽制を含めたソレイユの苦無かげは、レイラの踏み込みだけで全て取り払われてしまう。行動の手数を、上回られてしまう。


「あぁもう!いっつもアンタは要らない事をしてくれる…ッ!!」

「私の所為ではありません!ソレイユ様の狙いが悪いのです、よッ!!」


 そして、中距離程度であれば簡単にレイラは距離を瞬間的に詰めてくる。離れたと思って油断すると、あっという間に拳の餌食になってしまうのだ。

 故に距離を取る選択自体が、この魔猪女を相手にした時の最悪手。それに対する確定強打を、ソレイユは顔に浴びてしまった。


「ふぶッ!!?」


 世界が半回転する。口の中を切ったのか、吐き出した唾の中に血が混ざっている。

 揺れる脳が平衡感覚を奪うが…倒れはしなかった。倒れる訳には、いかなかった。

 一歩、また一歩と下がるものの、そこでどうにか踏み止まる。吐き出して楽になりたい気持ちはあるが、この場を見ているであろうあの男の前で無様は晒せないと、意地で中身を全て飲み込む。


「どうしました!?いつもの悪い足癖、今日は大人しいじゃないですか!!」

「んの…、言わせておけば!!」


 苦無を構えつつ、ご注文通りに顔に向かって蹴りつけるソレイユ。勿論、こんな分かりやすい前蹴り(こうげき)などレイラに当たる筈もない。

 防御するまでもないと、身体を逸らして拳を溜めるレイラ。ソレを受ければ致命傷だと、本能が危険信号を放っている。

 その上で、最悪解だと知りつつも…ソレイユは手にした苦無を眉間に向かって突き刺していく。


 苦無と拳が交換される。しかし受け取られたのは、拳だけだった。

 ソレイユの苦無は確かにレイラの眉間に刺さった。だが同時に、影ごと浄化され傷にすらならない。伸ばした腕による拳が、代わりに打ち込まれただけだった。


 レイラの拳は、ソレイユの躰の中心を深く抉り抜いていた。相手の戦意を削ぐのに最も効率的な急所を、軽いながらも少女の体重を宙にコンマ数秒ながらも浮かせる威力で。


「んおッ…おぇッ!おぅぇッ!!」


 レイラに避けられる事も想定内、その所為で手痛い一撃ボディを貰う事も想定内。

 …今度こそ衝撃に耐えられず膝から崩れ落ちたのは、想定外。暴れ狂う鈍痛が鳩尾きゅうしょを中心に全身へと伝播し、力を地面へと吸われていく。


 胃の中身をあらかじめ空にしておいて良かった。そうでなければ今頃、顔も服も吐瀉物まみれになっていただろう。

 そもそも躰を宙に浮かせるほどの衝撃パンチを浴びて、血を吐く程度で済む方が奇跡なのだ。この程度の想定外など、誤差の範囲だ。


「勝負ありです、ソレイユ様。まだ立つのなら、今と同じ拳をもう一度叩き込みますよ」

「っは…っぁ、は…ぁ」


 穴が開いた錯覚に溺れて腹を抑えている間に意識が途切れたのだろう、シュルリと首に巻いていたマフラーが解ける音がした。

 普段はどんなに素早く動いても解けないように影で固定しているのだが、その恩恵ちからが維持できなくなる程に体力も魔力も消耗していたらしい。


 たった2発の直撃、特に腹への攻撃は確かに致命的だった。レイラの言う通り、勝負の結果を覆す事はもうできないだろう。

 レイラは嘘がつけない女だ。故に、今の言葉も真実の筈だ。もしこのままソレイユが立ち上がろうものなら、今度こそ躰の中心に穴が開くだろう。


 しかし重力に逆らいながらも、全身の残り滓の力を必死にかき集め…満身創痍ながらも立ち上がる。

 この女の言う通りになるのが癪だったから、という理由もなくはない。だが他にも、立たなければならない理由があった。


 悪手であると解っている筈なのに、何故有効打にすらならない苦無を投げ続けたのか…この試合を見ている人間には解らないだろう。

 こみ上げ続ける赤色交じりの胃酸に溺れながら、這いつくばりながらも何故戦意を見せ続けるのか…あの男を人質のつもりで手元に置いている外道ですら解らないだろう。

 そもそもこの戦闘狂いの魔猪女が、まだ戦意を持つ相手に「待て」ができるのか…共謀している(・・・・・・)自分たち以外誰にも解らないだろう!


 今にも崩れ落ちそうな脚を無理やり影で支え、あたかもまだ体力に余裕があるように振る舞う。

 口から垂れ流す液体に赤黒いものが混じっているのに拭う事もせず、レイラを相手に挑発的に睨みつけた。


「そろそろ終わらせましょうか」

「えぇ…そうね。しっかり、辿りなさい(・・・・・)


 だからーーあの外道に一杯食わせる為、苦無を自分の影へと刺した。

 瞬間、ソレイユの影が急激に膨れ上がり爆発する。地面が割れ、黒い粉塵かげが周囲を包み込むと…。レイラだけでなく、会場全体を真っ黒に覆い尽くした。


 ソレイユ渾身の影魔術、黒天。この魔術かげに呑まれた相手は五感を奪われ、二度と晴天を拝む事ができないと言われる封印術…という触れ込みだ。

 もっとも、それが事実かどうかは知るところではない。何故ならその触れ込みを証明する人間が誰一人として居ないからだ。

 もしかしたら呑まれた瞬間に致死量の呪いが襲ってくるのかもしれないし、違う次元に飛ばされる魔術なのかもしれない。つまり真相はかげの中、という訳だ。



 であれば、その真相を語る人間はこれが初めてとなるだろう。何故なら、たった今呑み込んだ相手は浄化の化身…魔術も魔法も何もかもを蹂躙する光の魔猪ボロアなのだから。


「ーーおやすみなさい、ソレイユ様」


 宣言通りにレイラの拳がソレイユの躰を打ち抜き、留まりきらなかった衝撃が向こう側まで貫いた。彼女の拳に纏った光が、かげを消していく。

 その様を見届けるよりも前に、忍者は塵のように闇の中へと溶けていったのだった。

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