第4章閑話2-3(初めて太陽が月に敗けた時3)
眠りの森、それは太陽の国があるラーファン山脈の麓に広がる大きな森の総称だ。兄様曰く、『正確には種族ごとに領域があるみたいから、あの森は小さな国の集まりだからね』との事だったが、太陽の国に属しているソレイユが分別をつける必要などないだろう。
闘技場の話を兄から聞き、『別に闘技場は逃げないから明日になってから出発しても良いのに』と残念がる兄の姿に後ろ髪を引かれつつ、途中脚を休める事なく国を無断で飛び出してから早3時間。ソレイユは既に、この眠りの森の洗礼を幾度も受けていた。
『太陽の国の第二王女ソレイユ!その命、貰い受ける!』
『ハッ!アンタみたいなノロマに遅れを取るとは思えないんだけど?』
両手に剣を持った月の国の流れ者は、目的がシンプルだった。
自分の首が欲しくて正面から挑んでくる相手は嫌いじゃない。むしろ清々しくて挑戦を受けるこちらも気分が良い。実力さえ見合っていれば、こちらも心行くまで命の取り合いを楽しめただろうに。
敵兵なので遠慮なく足跡を顔に何度も力強く押しつけ、ソレイユは改めて森を駆けていった。
『借金を残して消えたオヤジの仇ぃ!!』
『地道に働いて返して父親を札束で殴れるように生まれ変わりなさいよ!あとアタシ関係ないじゃない!』
ソレイユよりも身長の低い少年からは、謂れのない理由で襲われた。
思わず拳骨を作って頭頂部に落とし、その場で懇々と説教してしまう。足を止めてしまった後悔はあったものの、その後悔の所為でこのまま少年が野垂れ死ぬのは忍びない。
仕方ないので兄の薬湯実験の被検体の仕事を斡旋し、振りかぶられた斧を降ろさせる事にした。これで多少は金に困る事はなくなるだろう。
『次襲ってきたらグーじゃなくて脚だからね』と釘を刺し、ソレイユは改めて目的地に向けて地を蹴った。
『今宵は我が愛剣が血を欲している…。貴公には慰めになってもらうぞ』
『アンタみたいな男はタイプじゃないの。整形してあげるから出直してきなさい』
太陽の国の元戦士もまた、ソレイユの命を狙って得物を構えてきた。
この男は確か太陽の国を追われた罪人…だった気がする。剣への執着心が異常なまでに高く、味方斬りを幾度も繰り返してきた剣の鬼は、残念ながら言葉の通りソレイユの好みではなかった。
であれば敵兵と何も対応は変わらない。意識を失ってもなお剣を握られないよう、念入りに腕を蹴り壊してさっさとその場を離れていった。
このように三者三様、出自も違えば戦い方も練度も異なる。特に年端も行かない少年がいた事を考えると、隠れ里のような街の一つくらいあってもおかしくない。
兄の言葉を疑う訳では勿論なかったが。耳の尖った魔法使い族やら肉体バカといった有名所は勿論、白翼族や黒翼族、竜人族といった希少種ももしかしたら道中でお目にかかれるかもしれない。
ならばその中に、「空間の渡し守」とやらが紛れていてもおかしくないだろう。渡し守がどんな種族なのか、しっかり兄様の話を聞いておくべきだったと少し後悔する。
⦅アタシの力…戦場でも通用するんだ⦆
それよりもソレイユは道中の戦闘の数々を思い出し、今も残っている脚の感触に疼いていた。
心地良い息苦しさ、脚の痛み。どちらも連戦続きで躰を酷使した影響だ、流石にどこかで休む必要があるだろう。
しかし『あと一人行ける』『もう一人戦ったら休もう』を既に繰り返した事もあり、意識とは裏腹にソレイユは地面に這いつくばるように倒れていた。
⦅あー…、一歩も動けないってこういう事を言うのね。しんど…⦆
茂みの中で倒れ、目視で見つかりにくくなっているのは幸いだ。この際、肌についた細かい傷は見なかった事にしよう。
そもそも、どう足掻いても躰を酷使する格闘職。女がこの職を選んだ時点で肌が傷ものになるのは覚悟の上だ。
動けない少女一人に獣の心を抱く男はいるのだろうが、流石に自衛できる手段はまだ残っている。
どうせならこの脚でならず者を蹴り殺してやりたかったが、今はその体力も残っていない。
ーーこのまま休むことにしよう、男の声で起こされない事を願って。ソレイユはそのまま、意識を闇の中に落としていった。
★ ★ ★ ★ ★
『ーー、ーーーまえ』
不意に、知らない男の声が頭上から降ってきた。すぐにでも跳ね起きて急所を蹴り上げてやりたかったが、消耗した体力はまだ戻りきっていないらしい。
それに、自衛の為に仕掛けていた影による締め上げも発動していなかった。この男はこちらと敵対する意思がないのだろう、ソレイユがすぐに起き上がるのを躊躇ったのはこの要因が大きかった。
『いつまで寝ているつもりかね?客人、そろそろ起きたまえ』
とはいえ…想定の男の声とは違ったが、今の倒れ伏した状態では何をされるか分かったものではない。相手の要求通りになるのは癪だが、一度身体を起こさなければーー。
『話は太陽の国の王子から聞いている、客人を件の闘技場に連れていくようにと。もしや、予選で疲れ果てたか?』
…蹴り上げるのは勘弁してやろうと思いかけていたソレイユの天秤が、途端に戦闘モードへと傾く音がした。
予選?そんなものがあるとは兄様から聞いてないんですけど?そもそもこの男、予選とやらがあるって何故知っている?
『見たところただの魔力切れのようだが…。まぁいい、そのまま寝ていたいのなら好きにしたまえ。私はこれから他の候補者を拾いに行く、起きないのであれば置いていくぞーー』
『好き勝手、言ってくれるじゃないの』
しんどい身体を起こし、影の苦無を握りながら声の主を警戒する。…そこでようやくソレイユは、手に違和感を覚えた。
苦無を握って暫くすると、その感覚が突然掻き消えたのだ。もう一度と苦無を作ろうにも、今度は苦無の形すら作れない始末。悔しいが…魔力が底をついたのは事実らしい。
『確かに今のアタシに魔力は残ってないけど、アンタに一蹴り浴びせるくらい造作もないわ』
『客人、何か勘違いをしているな?』
言葉を制され、ようやくソレイユはまともに男の顔を見上げた。…否、顔に当たるモノを見上げた。
ソレイユがこの時受けた印象は、黒い歯車だった。真っ黒な覆面、燕尾服姿が奇抜という理由もあったが、何より彼の見下ろす視線の異様な冷たさに人間の温かさをまるで感じなかった事が大きい。
『私はただの闘技場の管理人、そして客人を迎えにきた者だ。今この場で客人と争うつもりはない』
事務作業の如く淡々と告げる様も併さり、男の体が歯車で出来ているのではなかろうかと勘繰ってしまう。
ではこちらも突き放した対応をしても問題はあるまい。機械相手に人肌で温めた所で、熱暴走なんて起こさないのだから。
『あっそ、なら早速その闘技場とやらに連れていってちょうだい。えっと…アンタ、名前は?』
『そうだな、“審判者”とでも呼んでもらおうか。昔使った名だが、化石にするよりは幾分マシだろう』
『…言いにくいし長いわね、アンタの名前』
『慣れたまえ』
今後この注文の多い男を「外道」と呼ぼう。心にそう決めたソレイユは、言葉を返さず鼻を鳴らした。




