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夢渡の女帝  作者: monoll
第4章 希望を夢見た宙の記憶
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第4章閑話2-2(初めて太陽が月に敗けた時2)

 自分の屋敷に戻ってからもソレイユの苛立ちが収まる事はなかった。

 ただでさえ感情が表情かおに出やすい性格のソレイユが、鬼のような形相で肩を怒らせてのしのしと歩けば、『魔熊が出た』と使用人たちの間で噂されるのも当然だろう。

 下手をすれば顔に拳、もしくは脚が突き刺さる理不尽の塊と化しているこの状態のソレイユに何を話しかけても無駄だ。故にこの嵐のような存在を見なかった事にしてやり過ごす…それが使用人たちの命の選択だった。

 しかし安心してほしい。この屋敷には、嵐に対する特効薬が存在する。


『随分ご立腹じゃないか、ソレイユ。何か悪い食べ物にでも当たったのかい?』

『マナ兄様!』


 広い応接間でくつろいでいた男がカップを置きながら、魔熊(ソレイユ)に臆す事なく声をかける美丈夫。彼の表情に畏れはどこにもない。

 屋敷中の誰もが恐れる自殺行為の筈だが、変化はすぐに現れた。鬼面を張り付けていたかのようなソレイユの表情が、途端に数段階緩んだのだ。

 これには隠れていた使用人たちも皆心の中で拳を力強く握った。当面の命の危機が去ったと、涙を流し胸をなでおろす者まで現れる始末だった。


 偉業の主の名はマナ・テラマスア。太陽の国の第一王子にして、腹違いの兄弟姉妹の多い一族の中で唯一、ソレイユと血が繋がっている兄だ。

 ソレイユと同じ銀色の髪を儚げに揺らすモノクルをつけた男は、その細い身体にソレイユのような武術の才能はついぞ宿らなかったものの…その代わり炎の扱いは一級品だ。

 彼が持つ黒い魔杖をひとたび振るえば、そこらの山が軽く吹き飛ぶらしく、その様から「焔帝」と敵国では呼ばれているらしいのだが…。『恥ずかしいから止めてほしいな』と常々呟いているのを、妹だけが知っている。


 勿論、物腰柔らかそうな実兄が相手であればソレイユも無闇に手を上げない。それどころか、体面を良くしたいのか表情にある角が瞬く間に削られ研磨されていく。

 元々争い事を好まない兄の為にアタシが働くんだ、と意気込んで始めた厳しい武者修行だ。『誉めて兄様!』『慰めて兄様…』と甘える時間が欲しくなるのも無理はないだろう。


『聞いてください、マナ兄様!今日もアタシ、闘技場で命を狙う輩を蹴散らしてきたんです!』

『そうかそうか。相手は強かったのかい?』

『いいえ全然!見え見えの剣筋、弓の軌道、魔法の詠唱タイミング!あれで何故私が死ななきゃいけないのかってレベルで技量が低すぎます!本当にアイツら、アタシの命を取る気あるんですか!?』

『そうかそうか。でもソレイユも彼ら…彼女ら、かな?いずれにせよ、襲ってきた人たちの命を取らなかったんだろう?』

『当然です!仕事じゃない上に身内の戦士候補をどうして蹴り殺す必要があるんですか!』

『そうかそうか。偉いぞソレイユ、手加減を覚えたんだね』


 ソレイユの愚痴を聞きながら髪を撫で、少しずつ妹の気を鎮めていく手練手管は誰にも真似できない。他の人間が同じ事をしたら、間違いなく喉に手刀が突き刺さった事だろう。

 解体不可能に近かった筈の爆弾かんじょうが少しずつ解体ほぐされ、ようやく妹が暴れない程度に大人しくなった頃合いを見て、マナは使用人たちに目で合図をした。


 待っていましたと言わんばかりに、委縮していた使用人たちが音もなく入室し、二人の席に食器を並べ始めた。自分の席の準備がされ始めたのを見ると、少し名残惜しそうにソレイユも兄の傍を離れる。

 ソレイユが席に座ると、程なくしてカップに茶色の湯が注がれた。たちまち周囲に良い香りが漂い、ソレイユの心を更に鎮めていく。


『いい香り…。兄様、これって何の薬草を使っているの?』

『ラーファン山の麓で群生している解毒草を煎じたものだよ。多く採れたと行商人から聞いたから、少し分けてもらったんだ』


 妹に解説しながら、一口カップに口をつける兄。その仕草を見て、ソレイユも用意されたカップを口に運んだ。

 瞬間、心地良い幸福感がソレイユを包み込む。ついカップを舐め回したくなるほどの甘みと多幸感に、息をするのも忘れてしまいそうになる。

 まるで誰かに毒を盛られたかのように思考がぬかるみ、ズブズブと意識が沈んでいく自白剤のようなーー。


『ってこれ劇薬!?兄様、もしかしてまた危ない実験してたんじゃーー』

『ふふふ、驚いたかいソレイユ?どんなに魔力が枯渇している人間であっても、この薬湯を飲めばたちまち活力が湧いてくる万能剤だよ!確かに配合を少し誤れば、人間の大事な身体機能アレ認知機能ソレがちょーっと壊れる危ない薬湯ではあるけど、ソレイユの為に私が作るのだからちっとも危なくなんてないさ!』

『にーいーさーまー!?』


 妹で人体実験をしないでほしい、とテーブルを力強く叩きつけるものの、当の本人には何一つ響いていないらしい。

 むしろ、『ソレイユの携帯食にも忍ばせておかなきゃいけないな』と兄の怪しい呟きを聴き逃さなかった自分自身を誉めてあげたい。あとで念の為に全部備品を新調しなきゃ…。


『でもソレイユがこんなに不貞腐れるのも久々だ。我が国の武力が、かの国に劣ると言われるのも納得だよ』


 ペッと口の中のものを必死に吐き出すソレイユを、マナは真っ直ぐに見て呟いた。

 …今の言葉は、いくら兄様が相手であろうとも聞き逃せない。ソレイユは表情を少し硬くし、その視線を受け止めた。


『兄様、今の言葉は迂闊よ。もし他の兄弟に聞かれてたらーー』

『別に構わないよ。それに…事実だろう?ソレイユの目から見て、月の国と正面から戦ったら勝てる見込みはあるのかい?』

『そ、れは』


 兄の暴論に反撃しようとして、しかし経験という名のソレイユの予感から導き出された想像は、兄の言葉を飲み込まざるを得ない。

 残念ながら太陽の国には、暗殺者を含めて戦闘経験の浅い戦士しかいない。経験豊富な者たちは皆、既に国を去ってしまっている。

 圧倒的人材不足。攻め手が欠けているからこそ、王族ソレイユにも暗殺業のお鉢が回ってくるのだ。


『でも!せめてアタシくらいの戦力がもう一人…いえ、二人いれば戦況は変わる筈です!』

『ならこの薬湯も、日の目を見る事があるかもしれないね』


 使用人に薬湯を改めてカップに注いでもらい、マナはそれを再び口にする。今度のソレイユは、兄に続く事はなかった。

 飲んだら人間として終わる可能性がある薬湯と言われ、好んで飲む物好きではないのだ。

 そんな反論を視線だけで感じ取ったのだろう、マナはカップから口を離して言葉を続けた。


『さっきも言ったように、これは少しでも配合を誤れば危ない薬湯だよ。でもちゃんと飲み方を守れば強大な力が期待できる。毒で毒を制す…とまでは言わないけど、もしソレイユがこの薬湯に手を出さざるを得ない時が来たら、今の言葉だけは覚えていてほしいな』

『不吉な事言わないで、兄様。そんな日は来ないわ、アタシが保証する』


 せめてもの反撃と、ソレイユの言葉が応接間に虚しく響く。

 薬漬けになってまで、戦場を駆け回りたくないという本心はある。だが兄に…唯一の肉親に何かあった時に一言一句同じ事が言えるだろうかと、心の中の小骨がチクリと刺さらなかった訳ではない。


 小骨の刺激は不安になり、不安はソレイユ自身の自信を失わせていく。それを自分で感じ取ったのか、ソレイユは頭を振りかぶって自力で(すぐに)邪念(小骨)()った。

 …そうだ、不安であればもっと力をつければ良い。薬湯に頼らなくても兄を安心させられるよう、もっと鍛えなければ。

 兄に心配されるようではまだまだ力不足だろう。しかし国の中ではもう修業相手が見つからない、国外の相手が必要になる。


『アタシ、もっと強くなりたい。兄様を、国を護れるくらい強くなりたい。だから…腕試しも兼ねて違う所で修業したいわ。兄様、良い所知らない?』

『あるにはあるけど…勧めたくないなぁ。あそこの主人、苦手なんだよね』


 無いものねだりのつもりで振ってみた話題に、兄が思わぬ反応を示した。流石は第一王子、ソレイユと違って情報網がしっかり張られている。

 しかし、兄はこれ以上話題を広げようとしない。あわよくば、このまま諦めてくれないかと期待すらしているように感じる。


 ーーこればかりは兄も打つ手を間違えたと言わざるを得ない。『知らない』と突っ撥ねれば良かったのに、何故餌を魔熊ソレイユの目の前にぶら下げてしまったのか。

 影渡りを使って一足に兄の横に寄ると、精一杯に表情をあざとく作ったソレイユが、兄の耳元に顔を寄せて囁きかける。


『お願い、兄様?』

『ソレイユ、頼むから他の人にその()はしないでね?』


 下手に男が寄ってきても困るでしょ?と釘を刺される。 勿論兄以外に同じ表情サービスをするつもりは全くないが、敢えて口にしない。

 その代わり、ソレイユは兄を見つめ続けた。微笑みを浮かべてはいるが、目は真剣だ。


『…いつまで私を見つめるつもりだい?』

『兄様が教えてくれるまで』


 まるで恋人に話すような妹の甘い声色は、兄の心の壁を切り崩せたらしい。…もっとも、この兄は堅物かつ鈍感なので赤面する事もなく、単に呆れたように溜息を吐いて諦めただけなのだが。


『分かったよ、ソレイユの意志は固いようだ。教えてあげるけど、一度しか言わないからね?』

『ありがとう兄様、大好きよ!』


 不承不承という体で頷くマナに、ソレイユは本心ラブコールで返しながら思いっきり抱きついた。

 しかし想像以上にソレイユの力が強かったらしい。『そ、ソレイユ…。腰、腰がビキって、言って…る』と泡を吹いてしまった事件は、その場にいた使用人たちが墓まで持っていく秘密となったのだった。

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