第4章閑話2-1(初めて太陽が月に敗けた時1)
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月の国と太陽の国の住人が顔を合わせるだけで、握り拳を作って急所めがけて振り下ろし合うのがこの世界の常だ。
ろくに武器を持たない下層民ですらそんな有り様なのだから、武器も金もある貴族様同士が接触すればどうなるのかは言うまでもないだろう。ようこそ、鉄の臭いに塗れた真っ赤な世界へ。
勿論、血の気の多い人間を多く擁している以上はその発散場所も、自国内でそれなりに作られている。闘技場もその一つだ。
『はぁッ!!』
『ぶごぁッ!?』
忍者袴を穿いた少女が、綺麗な軌道を描いて屈強な男を袈裟掛けに蹴り薙いでいく。影の恩恵を借りた少女の格闘術は、あっという間に闘技場の男たち…否、少女の命を刈らんとした暗殺者と言い直すべきか。ともかく男らの膝を、残さず地につかせた。
尚も気力を振り絞って戦意を見せる男たちの急所めがけ、影を移動しながら躊躇わず蹴り抜いてくる一人の少女の暴走が止まらない。最後まで意識を残していた両刃剣持ちの屈強な男も、遂に顔の横1ミリまで迫り寸止めた少女の膝に冷や汗を垂らしていた。
『このまま顎骨を砕かれて満足に食事できない身体にされたくなかったら、大人しく降参する事ね!』
『く、そが…!』
得物を棄てて両手を挙げる男。その哀れな姿勢を見て気を良くした少女は、未だ戦闘を諦めきれていない男の背後から伸びる影を使って羽交い絞めを仕掛け、戦意を断たせた。
泡を吹いて脱力した男たちを見届けた実況席は、やれ大番狂わせだの期待の新星だのと勝手に盛り上がってくれる。…あくびが出るほど弱い相手にどうやって負けろというのかと、思わず口を出したくなる気持ちをグッと堪えて笑顔を張り付けた。
少女の名は、ソレイユ・テラマスア。腹違いの兄弟姉妹が少しだけ多い、ごく一般的な太陽の国の第二王女だ。
親の権力の玩具として、時に人斬包丁としての人生を送っている以外、他の兄弟姉妹と何も扱いは変わらない。…彼女が持つ、影渡りの恩恵さえ無ければ。
この世界では、火・水・風・土以外の魔法を習得できるだけでも一目置かれる存在になる。それが王族で発現したとなれば周囲は放っておかない。
恩恵の所為で権力争いとか言う全く興味のない話にまで発展するのだから、ソレイユとしては厄介の種以外の何者でもない。
更に運の悪い事に、他の兄弟姉妹と比べて特に武術…とりわけ護身術と称した格闘術に秀でている事から、今では『王族の責務だから』という大変不名誉かつ理解不能な難癖を押し付けられては、手と足を真っ赤に染める暗殺者としての仕事が多くなっている。王族って何だっけ。
勿論、影という特異な恩恵を発現させている事は王族以外誰にも知らない。故にソレイユは今、数ある武闘大会に出場してはその身一つで屈強な男たちを伸していく、謎の天才美少女格闘忍者「ソラ」として活動しているのだ。…王族って、何だっけ。
『これに懲りたらアタシの前にその顔を出すんじゃないわよ。次は確実に蹴り潰す』
このように戦闘のどさくさに紛れ、ソレイユの小さな胸に凶刃を突き立てようとする暗殺は、一体これで何度目だろうか。もう数えるのも億劫なので、正確な数字は最早誰にも分からないのだが。
脅しだけで退いてくれるのなら万々歳、退かないのなら宣言通りに命を刈る。ソレイユの心は無限に広がる大海原ではないのだ、引き返す猶予を貰えるだけありがたいと思ってもらいたい。
…それにしても、一体いつからだろうか。太陽の国で行われる武闘大会が、自分の力を磨く場ではなくなったのは。
純粋に力と力のぶつかり合いを楽しめなくなり、ぶつかる暗殺者も対面二度目の顔なじみばかり。ともなれば使用する魔法属性も、剣槍を扱う癖も身体が自然と覚えてしまう。
たまに新顔が出てきたとしても、経験が浅すぎて話にならない。少し小突いただけで地面に額をこすりつけて泣いてしまう相手に、本気の力など出せる筈もない。
未だ燻り続ける闘志をどこにぶつけたら良いのか、ソレイユは解消できぬ苛立ちを覚えてこめかみを押さえた。
握った拳を全力で叩きつけられる相手が欲しい。疼く脚を思いっきり叩きつけられる相手が欲しい。
その欲求が叶う日は一体いつになるのだろう。そんな物思いにふけながらソレイユは一人溜息をつくのだった。




