第4章23「その贈り物、角落厳禁・天地無用につき5」
ソレイユの手を引きながら、あてもなく通路を再び突き進んでいく。勿論オレの脳内にこの建物の地図なんてある訳がないので、直感で進みたい方向にひたすら足を動かしているだけなのだが。
ただ…こうして歩き続けていると嫌でも感じる事がある。この闘技場、何故か構造がめちゃくちゃ奇怪なのだ。
階段を上ったと思ったらすぐに階下に降りる階段があったり、ひたすら直進しているようで緩やかな勾配のある坂があったり…。まるで生きた建物の体内に、誤って入り込んでしまったかのような違和感が常に付き纏う。
それに、グルグルと同じ場所を回らされるだけならまだ良い。上下にもその感覚を狂わされたら、出口まで辿り着ける自信が途端になくなるというものだ。
ましてや、もと来た道を戻っても通路そのものが変わっているという、ゲーム内でしか見られないような謎解きループ通路のシステムを持ち出されたら、頭の弱いオレでは建物の外に出る事すら叶わない。
(…やべぇ、迷った)
ここは勝手知らぬ夢世界。現実世界にある便利な地図機能入りのスマホやら、バカ正直にフロアを案内してくれる掲示なんてある訳がない。
現実世界にあるものがこの夢世界にあると考える方がおかしいのだが、その当然を丸ごと塗り替えてくるのは、常識に凝り固まりすぎたオッサンにはとても酷な話なのだ。脳内地図の作成に失敗するのもある種当然である。
つまりオレは、現在進行形で盛大にやらかしているのだ。
白薔薇女から逃げる一心でソレイユという王女を名乗る少女を連れ回した下手人。こんな所を黎明旅団の面々に目撃されたら、「こんにちは死ねェ!」と挨拶の中に隠せぬ殺意を滲ませて滅多刺しされる未来しか見えない。
(もうマイティたちに刺されてもいいから、オレたちを見つけてくれないかな…)
思わず溜息が漏れてしまったその時、「そろそろ、離して」とソレイユが繋いだ手を切ろうとしてきた。見た目通りの細い腕を引き抜こうと淡く抵抗する少女という、犯罪臭がプンプンする光景になっている。
オレを刺さんとする想像上の黎明旅団の数が一気に膨れ上がる音がした。こちらを睨み殺す眼光を想像するだけで胸やけしそうだ。やめてくださいそろそろ胃痛のあまり血を吐きそうです。
それにしても…普段の彼女の力なら軽く払える筈なのだが、未だ力が入りきらないらしい。よほど先ほどの白薔薇女に苦手意識があるのだろうか。
流石にそれを指摘するのは野暮、そしてこれ以上拘束するつもりはなかったので要求通りにオレも手を離した。握っていたソレイユの手首は、少し赤い痕がついている。
「悪い、力が入り過ぎてたか?あまり誰かの手を取って歩くって経験した事がないから加減が分からなくて…」
「…そうね。次があれば気をつけなさい」
やはり声に力がない。こちらに表情を見られないよう、終始顔を俯かせている始末だ。これは重症であると見た。
だが残念ながら、オレにはどんな行動が正解なのかが分からない。恋愛アドベンチャーゲームは基本プレイしないし、年齢=彼女いない歴のオッサンに乙女心を即興で読み解けとか無理難題が過ぎるというもの。今のソレイユが欲しいであろう言葉は、皆目見当がつかない。
「あー、その。流石に他人の事を雑草呼ばわりは酷いよな、あの白薔薇女」
「…………」
なのでチキンなオレは、ある程度当たり障りのない会話を振るしかできなかった。
勿論返ってくるのは、こちらを全く見る事なく無言で放たれる「話しかけるな」オーラ。話題を探すのも一苦労だというのに、会話の窓口のシャッターも下ろされたらお手上げだ。
ならば諦めるか?いや、それはダメだ。オレ自身の経験則から解る(つもりの)事がある。
たとえどんなに嫌がられても傍にいる事、勝手にこちらが話をする事が大事なのだ。至極当然と思うかもしれないが、意外とこれが当人には効いてくる。嫌でも感情を刺激する方法、という奴だ。
勿論、当人の性格によっては逆効果になる可能性もある。だが残念ながら、オレにはこの方法以外の解決方法を知らない。故に、一方的にシャッターに向けて会話を続けていく。
「なーにが『退屈しのぎの最中』だよ、だったら他人を巻き込むんじゃねぇっての。一人称だって『余』って…皇帝気取ってんじゃねぇぞチクショウめ」
「…………」
「薔薇を何輪もあちこちに咲かせてるんだから、いつかあの真っ白な服も全部泥水吸って土色になれってんだ。自分だけ手を汚さないから清廉潔白気取ってます、ってか?あの花全部散らすぞアンチクショウ」
「…………」
…思いつく限りに罵倒してみたが、どれも反応してこない。けれど仕方ない、こればかりは時間をかけて少しずつソレイユから歩み寄ってくるしか解決策がないのだ。
というより待て待て、今危ない事口走らなかったかオレ?花を全部散らすって違うからな!?服やら髪飾りやらの装飾の花を物理的に散らすって意味だからな!?間違えないでくださいねソレイユ様!?
「…………」
「…………」
よりにもよって少女相手に言葉の選び方を間違えた三十路男。流石にこれはオレの失言だ、甘んじて受けなければ。サッカーボールにするなり椅子にするなり好きにしてください。
相手に謝るのは時間がとても大事だ、如何様にも制裁されますと言わんばかりに、スッと慣れた動作で土下座の構えを取った。後はこの姿勢を続けて誠意を見せるしかない。
「…アンタ、どうしてそういう技術だけは達者なのよ」
ハァ、と溜息交じりにようやくこちらを振り向いたソレイユ。そこには多少無理しながらも、普段の呆れた表情があった。
…振り向いてくれたものの、恐らくまだ油断はできない。今回こそ言葉を誤るなよ、二度と修繕不可能な溝になるぞ。
「小さい頃から色々バカやってたお陰で親に無理やり仕込まれたからな、この手の土下座は慣れたモンだよ」
「アタシが言いたいのはズケズケと他人の領域に入ってくるその図太い神経の方だけど…。ハァ、何か指摘するのも馬鹿らしくなってきたわ。オジサン、あの猪女に少しずつ性格似てきてない?」
よしてくれよ。見えない地雷を踏むのはオレの得意技の一つなんだ、今更指摘されたって古傷に塩を塗られるくらいの痛みしかないぜコンチクショウめ。レイラさんに性格が似てきているって話は知らないけど。
腰に手を当てながら「怒ってないから立ちなさい」と指で要求され、素直にオレは従う。「言っておいて何だけど、少しは怪しみなさいよ」と愚痴られながらも、指でピンと額を弾かれた。
弾く力に理不尽な暴力性を感じない事から、言葉通り本当に怒っていないのだろう。浮かべる表情も、多少柔らかくなっている気がする。
「それはそれとして、アタシの言いたい事を代わりに一言一句違わず言い放ってくれたのはスカっとしたわ。何、オジサンもしかしてアタシの心を読んだ?」
「それはあの駄女神の特権らしいぞ?むしろオレにそんな便利能力を与えてみろ、今以上にめっちゃ嫌われる自信がある」
「あー…それは確かに」
確かにって言うんじゃねぇ、それだけでオレの心の残機が一気に3つくらい減ったぞチクショウめ!
だが道化に徹した甲斐はあったというもの。悪いもので塞き止めていたものが取り払われたかのように、先ほどまでの弱弱しい声色に比べて声の芯に活力が戻ってきた。
しかし活力が戻ってきたと表現したものの、まだフローア村にいた頃と比べれば微弱だ。可能であれば、少しずつストレスの原因でありそうな白薔薇女から距離を置きたい所なのだが…残念ながらそうはいかないのだろう。
「開会式」とやらに出なければならないのは、恐らくあの白薔薇女も同じなのだ。またこの闘技場内で顔を合わせる事もあるかもしれない。その度に、また気分が塞がってしまうのかもしれない。
であれば、黎明旅団の面々が合流するまでは道化を演じ続けるのも悪い話ではないだろう。ソレイユの表情を曇らせる原因と鉢合わせる回数が、少なくなる事を願ってーー。
「それはそれとして、オジサンよくここまで道が解ったわね。あと少しで目的地よ?」
「えっマジで!?」




