第4章21「その贈り物、角落厳禁・天地無用につき3」
80キロの荷物を片手で引き摺るという力技を披露してくれたメイドから、オレはようやく解放された。しかし実際は影のマットに敷かれていたので、引き摺られたと言っても擦り傷はどこにもなかったりはする。心は複雑骨折並の大怪我だけどな!
「痛っ…もっと加減してほしかったぞチクショウ…」
「アタシは別に蹴り飛ばしてあげても良かったわよ?力加減を誤ってそこの石柱にぶつけたり、蹴り損なって空中散歩しても文句が無いのなら、だけど」
「ナマイキ言ってすみませんでしたソレイユ様、ここまで引き摺っていただきありがとうございましたソレイユ様」
トントンと爪先を叩いて威嚇する王女様に、改めて床に額を擦りつけてお礼をする。命あっての物種、人間ゴルフの刑にされなかっただけでも良しとしなければ…。
そんな情けないオレの姿にようやく溜飲が下がったのか、「フン」と鼻を鳴らして脚の動きが落ち着いた。ソレイユの寛大な心に感謝しなければな…。
握り潰されるかと思った足首をさすりながら建物を見上げると、それは趣たっぷりの石造りの闘技場。立派な門の他にも、背中に翼を生やした大きな女性の、異なるポーズを取っている像が左右均等に並べられており、強者を求めて訪れた者を迎え入れる出入り口として機能している事が解る。
像の数は全部で6体。剣を正面に構えている像、弓に矢を番えている像、槍を背中に携えている像、薙刀を振り下ろさんとする像、杖を高く掲げている像、そしてーー脚を振り上げている像。
勿論、この中で気になったのは脚を振り上げている像だ。女性らしい艶めかしい曲線と、見えそうで見えない脚の付け根への執着が男の本能を刺激する…という理由も人によってはあるのだろうが、しかし残念ながらオレはその本能が些か欠落している。
(他人の空似、なのか?)
だから「徒手空拳で戦う女性に惹かれる」という性癖だけでこの像が気になった理由は、それ以外の天使像に見向きもしない理由は。他のヒトからすればきっと特殊なのだろう。
だがそのお陰で…。普通は剣や杖といった武器に目が行くのに、武器がないその像を見上げた事でその工程をすっ飛ばしたお陰で。オレの中に一つの疑問が浮かんできた。
この像の貌がオレたちを襲ってきた天使に似ているのは、何故だろうか…と。
「随分食い入るようにその像を見上げるのね。銅像にも欲情する性質なの、オジサン?」
「んな訳あるか、少し考え事をしてたんだ。…でも危ないアングルなのは同意だな、もうちょっと脚の位置調整できなかったのかよ」
もう少し像を観察したかったが、これ以上見上げていたり、距離を近くするとソレイユの脚が飛んできそうだ。命は惜しいので、オレは周囲の景色に視線を移す事にした。
闘技場には主役となる闘士の他、彼彼女らを盛り立てる観客、観客から金を集めようとモノを売り出す商人がいるものだ。警備員の巡回やら観客たちの歓談やらがあっても良いのだろうに、どちらも無いとなると寂しい心持ちになる。
つまりオレの今の話相手は変わらず、ジトっとこちらを見つめ「アタシに変な気、持ってないでしょうね?」と言わんばかりに鼻を鳴らすメイド忍者ただ一人という訳だ。…運命様、もう少し良い運命は無かったんですか?
「んで?ここならちゃんと説明してくれるんだろうな。ここはどこなんだ?ソレイユはどうしてメイド服なんて着ているんだ?他の人はいないのか?」
「急にがっつくわね、アンタ。約束通りちゃんと答えてあげるから、少し落ち着きなさい」
聞きたい事は山ほどある。散々お預けを食らった後なのだ、一回休みはもうお腹いっぱいだ。
ソレイユも答えなければいけない自覚はあるらしく、先ほどまでとは質の違う溜息をつきながら改めてオレに向き合った。ーーその眼は、まっすぐだ。
「ここは天空闘技場カイハ、さっき見た通り空中に浮いた陸島ね。月の国、太陽の国だけじゃなく、『森』の住人も参加できる合法・非合法問わず行われる決闘場…って所かしら」
「そんな地下闘技場みたいな設定、本当にあったのか…」
まるで格闘技の漫画の世界だな、と想像してしまう。格闘姫が二人揃っている上、彼女らに匹敵する格闘技量の持ち主である赤ずきんや天使の存在や、如何にもな建物の名前から余計にオレの中で夢世界の設定にタグがつけられていく。
それぞれの国の物好きが腕試しに挑む…という理由なら解らなくもないが、『森』ーーつまりはオレたちが今までいたあの場所って事だよな。レイラさんがうっかり口を滑らせた名前は確か…“眠りの森”だったか。そんな所に住み着く人間が参加できる、という理由がよく解らない。
結局何故そんな名前が森についているのか、今の今まで教えてもらっていないのだが…そこにいる人間が腕試しに闘技場に通う事があるって?そんな物好き、果たして居るのだろうかーーいや居たな。いつか「暴れ足りない」と盗賊100人組手をやってのけた後にも関わらず宣った格闘姫が。
剣やら弓やら、射程の長短問わず得物を持ち込むようなタイプの闘技場であったとしても、複数人を一人で相手取る理不尽マッチだったとしても、白と青の法衣ドレスを激しく揺らしながら空手で相手を地面や壁に叩きつける事だろう。
レイラさんの複数人相手でも気後れしない胆力、そして正確に攻撃を捌く技術はもしかしたら、この闘技場のような場所で鍛えられたのかもしれないな。
ーー妄想話はここまでにしよう。この闘技場が空に浮く島…それも雲より高く浮く陸島だという事は納得した。闘技場という現世離れした、如何にも中世…ファンタジーチックな施設である事も無理やり呑み込んだ。
ならば先ほどまでオレが押し込められていた部屋は、闘技場の闘士として出場させる為の控室…みたいなものか?だとしたらソレイユ様マジグッジョブ、そんな化物の巣窟に戦闘の素人を放り込んで良い訳がない。秒で死ぬぞ、オレ。
「ちなみにさっきの部屋は貴賓室よ。おめでとう、ここの主にとってアンタはそこらの人間より価値があるみたいね」
なんだ、選手の控室じゃなかったのか。闘技場の見世物にされる心配がなくなった安堵はあるが、それはそれで少し思う事がある。
「オレに価値がある?冗談はやめてくれ、どう見たって普通のオッサンだろうが」
「そうじゃないから、適当な牢屋じゃなくて素敵な控室に押し込められたんじゃないの?」
一体ここの主はオレに何の価値を見出したと言うんだ。思わず視線でソレイユに訴えてみたが、「アタシが知る訳ないでしょ?」と軽くあしらわれてしまう。
…これ以上は押し問答になりそうだ、違う話題にしよう。他にも聞きたい事はあるのだ、時間を有効に使わなければ。
「それより、さっきは話を聴かれるって言ってたよな。ここなら別に良いのか?」
「えぇ。あの部屋にあった置き物はこのエントランスには無いし、多分大丈夫だと思うわ。アレ、アタシの影と声を的確に感知する嫌らしい罠だから、全部処理するの手間なのよ」
対象がピンポイントすぎる罠だなオイ、まるで誰がオレの部屋に来るのか解っていたかのような罠設置じゃないか。
もしかして、ソレイユが普段の忍者衣装じゃなくてメイド服なのって、その影を少しでも誤魔化す為だったりする…のか?いやそんなまさか。でも気になるから絶対後で理由を聞いてやる。
「それより、アンタはここの主にまだ会ってないんだったわね。どうせもうじき『開会式』だから嫌でも顔を見る事になると思うけど、先に言っておくわ。とびっきりの外道よ」
それはまた、微塵も会いたい気にさせない素敵な文句だことで。特定の人物を徹底的に嵌める為の罠の置き方からオレとは分かり合えない、捻くれた人種であろう事は簡単に想像できる。
とにかく長居は無用である場所だという事は解った。でもここって、天空闘技場なんだよな。出口ってどこよ。まさかお帰りは紐無しバンジーをしろって?もうアクリス村で体験済だから二度とやりたくないんですけど??
「逃げようって表情に書いてあるわよ。でも止めた方が良いわね、ノロマなアンタじゃ見回りの白翼族に袋叩きにされるのがオチでしょうし。何より『開会式』があるから、参加者をみすみす脱走させるようなヘマをあの外道がするとは思えないわ」
…さっきは敢えて聞かなかった事にしたけど、二度も同じ単語が出てきたら流石に突っ込まざるを得ないか。
『開会式』って何なんだよ。選手じゃないオレまで出る必要ないだろうがチクショウ、オレは帰らせてもらうからな!
「なぁソレイユ。さっきも言ってたけど、『開会式』ってオレもーー」
「他人で答え合わせをしようってハラがムカつくわね。そんな文句にアタシが応じると思う?」
会話のボールを投げ終える前にバッサリと斬られ、取り付く島もない。相変わらずオレの表情はとても読みやすいらしい。
選手観客問わず、全員参加を基本とする開会式など前代未聞だろう。仮病を使って休む…って案は通りますか?通らないですかそうですか…。
「そうそう、アタシの声の認識とは別にアンタの声も抑えるように言ったのは、あの外道に盗聴される可能性があったからよ。アンタの意味不明な二言くらいじゃ相手も何の事か解らないから、ギリギリ許容範囲なのかも…って状況を楽観するしかないけど」
まぁ確かに、霊長類最強のアル●ックが天井に張り付いているコマーシャルなど、覚えている現代人は果たしているのかどうか…という話でもあるのか。尖ってたよなぁ、あの時代のコマーシャル。夢世界であるが故、理解が追い付かないのも納得できるというものだが。
「外道とやらが色々絡んでいる事は解った。でもまだオレには解らない事があるーー」
「アタシからの話は以上よ。休憩は終わり」
ソレイユがオレの話の切り出し方で何となく話題を察したのか、強引にオレから背を向ける。声色からも彼女の不機嫌が伝わってくるが、しかし聞かない訳にはいくまい。
「オレの質問に答えてくれるって話だったよな?まだあと2つ、オレの疑問に答えてくれていないんだが?」
「あら、全部に答えるとは一言も言ってないわよ」
こいつ…煙に巻いて逃げるつもりか!?そうは行くか、たとえ鳩尾に膝をぶち込まれても、聞きたい事は今聞かせてもらうからなーー。
「ではそこの雑草に代わり、余が答えてやろう」
唐突に割り込んできた女の声に、オレたちは揃って肩を震わせる。カツンと靴の音が鳴る方角に顔を向けるオレと、逆に背けるソレイユ。その反応に思わず「ソレイユ?」と声を掛けてしまう。
この女が件の「外道」とやらなのだろうか。視線で聞いてみようにも、ソレイユの表情は見えない。だが、微かに身体が震えているのが分かる。…それだけで、オレが欲しい答えになっていた。
肩を見せる純白のフリルドレスが印象的の女。ドレスの中に刺繍された光のような紋様は、レイラさんやプリシラの衣装にもあつらえている光の紋様に似ている気がする。…実際には少しデザインが違うようだが。
グローブとブーツの着用は月の国の常識のようなものなのだろうか、と思わず横道に逸れた思考もしてしまうが…。白くも刺々しい花の飾りが所々に咲いている事、薄紫色の長髪を綺麗に伸ばしたその姿に、以前レイラさんたちに聞いた「とある人物」の特徴と合致させた。
(そうか、この女が…)
「余が気紛れで、雑草の真似事をするのだ。光栄に思うが良いぞ?」
思わず身体に力が入る。その姿勢に、女が笑みを濃くする。
まるで心穏やかではないオレの心中を愉しんでいるかのように、こちらの感情を視つめていた。




