第4章20「その贈り物、角落厳禁・天地無用につき2」
思い返せばオレは、昔から間の悪い男だった。
調味料が切れていた事を思い出して買い物に出かけたその帰り、夕立が降り出して帰る頃にはずぶ濡れになった回数は両手の指の数ではまず足りない。勿論カウントしているのは、オレが帰宅したその10数分後には快晴に戻る追い討ちまでのものしか含んでいないので安心してほしい。
他にも、部活の先輩がサボっている瞬間を目の当たりにし、先輩に気付かれる前にその場を去った筈なのに翌日以降しっかりオレだけに特別メニューが課せられる事もあった。そんな理不尽な縦社会を多感な時期に経験した事もあって、体育会系の部活は嫌厭するようになった…というのは今だから言える事。テニスなんてもう二度とやらねぇ。
ーー閑話休題。今回の不運も、乱数の神様が最悪の目を出すように調整した結果なのだろう。まさか見知った顔の女忍者が天井に張り付いてオレを監視していたなんて、一体誰が想像できただろうか。
おまけに鬼面の如くこちらを睨んで、小さな口をパクパクと開け罵倒してくる始末。これを厄日と言わずして何と言おうか。
しかし相手側の攻め手に欠ける行動に、オレはふと首をかしげた。…おかしい、飛び蹴りがなかなか飛んで来ない。
いつもなら、加減されながらも彼女の脚技がオレの身体を鞭打つ筈なのだが、今回はそれが無いのだ。明日は火の玉でも降ってくるのか?
「で?そんな所で何やってるんだよ」
〈っ…、その監視の眼があるから動けないのよ…!〉
監視の眼?…もしかして、このペンギンのような陶器の事か。成程、ただの照明ではないとは思っていたが監視カメラのような役割があるのか。
道理で異常な数が置いてある訳だーーそれにしたって置き過ぎじゃない?オレがいつ起きるかどうかの賭場がどこかで開いてたりするの?
〈いいから、早くその眼を全部床に伏せなさい!あと声もなるべく抑えて!〉
ぐ…天井からの「早急にやれ」の圧が強くなってきた。まぁいいや、置き物を床に全部向けるだけで良いのならさっさと済ませてしまおう。
でも声のボリュームまで抑えろとは一体…。まさかこの陶器、音も拾える万能監視カメラだったりする?
ーー10分ほど経っただろうか。泡を立てて浮かんでくる質問を都度飲み込みながら、ソレイユの言う通り全ての陶器の眼を床に向け終える。両手を使ってマルを作って合図を送ると、ようやく本人様が音もなく床に足をつけた。
「もう少し綺麗に置いてほしかったわね」と視線だけで愚痴を零しながらも、怪しげな陶器を踏み壊す事なくこちらに近付いてくる。流石は暗殺者集団の真の元締め、安全に通る事ができるルートは既に彼女の頭の中で構築済らしい。
まぁ確かに…この陶器に監視カメラの疑いが浮上している以上、無闇に壊すのは得策ではない。この状況下で安全と時間を天秤にかけた時、どちらに傾くかなど言うまでもないだろう。
そんな事を考えていると、ソレイユは陶器迷路を無事に通り抜けてこちらまで辿り着いたらしい。声を抑えろと言われた以上、オレも音を鳴らさない最小限の動作で迎えた。
〈良い?暫くはこの声量を維持する事。そうじゃなきゃ聴かれるわ〉
〈それは良いけど、誰に聴かれるんだ?あとここってどこ?〉
〈…そういえばアンタ、今の今まで意識なかったんだっけ。敵地のど真ん中にいるってのに、おめでたい頭してるわね〉
そうだった。ここはオレが意識を失う前、天使に勝手に連れてこられた場所だ。名前はえっと…どこかの闘技場だった筈。
ちゃんと固有名詞くらい覚えろ?うるせぇ、興味がない話題を一聞しただけで一言一句間違わず覚えられる機械じゃないんだよチクショウめ。
〈でもこの部屋は色々まずいわ。場所を変えましょ、ついて来なさい〉
〈あのな、ついて来いっていきなりーーあぁもう、オレの話聞いてねぇな!?〉
あっという間に再び陶器迷路に足を踏み入れ、音もなく通り抜けていくソレイユの移動パターンを必死に観察しながらオレも後を追う。数は確かにあったけど、こんな乱雑に置いた記憶はないんだけどなぁ…。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
部屋の外はちょっとしたエントランスになっており、ここに調度品の類はない。ーー否、よく見ると西洋甲冑のような何かを引き摺った痕はあちこちに残っている。誰かが一足先に、この部屋を片付けたのだろう。
置いてあった調度品は今どこに保管されているのだろうか、そんな事を考えながらもオレたちは重そうな鉄の扉の前に立っていた。
「少し離れてなさい」
もう声は抑えなくて良いのかと聞くよりも先に、メイド服のスカートが翻るのも気にせず、ソレイユは一思いに扉を蹴り抜く。レイラさんもそうだが、そんな細い脚のどこに馬鹿力を隠しているんですかーー。
「うわッ!?風、が…!」
瞬間、部屋中を風が激しく駆け巡る。狭い入口から空気を呼び込めば、密閉された空間の中で風が暴れるのも無理ない話だ。80キロはあるオレの肉塊も、真正面から暴風を受ければ当然ながらタダでは済まない。
踏ん張って進むのがやっとの衝撃を浴びる横で、しかしソレイユは何事もないかのように歩いて外に出る。暴れ狂う髪も何のその、といった表情だ。
(一人でスタスタ歩けて羨ましいな…ぁ?)
どうにか扉に掴まりながらオレも外に出ると、目の前に巨大な建物ーー否、闘技場がそびえ立っていた。
数百人規模、下手したら千人以上は収容できそうなスタジアムだ。スポーツ観戦はしないので具体的な例が出せないのだが、とにかく「広そう」という漠然とした言葉でしか言い表せないのが悔しい。
…まぁ、それくらいなら異世界あるあるだろうとオレも納得(したくない所もあるが)できる。それは良い。だが闘技場へと続く、50メートルはあるその道の造りには納得いかなかった。
ぶわりと吹く横殴りの風が、先ほどの勢いにも負けず流れ続いている。もしオレの身体が風に流れてしまったら、左右に広がる夜空に身を投げる事になるだろう。
通路の幅が広めに取られている事が唯一の救いだろうが、現実世界であれば必ず存在するであろう身体を受け止めてくれる最後の壁…安全装置はそこに存在しない。通路の真ん中に手すりなど、ある筈もない。
つまる所、ここは暴風に晒されながら50メートル走をしないといけない空中回廊。高所恐怖症の人間は、まず走る走らない云々の問題よりも先にその場で足が竦んで動けなくなると思われる。
「って待て待てぇ!?カリ●ストロの城の空中牢獄みたいな部屋で軟禁されてたのオレ!!?」
よく見ると、闘技場の建つ場所とこの通路は陸続き。そして敢えて見ないようにしていた左右の景色は、夜色に染まった白い雲の海。“ヤツヨ”と顔を合わせるクリーム色の雲海を、どこか彷彿とさせる幻想的な景色だ。
真っ逆さまに落ちれば、地上ウン百メートルはくだらないであろう命綱なしスカイダイビングを強制執行しなければならない罰ゲーム付の全力疾走など、誰が付き合うものか。オレの足だけじゃなく、身体そのものが扉の中に引き返したくなるのも道理だろう。…ソレイユに首根っこを掴まれていなければ、道理が現実になっていたかもしれない。
「戻るんじゃないわよ。…アンタ、もしかして高い所は苦手?」
「そうだよ苦手だよ!何で建物が雲の上にあるんだよラ●ュタかよここは!?」
悪いな親父、お袋。熱い想いも眼差しも、悪いが今は役立ちそうにない。オレの絶叫に似た訴えを何一つ肯定してくれず、溜息をつくソレイユのジトっとした表情がその証拠だ。
…そりゃ忍者なら建物の屋根を渡るくらいの芸当できるだろうけどさぁ、オレただの一般人よ?マグマやら空の上を軽々とジャンプで渡っていく配工管のオジサン兄弟のような度胸は無いんだよ??
「良いから行くわよ、ここに居残るって泣き言を抜かすならアンタの顔蹴り潰してあげる」
「優しさはどこに置いてきたんだメイド忍者ァ!」
ーー数分後。空中回廊にはギャアギャアと喚く男と、その片脚を無造作に掴んでのしのしと歩く有言実行系のメイドの姿があった。
メイド「落とすな?上下ひっくり返すな?だったら引き摺るのは良いのよね?」
主人公「(脚を極められて声にならない悲鳴)」
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●ペンギンのようなカンテラたち2
前話の続き、では魔力を持つ夢世界の人間から見た主人公君を取り囲んでいたカンテラたちの正体はどうなの?という疑問です。
答えは「監視カメラ兼ソレイユ特化の恩恵封じ」。カンテラの目はカメラの向いている方向、カンテラの灯りは影の方向を強制的に向ける罠となります。罠と言う以上、影を一箇所に固めて影に潜ったソレイユの身動きを取れなくする・影に潜っていなくても強制的にソレイユの影を照らしてその場に縫い付ける機能も完備です。嫌らしさの権化。
更には自走できるというスグレモノ。主人公君が部屋から出る時にカンテラの配置が少しだけ変わっている設定なのですが、これはカメラが機能しなくなったカンテラたちが態勢を立て直そうとして動いている為です。
ソレイユからしたら1秒でも早くその場を後にしたい機能を搭載していますが、一体誰がこんな危ないものを設置したのでしょうね?
●空中に浮く闘技場
雲海よりも高度に位置する謎建築…ここが主人公君たちを虐めた天使の主の根城ね!
超高度に位置するこの建物ですが、何故か主人公君たちは自由に呼吸ができる様子。大丈夫?血の中の酸素濃度測る?
●高所恐怖症な主人公君
床がガラス張りになっている所は絶対に歩けない人です。想像力豊かにあれこれ考えてしまうようで、強制的に思考潜航するので高い場所には連れていかない方が良いでしょう。
…ところで。前章といい今章といい、夢世界の住人たちは何故高い所に主人公君を置きたがるのでしょうね。もしかしなくても主人公君、誰かの助けを待つお姫様役に憧れていたりします?




