第4章19「その贈り物、角落厳禁・天地無用につき1」
歳を重ねると覚醒が早くなるのは周知の事実だが、中学生と老人の平均的な睡眠時間は2時間も差がある…と、とある統計で見た事がある。それによれば、ちょうどオレのような30を超えたオッサンの睡眠時間は、その過渡期にあるらしい。
道理で最近、設定したアラームより早くに起きる事が多くなった訳だ。真冬の暗い時間に起きてしまった時の絶望感は推して知るべし。布団の温もりに負けるな、寝たら死ぬぞ!…え?それは雪山遭難した時の台詞?若いの、社会人的に遅刻は死と同義なのだよ…。
だが嘆くなアラサー以上の企業戦士たち、睡眠は量より質なのだ。睡眠時間が長ければ良いというものではない、ちゃんと脳が休まるリズムを作る事が肝要なのだーー。
そんな10分程度で終わる出し物の癖に、15席程度のパイプ椅子が全て埋まり立見客まで現れる程に盛況し、会場中の視線を一身に受け止めて顔が引き攣っていた苦い現実の記憶をふと思い出した。
資格の更新の為とはいえ、人前に立つ事が不得手なオレがよくもまぁ謎講演なんか引き受けたものだと、貧乏くじを引かされた当時のオレに小言を並べながら目を覚ます。
「ここ、は…?」
知らない壁、知らない調度品に囲まれた、中世の貴族様が暮らす屋敷の客間…みたいな場所だ。フローア村の教会と似た造りをしている気がするが、あちらよりも調度品が豪勢で、違う意味で心が落ち着かない。
現実から目を逸らすように窓の外を眺めると、既に日が落ちた後だからか漆黒の空に星が瞬いているのが見える。残念ながら趣のありそうな星明かりは部屋の照明にならず、その代わりに風情のない悪趣味なペンギンのような生物の形をしたカンテラがあちこちに置かれ、暖色の灯火で部屋の内側から照らしていた。
眼の部分からも光が漏れるように作られている為か、見た目のインパクトが強い。その内の一体がこちらを直接睥睨するように置かれているのは一種のホラー演出だよな…と、思わず身構えてしまう。
(何も、ない?ただの置き物…で良いんだよ、な。突然動きだしたりするなよ…?)
暫く身構えても何も起こらない事を確認し、恐る恐るそのカンテラの置いてある棚まで手を伸ばそうとしてーー徐々に身体が白いシーツに溺れていく。
「うわっ、柔らか…!」
どうやらオレの寝かされていたベッドは相当に品質の良いものらしい。そこらのホテルで泊まるよりも肌触りの良いシーツが、かけられていた布団が、オレをその場から脱出させない心地よい沼地となっている。
かなり気を張らないと硬い床まで足が伸びないし、ふかふか地帯が柔らかすぎて腰を痛めてしまいそうだ。かと言って、悪趣味なカンテラたちの光量を調整するにはこの沼ベッドを泳いで岸まで辿り着く必要がある。
…成程、これが新しい拷問ーーふかふか地獄か。もしかしてあの教会の牢屋、この拷問を模倣したかったのだろうか。だとしたらお粗末だと言わざるを得ない。
むしろ質の良い豪華牢屋と化しているので、逆にお金を積んででも泊まりたい人間は現代ならいくらでも居そうだと、改めて思い直した。
「くっ。この、やろ…!」
手足をクロールの要領で何度も動かすという、誰かに見られていたら恥ずかしさのあまり憤死しそうな醜態を晒しながら。ようやく岸まで辿り着いたオレは、手近にあった謎形状の陶器を手に取って眺めまわした。
ペンギンのような生物と先ほど表現したが、よく見るとお腹に相当する場所が抉れており、窪んだその場所に灯りとなる火を置く事ができる仕組みだ。幼い頃に灯りをつける事で影絵となる、オルゴール付の陶器の照明を買ってもらった事があったが…それと似た仕組みだろうか。
(だからって、ペンギンに似せて作らなくても良くないか…?)
およそ悪趣味なオブジェにしか見えないが、これが部屋を照らす唯一の光源(とはいえ他にも同じカンテラはあるが)である以上は無闇に壊す訳にもいくまい。
そもそも電源の切替ボタンは現代の常識だ。この夢世界にも同じものがあるとは思えないし、パッと見たところ起動のオンオフを切り替えられそうな仕掛けも無い。ならば弄り倒して壊さない内に、大人しく元にあった場所に戻しておくしかない。
…それにしたって、燃える素材の近くに火を置くなんてどうかしている。何かの拍子に倒れてベッドに燃え移ったら大事じゃないか、主に寝かされていたオレが焼け死ぬから止めてくれーーあッ!しまった他所事を考えていたら火に指を突っ込んだ…!!
(あれ、熱くない?)
流石に火傷を覚悟したが、意外にもオレの指を焼く嫌な痛みと臭いは無い。むしろカンデラの窪みの中は、触れる事そのものを躊躇わせるような熱すら感じない。
それなのに照明としての機能は備わっているという、現代世界の物理法則をぶち破っている代物がここに。流石は夢世界、法則を捻じ曲げるのはお手の物かよチクショウ。知ってたけども。
けれど…だからと言って、同じ部屋に似たカンテラを何個も置いておく必要はない。むしろ外観の主張が激しすぎて目の毒だ。可能であれば目につかない場所に移動させたい。
見るからに気味の悪いこのペンギンチックな置き物は陶器である以上、縫いぐるみのように隣り合わせたり、積み重ねて何個も置くような事はしない筈だ。置き物同士がぶつかって割れる可能性だってある、オレだったらこんな勿体ない使い方はしたくない。
(だったら、単なる装飾じゃないって事か?だとしたら…何の為にこんな置き方をしているんだ?)
何となく他のカンテラにも視線が移り、インテリアとして置くにしては異常な数のそれらを眺め回す。
過去、無料で遊べるゲームが席巻していた頃に触れたホラー物で、こんな置き物もあったなと思い出した。巨大な額縁から飛び出す怪物が完全に外に出てくるより前に鍵を見つけなければならない、緊張感と恐怖心を煽る良い演出だったな。何度あの怪物に襲われた事か。
ーー閑話休題。一番に考えられるのは、影纏いの恩恵を持つソレイユ対策…だろうか。だとしても過剰防衛すぎやしないかと、思わず溜息が漏れる。
確かに影がある場所ならどこでも移動できそうなソレイユの恩恵だが、ソレイユがオレを攫う理由が思い当たらない。攫われるよりも「アンタ、こんな所で何のんきに寝てるのよ!」と踵を落とされそうな予感がする。…足袋の跡、顔に付いていないよな?
では他に何が考えられるかと言われれば…部屋の仕掛けの種である事くらいか。くまなく部屋を探せばそれらしい謎も出てくるかもしれないが、気味の悪い置き物を何度も調べる度胸はオレにはない。
それに…ずっとこのカンテラを眺めていると、嫌な感情が沸々と呼び起こされそうだ。どこを見てもこちらを監視されているようで落ち着かない。
思わず天を仰いで眩暈と頭痛を抑えようとし…そこで更なる異常に気が付いた。
「…え?」
「あ」
夜を思わせる昏い青紫を基調としたメイド服を身に纏った銀髪の少女が、天井に張り付いている。
ヘッドドレスと胸元から重力に沿って垂れている、主張の控えめな黄色いヒラリとしたリボンはおろか。お腹に薔薇の留め具を二輪、黄色く咲かせている可愛らしいデザインにも目が行きがちだが、オレの視線はそこに引かれなかった。
七分袖のドレススカートから伸びる腕、しかし鍛えている事が解る白い肌の先には、細身の少女が身に着けるにしては威圧的な穴あき手袋が嵌められている。人を殴る事を想定しているような手にはバンテージの如く白い包帯が巻かれており、レイラさんと同じく相手を徒手空拳で制圧できるという自信が窺える。
まるで忍者のような身のこなし、得意としていそうな脚技を披露しても中が見えないよう黒いタイツを穿いたその少女は、こちらと視線がかち合うと目元を小さく引き攣らせる。見慣れた忍者衣装をどこに脱ぎ捨ててしまったのかは気になるが、後で問い詰めれば良い話題なので今はスルー。
…それよりも何か言いたげな表情だな、オイ。だが先手はこちらがもらう。
「ギャー!?天井にア●ソックー!?」
〈ちょっ、叫ぶな!…ってちょっと待って、その反応絶対アタシの事を馬鹿にしたでしょアンタ!?〉
●突然睡眠に対して熱く語るな
えぇ全くです。聞き齧った程度の知識しかないのに満員御礼になる程に集まったプチ講義にも問題があるというものです。主人公君に自尊心を与えてはいけません、調子に乗ります。
けれども内容はそこそこ真実。皆様、睡眠は量より質です。寝溜めはあまり良くないらしいですよ。朝起きたら日光を浴びるのです。
●ペンギンのようなカンテラたち1
主人公君のように、何の知識も魔力もない人間が見ればただの置き物です。
灯りがあって、それでいて間違って指を灯りに突っ込んでも火傷しない万能カンテラ。見た目の可愛らしさ?も相俟って視線が合うとキュン??とするとかしないとか。是非魔力を通して使ってみてください。
…そんな愛くるしいカンテラですが、魔力を持つ人間にはどう見えるのか。その答えは次話の解説にて。
●天井にアル●ックー!!
霊長類最強が壁に張り付いて視ているコマーシャルがとても印象的でしたよねぇ(現実逃避)。
でもメイド服姿の美少女が監視してくれるのならいっか…と、再び布団に潜ると容赦なく踵が落とされます。刺激し過ぎるのは止めましょう。
ちなみにソレイユが天井に張り付くこのイベントは、第2章11で「ソレイユを助ける」と約束しないと起こりません。もしソレイユを該当章で助けなかった場合、自力で主人公君は部屋から脱出する事になります。




