第1章09「フローア村の決闘3」
件の教会は村の中心部にあるらしく、村の入口からも頭だけは見えているほどの大きな建物なのだという。おかげで地図がなければ秒で迷子になるオレでも、簡単に目的地へ辿り着く事ができた。
「着きました。ここですね」
まずオレが初めに感じたのは、丈夫そうな建物だな、という変哲のない感想だ。その敷地の広さもさる事ながら、周囲の住居と比べてしっかりとした造りになっている。石造りの教会とか、なかなか洒落た設定を考えるじゃないかオレ。
ところで建物の在り方というのは、その地域の力関係にも影響している事が多い。例えば、王都のように人の往来が多い大きな街には、領主の屋敷のように華美で大仰な建物らが軒を連ね、逆に大都市から遠く離れた集落では、必要最低限の設備のみで構成された質素な家屋がポツポツと建っていたりするのだ。この辺りは、どこの世界でも不変のルールらしい。
そしてこの村の場合も、当然ながら後者だ。ただしその中に異質な物…教会が在る事で、周囲の建物との雰囲気がどうしてもチグハグしまっている。そんな違和感をおしてまで建てたい理由があるという事は、つまりーー。
(この村で『最も重きを置いている』もの、か。…正直二度目は、無いかなぁ)
村全体が推し出すものは、すなわちその「上」にも影響があるもの。言っては何だが、こんな辺鄙な村にも立派に建っているのだ、教会には相当の力があると思って良いだろう。
当然と言えば当然なのかもしれないが、国の中枢を担っていたレイラさんにとって、この施設ほど安心感を覚える場所はないのかもしれない。逆に言えば、他に安心できる場所を知らない…身寄りがないとも言える。そんなレイラさんの背景が垣間見えたようで、オッサンとしては少し寂しい気がした。
「それでは、一部屋お借りできるかどうか聞いてみますね。カケル様もよろしければ中へ」
「ありがとうございます」
教会の扉をくぐり、レイラさん先導の元でいざ建物の中へ。オレ自身はただレイラさんの格闘無双を観戦していただけなのだが、気疲れなのか物凄く身体が重く感じる。今日はここで一泊できれば良いのだが…。
そんな考えを巡らせていたオレの視界に広がるのは、ある種オレの想像通りの景色だった。正面にはステンドグラスがあり、夕日が暗い室内を仄かに照らしている。奥に鎮座しているのは…女神像だろうか。ちょうど逆光の所為で細部までは見えないものの、目を細めて見えた限りでは、慈愛に満ちた微笑みを浮かべる姿を象っているようだ。
その女神像の前で、祈る老人が一人。お祈りの邪魔をするのも悪いと思い、静かにその姿をオレたちは見つめていた。
(レイラさん、あの人がこの教会の司祭様?で良いんですかーーって)
レイラさんにそっと耳打ちしようとするが、当のレイラさんもお祈りモードに入っているようだ。仕方ない、ここは大人しく待つ事にしよう。
『話相手が欲しいならボクでも良いじゃないか。イジワルな事をするねぇキミも』
(「うっせぇ。事情に詳しそうな人に聞いてるんだ、今はアンタが出る幕じゃねぇよ」)
『そうか、キミは一人で寂しく見守るボクの心の隙間を埋めてはくれないのか。それはそれで哀しい、よよよ…』
(「嘘泣き下手か。良いから黙っててくれ、後でアンタの話は聞くから)
『…意中の異性の気を引く駆け引きの練習かい?それは構わないが、ボクには生憎心に決めたーー』
(「いい加減お口チャックの時間だゴルァ!!」)
この女神、突然惚気出しやがって!謝れ!全世界の非モテ野郎たちに謝れ!!
『いやいや、こうしていないとキミ、今にも気が狂うんじゃないかって心配でね。…目や鼻が利かないのなら、なおの事』
(「……?」)
女神様の言葉の意図が伝わらず、怪訝な表情を隠せない。この教会に、一体何があると言うんだ。
「…何やら騒がしいと思ってはおりましたが、随分賑やかなお連れ様ですな、レイラ殿」
そんな駄女神との茶番がまるで聴こえていたかのように、老人がゆっくりとこちらへと振り返る。
改めて見ると、その老人は紺色の司祭服にストールを掛けており、白髪交じり黒髪オールバックと、主張が控えめな髭が特徴的な人物だった。その表情はとても穏やかで、まるで外で起こった暴力沙汰とは無縁そうな優しい眼差しをしている。
…その眼差しを見た瞬間、何故だかオレの身体から酷い拒絶反応を示した。心臓の鼓動がうるさく耳を打ち続け、脂汗が滲んで止まらない。後にこの記憶を思い返した時、それが恐怖という感情なのだと覚える事になるだろう。
(なんで、そんな表情が、できるんだ、この人…)
表情から人間は、情報を読み取る事がある。額に皺が寄っていれば怒りを、目尻が下がっていれば喜びをイメージするだろう。一口に表情と言った時、人間は眼の周囲をよく観察するのだ。ただし個人差はあります。
では、口元はどうだろう。仕草はどうだろう。口角がつり上がっていないだろうか。話をしている内容と食い違う仕草をしていないだろうか。人は、他者に隠したい感情がある時に、その感情が表に出ないように隠そうとする。その癖は、無意識下で表れるものだ。
例えば、目の前の司祭の表情。目尻は下がっているが、口角は僅かに上がり…一瞬で下げた。その一連の動作で、何を思っているのかは容易に想像がつくというもの。
だが、オレにできたのは想像までだった。突然、鼻を突いてくるような異臭に顔を顰める。発生源を確かめようと、視線を巡らせーー。
「お久しぶりですファルス司祭、少し見ない間に背が縮みましたか?」
オレなりに組み立てていた最悪の考察を遮るように、レイラさんはこちらの視線を遮るように静かに立ち上がる。…まるで、その発生源を目の当たりにしてほしくないと言わんばかりに。
だが皮肉な事に、レイラさんが立ち上がった事でステンドグラス越しの眩しい夕日が逆光となり、光量が抑えられた事で今まで気付かなかったものが目に映る。真っ赤な戦化粧を滴らせる、女神像の姿を。
「あ、あぁ…」
幼少の頃から鼻の詰まりをよく悩んでいたが、まさかここまで嗅覚音痴だったとは思わなかったと…いやむしろ、嗅覚音痴で良かったと思う事はないだろう。だが、ひとたび認識してしまえば音痴だろうと関係はない。オレの無意識下で燻っていた恐怖の蕾が、大きく全身に開花した。
我ながら情けない声を出している。…無理もない。いくらゲームや漫画、ドラマで知っていたとしても。正確にはつい先ほど、食事の際にレイラさんが実物を見せてくれていたのだが、ヒトの「それ」をこの目で見るのは、これが初めてだったのだから。
「背が縮むとはまた奇怪な事を仰る。司祭たる儂が何者かに呪われていると?」
「おや、それは失礼しました。…ところでファルス司祭、外の様子はご存知でしょうか」
オレの怯え切った声を皮切りに、レイラさんの語気が徐々に険しくなっていくのが解る。まるで、誰が黒幕かが判っているかのように。
「何か、ありましたかな?」
「先程賊に襲われまして。幸い撃退する事はできましたが、ここの治安は問題ないのかと心配でして」
「それは災難でしたな。困ったもので、つい最近も隣村が賊によって荒らされたと聞きます。しかしご安心召されよ、この村は平和そのものです」
「…誰も、村民がいないのにですか?」
棘だらけの言葉のやり取りの間にも、レイラさんは拳を構え、ファルスと呼ばれた老司祭は書物を携え、二人は互いの距離を計っていた。正確には、オレに攻撃が当たらないよう…老司祭と視線を合わせないよう、レイラさんが壁になってくれていた。
「はて、おかしな事を仰いますなレイラ殿は」
その書物が、バラバラと音を立てて捲られていく。建物の中は無風、その書物が音を立てているのだとしたら、それは力がそれに籠められ始めたからだろう。触媒が良いのか、または老司祭の技術が優れているのか、その捲れる音が激しくなってきた頃。
「奥の部屋で、皆揃ってお待ちしておりますとも。お二方も、いかがですかな?」
そんな老司祭の言葉と共に。オレの悲鳴に似た拒絶の絶叫が、教会を響かせた。
●フローア村にある教会
元々あった周囲の木造の家屋群の中心、そこに鎮座する石造りの教会。月の国、太陽の国の停戦協定を結ぶ際に建てられたもので、その後凄惨な事件の舞台となるとは露も知らず、当時の人々には快く受け入れられ、毎日のように通う者も居たという。
この異世界において教会は、月の国・太陽の国どちらにとっても神聖な場として強い意味を持っている。その為、停戦協定を結ぶ場としてこのフローア村が選ばれた際は、小さかった村の教会を取り壊し、新しく大きく村の中心に建て直した程。周囲の木造家屋と石造りの教会という対比は、当時の住人たちの信仰心の高さを表している。
正式名は「クライムハート教会」。現実にあったら、それとは全く関係のない名称となります。
名前の通り「心の罪」の教会ですが、一帯誰の心の罪なのかーー?
●ファルス司祭
『王族謀殺』事件の際、レイラと共にフローア村に派遣された老司祭。温和で野心を抱くような性格ではない事から、最年少で賢者の位を戴いたレイラの補佐役としても付き従っていた。レイラ自身も、信頼のおける人物として評価していた。
『王族謀殺』事件を命からがら逃げ延びた、貴重な生き証人でもある。
●Q:この村の住人…どこに行った?
A:勘の良いガキは(ry
『王族謀殺』事件以降、ファルスに逆らう者・意見する者を懺悔室に一人ずつ連れていき、処断する事があった。一人、また一人と繰り返す内に村民たちも彼を糾弾し、反抗した。そして全員…。
レイラはこの悪評を耳にし、真偽を確かめる為に逃亡中の身でありながらフローア村へ訪問する事を決めた…という背景がある。




