第4章13「月下の密談2」
軟体生物が教会の礼拝堂を離れてから10分、その音たちは衝撃と共に突如礼拝堂内を突き上げた。
「ーー!ーーーー!!」
「ーーー、ーーー!!」
協い奏でているのは、まるで裸を見られたかのような見事な悲鳴と、調度品を手当たり次第に破壊する音。オレの耳には階下の破壊音しか聞こえないのだが、レイラさんには会話までしっかり聞こえているらしい。…その内容は敢えて聞かない事にしよう。
ただでさえ音を反響させやすい教会内、思わず耳を塞ぎたくなるこの協奏は一度だけでは済まなかった。すばしっこい何かを叩き落さんとしているのか、それとも叩き落した何かを執拗に叩いているのか、あるいはその両方か。
レイラさんは礼拝堂から動かないので大した戦闘ではないのかもしれないが、正直ほぼ真上で何度も衝撃を突き上げられる身にもなってほしい。一種のひきつけを起こしているような錯覚に陥ってしまうじゃないか。
それどころか、時折床からミシリとヒビが入る幻聴まで協奏に混ざる始末だ。心臓に悪い、の一言で済ませて良い話じゃない。…この教会、強度は大丈夫ですか?
「折角の心地良いひと時でしたのに、水を差すなんて酷い方々です」
「そんな軽く流して良いんですかレイラさん!?」
もっと違う心配があるでしょう!?と思わず視線を送ってしまうオレだが、しかしレイラさんの視線は普段のものと何も変わらない。こ、これだから戦闘慣れしている人は…。
(いい加減に胃薬が欲しくなってきたぞチクショウ…)
思わず口から本音が漏れそうになった瞬間、一際強い衝撃がオレたちを突き上げた。思わず宙を浮かぶオレの身体を、微動だにしないレイラさんが片腕だけで抑え込む。
…体重の重いオレより明らかに身軽そうなレイラさんが全く宙に浮かないって、武道を極めた人なら有り得るのか?そんな事を考えていたら、追い打ちの衝撃が更にオレの身体を突き上げる。
「おっと、危ないですよカケル様。それと舌を噛まないようご注意を。暫くこのやり取りは続きそうですから」
恐怖と驚きのあまり身体が滑り落ちそうだったオレを改めて片腕で支えながら、レイラさんが溜息を漏らす。その表情は変わらない笑顔だったが、何故か膝に尚も乗せられている小動物は小刻みに震えていた。
オレの髪を尚も優しく撫で続けるレイラさんの手が恐ろしく感じる。夏のスイカ割りよろしく頭が割られそうような錯覚、と言えば今のオレの心境を理解してもらえるだろうか。加減を誤って撫でる手が握り拳にならない事を祈るばかりだ。
早く帰ってこいあの軟体生物、早鐘を打っているオレの心臓はもう限界だ。プリシラを呼ぶだけなのにどうして戦闘なんかしているんだよチクショウ…。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
始まりがあれば終わりがあるのは必定だ。思いのほか階下のやり取りは長く続いたが、ようやく衝撃が襲ってこなくなったのを見計らって、オレはレイラさんの膝から解放してもらった。
名残惜しそうにされても、恥ずかしいものは恥ずかしい。女性慣れしていないオレからしてみれば、脚というデリケートな部分に触れるだけでも気が気でないのだ。
レイラさんの衣装がロングスカートだった事は不幸中の幸い、これがプリシラのようなミニスカートだったら思わず笑顔が引き攣った事だろう。直に体温と質感が伝わるのは男の感情を酷く揺さぶるのだ、それは良くない。
イエスウォッチ、ノータッチの精神で今後も精進したい。覗き見したいという意味では勿論ないぞ、犯罪はダメ絶対。
夜の月明かりに照らされ、ステンドグラスが優美に煌めく礼拝堂を改めて見て回る。幾度と突き上げてくれた衝撃で、床が抜けていないか確認する為だ。
壁や床、扉は勿論の事、祀られていた像や祭壇とオレの目の届く範囲で見て周っていく。それを3歩ほど下がった位置で常にレイラさんが付いてくる。セキュリティはバッチリ、不意打ちも今ならドンと来いだ。
だが意外にも激しい損傷はそこまで見受けられない。
考えすぎたのかもしれない、そう思って会衆席に座ろうとした時…足元でガラリと音を立てた。思わずその場で硬直するオレの顔は引き攣り、心臓の熱は急激に下がっていく。
「は、はは…。うわぁ…」
視線だけを下に落とし、会衆席の下にある隠し通路の出入り口がひび割れているのを見つけた。やはりオレの幻聴は気のせいではなかったらしい。
恐らく、この入口はもう使えないだろう。位置は…真ん中の牢屋か。中の通路も恐らく崩壊寸前、仮に通れたとしても一度きりの決死行になるだろう事はオレが語るまでもない。
「危ないのでこれ以上近づかないでくださいね」とレイラさんが手を取り安全な床まで引いてくれたが、それがなければ何をしたら良いのか分からず崩壊するまでその場に座っていたかもしれない。
「ありがとうございます」とレイラさんに頭を下げた所で、ようやく外に出ていた軟体生物が礼拝堂に戻ってきた。…何故か、見るからに不機嫌なプリシラの小さな手に鷲掴みにされているようだが。
「ふぁかはい、ふぇはひたはらふぁおひへ」
「嫌です。そもそも自業自得ですし、甘んじて受け入れてください」
満面の笑みで“悪魔”の言葉を拒否する聖職者の鏡がそこにあった。この鉄の心は是非とも現実世界でも見習いたい。
というより、初っ端から何を言っているのか分からない。入れ歯を無くした爺ちゃんかコイツは。レイラさん、よく今の言葉分かりましたね…。
鷲掴みにされている“悪魔”が、無造作に棄てられる。顔面から着地し、「ぶべっ」と情けない声が漏れた。
…明日は我が身、特にソレイユ辺りは容赦なくやり兼ねない。中学時代の柔道の受け身の授業、しっかり受けておくべきだったな。
「なふぁけお…しひをくらはい…」
「貴方様に魔力を回すくらいなら、カケル様のお怪我を浄化する為に使います」
どうやら散々殴られた後らしく、人間の顔であれば鼻血が垂れていてもおかしくない程に表情が崩壊している。よく見れば、プリシラの拳に軟体生物の残骸のような粘着質な液体がくっついているではないか。
風の刀に斬られた拳や身体はすっかり元通りらしい。レイラさんが浄化した事もあって、こちらは少女の珠の肌に傷一つすら残していない完璧な仕事っぷりだ。これは軟体生物が待遇の差に文句を言うのも止む無しか…。
というより、軟体生物なのにどうして普通に打撃属性が効いてるんだ。そもそも悪魔を自称するなら浄化と冠する治療をしてもらおうなんて考えるなよ。本当に死んでも知らねぇぞ…。
「ふぉほお、なむほか…」
「そういえば先ほど、プリシラ様たちが暴れた所為でカケル様が階下に落ちそうになりました。浄化に魔力は回せませんが、制裁には魔力を回しても良いかもしれません…えぇ今そう思いました」
しかし食い下がる“悪魔”に、レイラさんが笑顔のまま拳を力強く開閉する。手袋までしっかり嵌め直す徹底ぶりに、思わずオレの背筋が伸びた。
確かにオレは落ちそうになった、嘘は言っていない。だからと言ってあまりに理不尽が過ぎるのでは?と流石に口を出そうとしたが、タイミング悪く軟体生物は諦めてしまったらしい。
浄化してもらえないのならこのまま話をしようって事だろうか。話せない状態なら無理に話すな、後でちゃんと聞くから!…どうせどこかで盗み聞きしているだろう駄女神様からな!
「ふぉれへはぁ、ふぁかふぁいのふぁなふぃふぉふぁふぃめるぅ」
「…『それでは、わがはいのはなしをはじめる』だって」
本当に話し始めたよこの死に体の“悪魔”。プリシラも暴れた事に負い目を感じているのか、翻訳係に徹してしまっている。
思わずレイラさんを責めるような視線を送ってしまったが、「わ、私は悪くありません!悪いのは教会を壊そうとしたお二方なのです!」と反論されてしまった。
…仕方ない、話を聞こう。これが何も仕事をしていないオレに今できる、最大の仕事だ。
●所々、何を言っているのか分からない場所があるんですけど!?
そんな方の為に翻訳バージョンを用意しました!それぞれ作中の読めない・読みにくい内容は次の通りとなります。
・ページ最上部、地下の協奏音
「ーー!ーーーー!!」(この!よけるな!!)
「ーーー、ーーー!!」(おヌシ、助けて!!)
・“悪魔”再登場時の台詞
「ふぁかはい、ふぇはひたはらふぁおひへ」(吾輩、怪我したから治して)
「なふぁけお…しひをくらはい…」(情けを…慈悲をください…)
「ふぉほお、なむほか…」(そこを、なんとか…)
●突き上がる衝撃の正体
プリシラが“悪魔”をモグラ叩きの刑にしている為の衝撃でした。
地下牢と言えども一つの部屋。浄化の為に血塗れの服をずっと着っぱなしにする訳にはいきません。幸い、替えの服(全く同じ衣装)を何着か持ち合わせていたようなのでそれに着替えていたようです。
…まぁ、お察しいただけたかと思いますが、その現場を覗き見てしまったのでしょう。「助けて!」と言ってもヒロインちゃんが全く反応しなかったのはこの経緯があるからですね。反省してください。
●普通、ひび割れた床が近くにある所で座るような事しなくないです?
ところが人間、常あらざる事が続くと「常識」を失いがちです。もう少し噛み砕いて言えば、危険を危険と思えなくなります。
今回はその中でも「大丈夫、まだ壊れないって」と常識のブレーキが壊れている状態となっています。勿論、ヒロインちゃんが傍にいなかったら真っ逆さまに地下に落ちて大怪我を負いますし、久々のBad End Log送りとなります。
…時折、常識を振り返る時間を取りましょう。訓練・練習は真剣に取り組むべし、ですよ。




