第4章10「脱走者からの歓待4」
脊椎動物の首ほど生命活動に大事な場所はない。人間の身体構造を考えればそれは一目瞭然だ。頸椎と呼ばれる脊柱管や脊髄といった重要な神経節が通り、脳からの指令が送られる中枢があるからだ。
そんな生命のパイプを断ち切られたにも関わらず、女は平然と嗤い続けていた。あろう事か、落とされた首を接合し…何事もなかったかのように動き始めている。
「あいつ、首無し騎士か何かかよ…!?」
“悪魔”が飛び出た血をほぼ受け止めてくれたのだろうか。幸いにも地面を赤く汚す事はなかったが、折角の和装束が血の雨に打たれたように汚れてしまっている。ゾンビやらのホラー要素に耐性はないので、気を張っていなければ今頃卒倒していた事だろう。
そもそも、目の前で死人が動くという衝撃的な光景を目の当たりにして、平静を保っていられる現代人はいないと思いたい。映画やゲームで恐怖の耐性を鍛えた所で、本当の命の危機に勝る恐怖はないのだから。
「キサマらも、この快感…味わってみるがいい!!」
「…ッ!」
瞬間、オレたちの眼前に嵐の形をした女が現れた。
顔には狂気に歪んだ笑みを張り付け、弧を描くように突き刺してくる手刀。接近された事でより強調される鉄の臭いが、より恐怖を心に沁み込ませていく。
たった一度の跳躍で、格闘戦ができる程に距離を詰めてくるとは思わなかった。プリシラも同様だったらしく、迎撃の為の水を纏う時間すらもらえない。
「おヌシたち、少し気を抜き過ぎじゃない?」
絶望的な一撃が見舞われる距離感、その間に割って入ったのは“悪魔”の壁。再び全てを呑み込まんと口を広げて待ち構えていた。
どう足掻いても避けようのない罠に対し、女はただ予定調和のように手刀を突き出しーー罠を貫いてみせた。
「嘘ぉ!?吾輩自慢の我儘ボディがぁ!」
身体を裂かれ、嘆くように声を上げる最速出オチの“悪魔”。その惜しくもない犠牲のお陰でほんの僅かに稼げだ時間は、プリシラに反撃する準備を与えてくれた。
水を拳に纏い、過剰に溢れている女の魔力を削がんとカウンターの構えを取る。手刀の軌道さえ分かれば、拳の威力が最大爆発するタイミングで繰り出すだけ。仮にタイミングがズレたとしても、恩恵によって魔力を奪う事は可能だーー。
「って、自動人形相手にまともに戦おうとするんじゃない嬢ちゃん!とにかく防御、可能なら回避だ!間違っても反撃しようだなんて考えるんじゃ」
ないと“悪魔”が慌てて言い切るより先に、二人の拳と手刀が交わる。その結果は、素人が見ても明らかだった。
急造で纏った武装は悉く手刀に斬り裂かれ、剥き出しになってしまったプリシラの拳からは打撃音ではなく肉を斬る嫌な音がする。
悲鳴が上がったのがどちらかなんて、言うまでもない。
「ぁあッ!!…っぐ、ぅぅ」
「妾の前で我慢とは無粋な…。その痛みと怒りを享受するのじゃ。その奥にある安らぎを愛するのじゃ。死への絶望を恐れず、心を委ねるのじゃ」
戦闘のできないオレの代わりに身体を張ってくれるプリシラから、おびただしい量の血が拳から流れ出ている。痛々しく表情を歪める彼女の姿を黙って見守る事しかできない、オレの力の無さが腹立たしい。
それでも、プリシラの腕ごと嵐処女に斬り飛ばされなかったのは幸いだった。壮絶な展開と見るに堪えない情報の連続に意識がクラクラするのに、人体切断まで追加されたらオレの精神許容量を振り切ってしまう。
「生きる楔から解き放たれた先にある光こそ救済ッ!何故この快感が分からないのじゃ!!」
「…っ!」
女の手刀が、一段と強く吹き荒れる。どうにか動かせる腕を使って必死に防御を固める満身創痍なプリシラは、致命傷をこれ以上増やさないように耐える事で必死だ。
このままではプリシラが殺されてしまう。たとえここが夢世界であったとしても、知り合った仲が殺されるのは嫌だ。
何かないのか? アクリス村の時と同じように誰かへ助けを求めるか、いや都合よくレイラさんが急に現れるような奇跡は期待してはいけない。でも、この最悪な状況を一手で覆すには鬼札以外の選択肢が思いつかないーー。
「もしかしておヌシたち…。自動人形には処理方法があるって話、“女帝”から聞いていない?」
「そんな処理方法があるとか、戦闘素人のオレにあの駄女神が話をしてくれるとでも!?」
判別方法も後出しで振ってくるような畜生だぞ、教えてもらっている訳ないだろうが!?というより、なんで“悪魔”が自動人形の事を知っているんだよチクショウ!?
手刀の袈裟斬りを受け続けるプリシラだって、自動人形の事は恐らく知らないだろう。知っていれば対処法を間違えるような事はしない筈だ。
そもそもあの女が自動人形だって話だが、オレだって今言われるまで影がない事にも気がつかなかったのだから、前線に立つ彼女にはいの一番に教えておいてほしかったんだけどなぁ!?
「おヌシ、真面目にもう一度聞くぞ。…“女帝”から自動人形の処理方法について、話を聞いていないのだな?」
「あぁそうだよ、聞いてないよ!レイラさんも知らない筈だ!」
何もできない自分への苛立ちもあり、つい必要以上に声を荒げてしまう。
それが、“悪魔”の眼を鋭くさせた。何に対して、という疑問は浮かばなかった。ただその眼は、オレの中で燃えて纏わりついていた怒りの感情を鎮めるのに1秒もかからない。
「そうか、分かった。ではガヤ役は一旦お預けだ、ここは吾輩が自動人形討伐の手本を見せようではないか」
「ガヤ役を頼んだ覚えは一切ないんだが?」
思わず突っ込んでしまったけど、一体この”悪魔”がどうやってあの女を倒すのかは気になる。
というより今にもプリシラが殺されてしまいそうだから早く助けてあげて!?
「「では本体よ、合体するぞ!」」
うわ、プリシラに首?を折られて突っ伏してたウマもどきスライムが喋った!というか分身?共々同時にこっち向きながら喋るんじゃねぇ、絶妙な声の高低差とムカツク表情で頭がおかしくなりそうだチクショウ!
それと戦隊モノには全く明るくないけど、合体するなら最初からしておいてくれよ! 悠長な事している暇はないって解らないのかコノヤロウ!?
「「とりゃぁあああ!!」」
「ってオレに飛び掛かるんじゃねぇがぼぼぼぼ」
スライム2匹に絡まれ、逃げ場を失ってしまったオレの意識が急激に遠のいていく。だが何度も同じ事を経験した成果なのか、完全に意識が落ちるまでの時間が体感長く感じる。
まるで水の中に沈められるような息苦しさを覚えながらも、不思議と視界はクリアに開けている。澄んだ海に迷い込んだかのような浮遊感が、どこか遠い海の世界に飛んできたような解放感がある。
…まぁ、夢の中でスライム風呂で溺れていると考えたらゾッとする話ではあるのだが。
『おヌシの解釈は正しい。ここはおヌシの身体を媒介にして呼び出した“澄んだ大海”にして、吾輩の体内。この中に取り込まれた物は全て、吾輩の管理下に置かれる』
…つまり何か、これ幸いとオレを取り込んでムシャムシャしようってハラなのかコイツ!?贅肉だらけのオレなんか食っても旨くないぞチクショウ!
残念ながらオレには既に抵抗する気力が残っていないので、でき得る限り全力の声で言葉を投げかけてやる。だが哀しいかな、意識が朦朧としている中で声など出る訳もない。
それを女神様よろしくテレパシーでも使ったのか、スライムが溜息をつきながら読心してくれる。
『安心するがいい、おヌシと嬢ちゃんの自由は保証するよう設定してある。だから今は、あそこで藻掻いている自動人形をよく見ておくように』
あそこ?と首を捻ろうとするも、残念ながら意識は朦朧としており指示された方向に顔を向ける事ができない。
そう考えた矢先、身体ごとグルリと回転させられる。どうやらスライムなりに気を利かせてくれたらしい、いやぁ助かる。向きたい方向に勝手に回転してくれる、座り心地最高な座椅子が近い将来出てくるといいなぁ。
さてオレの視界には、手刀が飛んで来なくなり緊張の糸が切れてしまったらしいプリシラの意識を失っているであろう姿と、尚も手刀を振り回して暴れ狂う女が映っている。
まさか間に合わなかったんじゃ!?と思わず意識を起こしそうになるが、それを押し戻すようにオレの頭に重石が乗る。
『嬢ちゃんは死んでいない、単に意識が落ちただけの話よ。今は嬢ちゃんの恩恵を利用し、吾輩の魔力で治療をしているのだ』
なら良いけど…。でも問題はまだ残っている、嵐のような暴力を振るい続ける女はどう処理する気なんだ。
スライムの体内なら、溶かして消化するのか?それなら目を逸らしておきたいのだけども…。
『それなのだが…。自動人形の厄介な所は、命を少しでも残せば爆発的な能力向上をもたらす事。死ぬ間際の花火、という奴よ。これを不発弾にする為には一瞬で命を刈り取る必要がある』
瞬間火力が必要だって? なら先ほどのプリシラの水鎌の一撃は火力不足だって事か?
それはあり得ない。いくら夢世界であっても首を刎ねられたら死ぬのは当然だし、命が残っていて当然だなんて思う方がおかしい。
『吾輩の言う一瞬とは、身体を残さないレベルの事を言う。身体の大半が残っていれば、たちまち再生するのがこの自動人形の厄介な性質なのだ。溶かせば良いとおヌシは言ったが、それでは不発弾にはなり得ない』
それはもう厄介の一言で片付けて良い次元の話じゃねぇぞチクショウ!? それとオレ、溶かせとは一言も言ってないからな!?
だったら何か?サイコロステーキみたく細切れにするか身体全部を焼き尽くすような一撃を見舞えって話かよ!?格闘姫たちじゃどう足掻いても対処不可能じゃねぇか!
『だが、今回のように花火が起動してしまった場合も手がない訳ではない。それは…3分間を生き延びる事だ。一番はこのように身動きを取れなくする事だが、そうでなくとも逃げ続けるだけで相手は勝手に自壊する』
それまで走って逃げ回れって? 無茶言うんじゃねぇよチクショウ、オレみたいな木偶の棒を抱えて逃げろってハンデ戦も良い所だ。
反撃でどうにかまた倒す事はできないのか? それならまだ格闘姫たちも勝機を見出す事ができるだろうが…。
『残念だが一番の悪手は、おヌシが考えた方法だ。超火力を押し込むだけの力があれば話は別だが、こればかりは吾輩のような超越物質の攻撃でなければ倒す事は難しいだろう』
ましてや格闘戦で捻じ伏せるような事はできぬ、とバッサリ斬り捨てられた。どうあっても超越物質を頼らないといけないってかチクショウ!?
いや、むしろ格闘戦なら相手を行動不能にするだけで、剣や銃みたいな一撃必殺の手段に乏しいからこそ活躍できるのかもしれない。こういう時は前向きに考えるものだ、ポジティブシンキング…。
そんなやり取りをしていると、次第に女の動きが鈍くなっていく。それが完全に動かなくなるより前に、視界が不透明になってしまった。
『おヌシには刺激が強い絵面だからな』と、目隠しで気を利かせてくれたようだ。…そこは素直に感謝しよう、助かった。
『まずはざっくり、自動人形の処理方法の講義である。追加の講義はまたの機会にするのでもう寝て良いぞ、おヌシ』
いいえ、2回目以降の講義はボイコットします。そう言葉にするより先に、オレの意識は強制的に真っ黒に塗り潰されたのだった。
●突き破られる我儘ボディ
一応は生半可な攻撃であればビクともしない“悪魔”の身体の筈なのですが…。プリシラの水属性を吸収した事で弱体化が入ったのでしょうか?
…実際は、攻撃を上手い具合に受け止めて主人公君たちが逃げる時間を作るだけのつもりだったようです。「…なァんて、吾輩の我儘ボディが簡単に破れると思ったかマヌケがァ!」と本当は繋げたかったようですが、現実は甘くないのだ…。
●救済とか何言ってるのか分からないんですけど…
大丈夫です、作者も分かりません。勝手に自分の価値観を押し付けないでもらいたいね!
自動人形には漏れなく、致命傷キャンセラーがついています。つまりは二度トドメを刺す必要がある迷惑機能、かつ一度目のトドメで使用した技に付随する能力・恩恵は遍く無効という戦闘職泣かせの逸品です。悪魔の発明かな?
こちらの話は後に本編で取り上げる予定ですので、お楽しみに…。
●そのトドメを刺す方法を教えてくれなかった女神様ェ
教えない何かしらの理由があったのかもしれませんが、タイミングを逃し過ぎたようですね。
ですが、問題はソレではありません。“悪魔”もトドメを刺す方法を知っている、という点が問題なのです。
果たして、その理由が話される日は来るのか。こちらも後の本編で取り上げる予定です、お楽しみに…。
●「「では本体よ、合体するぞ!」」
言葉の通り、本体と分身が合体するだけです。ただし、統合されると力は倍になります。
…さて、ここで前回のおさらいです。本体と分身、それに力の差はなく、また分身した所で力が落ちる訳でもありません。
そんな状態で合体でもしようものなら…。おぉネズミー、これぞ言葉の通りの「悪魔合体」というものです。




